ときもとまる風鈴荘 1話『モノリスはいります』①
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これは私、百々桃乃が、この風鈴荘に入って最初に付ける記録だ。
最初だからこそ、風鈴荘に入るまでの経緯なども書いておこうと思う。どうせこうやって書いているのも、今回の気まぐれ。最初ばかり長く書いていて、少しずつ飽きて雑になるのは目に見えている。だから、最初だけはしっかり書いておこうと思う。
この間まで私は、たんぽぽ美術大学の女子寮に住んでいた。
そこは、築六十年の木造二階建てで、歩くとミシミシ音が鳴るほど古いところだった。江戸間の六畳に、電球をはめ込む傘型の天井照明、木枠の窓には薄い窓ガラスがはめ込まれ、鍵は真鍮のネジ式。その姿はまるで、人を昭和にタイムスリップさせるタイムマシンのようだった。
でも、その寮はこの間の三月末で、その役目を終え、私たちが退去する姿を見送った後、取り壊されちゃった。
取り壊しの話を聞いたときは焦ったけれど、今考えてみれば仕方がないことだと思う。
寮の地盤が少しずつ沈んでいたせいで、建物の状態は限界だったそうだし、大家のお爺さんも、私たちが危険な目に遭う前に、取り壊すことを決めて、色々周りに掛け合ってくれていたみたいだから。
みんな事情を聞かされた時は驚いていたけど、本当に大家さんが気を遣ってくれたから、言うほど不満はなかったみたいだった。
むしろ建て替えが終れば、同じ値段で新築の寮に入れる事が約束されている分、楽しみにする人もいるぐらいだった。しかも、引っ越し代や引っ越し先も、他の寮と連携して保証済み。だから、周りの都合で振り回される理不尽と面倒臭さをグッと飲み込めば、バイトを掛け持ちしているような苦学生でもない限り、怒りは沸かないのかもしれなかった。
唯一みんなが不満を口にしていたのは、作品制作の時間が絞られることぐらいかな。寮の人たちは、学生の時間を謳歌するというよりも、作品制作に命を捧げている感じだったから……。
明け透けに言っちゃうと、私は、そうやって心のゆとり無く、制作ばかりしている寮の人達の生活スタイルが嫌いだった。人間関係なんてポイして、自分たちの作品制作ばかり。それで本当に豊かな作品ができるの? もっと無駄なことをしても良いんじゃない? 外面ばかりの作品になっちゃうよって思う。
もちろん、今だってそうだ。
この膨大な時間を面白おかしく過ごすことだって、きっと大学生の醍醐味だし、多少は許されることだと思っている。
うん、きっとそうに違いない。
だから、私はみんなと寮に移ろうなんて思わなかったし、住む場所の保証もいらないと思っていた。その変わり、次はもっと人との距離が近い所に住もうと決めていた。
でも、その時は本当に気持ちだけだった。
というのも、既に部屋の中はもうほとんど片付いていて、いつでも引っ越しする準備だってできていたのに、肝心の移るべき物件を、私は決めていなかったのだ。
もう引っ越しの期限まで二週間と迫った日。
私はその日も、寮から二十分歩いた先にある、御座形駅(おざなりえき)前に居た。
この駅の周辺は、急行列車で二十分も行けば大きな街に出られるとあって、家族や学生が多いベッドタウンになっている。町並みは古くからの建築物が残されていて、和とアンティークの風情に彩られたバランスがステキだ。
だからこそ、この周辺からは離れたくなかったんだけど、その時の私は、ア○マン、ピタッ○ハウス、センチュリー○と、どこの不動産屋を回っても、ピンとくる理想の物件が出てこないでいて、駅から離れたところで探すかどうか悩んでいるところだった。。
周りの友人には、妥協した方が良いなんて言われたけど、これからお世話になる、自分の安らぎの場に妥協なんてしたくなかった。
「はぁ……」
昼下がりの駅前は、相変わらずバスが北の山に向かい、ご婦人方がコーヒーショップのテラス席で談笑を繰り広げている。
行くべき不動産屋が分からず、私が考えあぐねていると、駅の中から列車の到着をアナウンスする事が聞こえてきて、それから間も無く、改札鋏を鳴らす音と一緒に人々がパラパラと私の前を通り過ぎていった。
と、その時、何だかいつもと見ている景色が微妙に違うような気がした。
通り過ぎる人の壁が消えた先、線路沿いに続く商店街の入り口付近に、今まで目についていたけど、気にも止めなかった物件が一つ見える。
今までただの家だと思ってスルーしていたけど、近づいて見てみると、それはまだ入ったことのない不動産屋だった。
薄い木の扉に薄い窓ガラス。そこにセロテープで貼られた印刷の薄い物件情報。とりあえず、こういう地域の不動産屋こそ、地域コミュニティのパワーを持っているはず。
私はそれを信じて、思い切って中に入った。
「すみませーん」
「はいはい、いらっしゃい」
第一印象は線香臭い。これは、中々の地元密着型かもと、胸が躍った。
でも、営業さんは予想外(後で分かったけど、彼は三井さんと言うらしい)。もっとお爺さんみたいな感じかと思っていたけど、ちょっと禿げ上がり始めた四十代前半ぐらいの人だった。
「まぁ、腰かけなよ」
「あっ、はい」
「はい、お茶」
「あっ、ありがとうございます」
思い出してみると、こういう接客態度に地域感って出るから不思議。大手だったら馬鹿に丁寧だから、むしろ硬くなっちゃうけど、三井さんぐらい気さくにしてくれる方だったら気楽だ。
といっても、脂肪の塊みたいなおじさんだったら、嫌だったと思う。
うん、見た目って大事。
「それで、どんな物件を探しているの? 君あれでしょ、たんぽぽ美大の学生さんみたいだから、マックスの金額で四万ってところじゃない? しかも、うちに来たってことは、大手さんの物件じゃ納得できなかったってことでしょ?」
なんか、三井さんの不適な笑みに、ギュッと胸が締め付けられる。
もちろん恋とかじゃない。言い当ててきて怖かったんだ。
「はい。あの、私、色んな人とのんびり関われるような、楽しい物件を探してるんです!」
「ぶっ!」
いきなり失礼だった。
「えっ、なんで笑うんですか!」
「普通はさ、値段、間取り、日当たり、回線とか、そういう条件を出してくるもんさ。まぁ、住人も大切な条件だけどね。それでも、その人たちと関わることが前提だなんて……、まぁ、最近はシェアハウスもあるし、分からないこともないけどね」
そんなものかな?
だけど、あんなお腹抱えて笑うことは無かったと思う。まぁ、他の不動産屋じゃ渋い顔されてからの営業スマイルだったから、三井さんは裏表がなくて良かったけど。
私が表情を曇らせたからだろう。
三井さんは「悪かったね」と、緩んだ頬も戻らないうちに私に謝ると、後退してきている髪を後ろにかきあげて溜め息をついた。
やっぱり、駄目かも知れないと、私は諦めようと想った。
「……もういいです」
「久しぶりに紹介しても良いかもな」
「え?」
「え? じゃないだろ。人との距離が近くてダラッと暮らせるような怠惰で楽しい日々を君は望んでいるんだろう?」
「怠惰……、まぁ」
私の答えを聞いた営業さんは、頷くと席を立ち、カウンターの後方にある古い棚を探ると、一冊の分厚いファイルを持ってきた。
「本来ならば家賃は5万なんだが、学生さんには4万という破格の物件がある。敷金も礼金もゼロで、月一万円で朝夕の飯付、風呂は共同の露天風呂で、純和風。どうだ?」
自信に満ちた表情で三井さんは開いたページを私に見せてきた。
三枚ほど写った写真には、大きな長屋門や、本物の旅館の露天風呂。
そして、入居者同士が写る記念写真のようなもの。
「……内見、お願いできますか?」
「もちろん、電話して連絡とるから少し待ってな」