世界樹の魔法使い 1章:天刺す尖塔と不良教師⑤

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 医務室の窓から見えるのは、延々と続いている夜空だ。
 ジョイナーは授業が終わってチュイと八重子とバルバロを運んできた時間を加算すると、今の時間は夕方ぐらいだと思った。
 そして、リズィはもっと自分に悪罵の限りをぶつけたかっただろうと思いながら、彼は天井を仰ぎ見た。
 ジョイナーが今回のような問題を起こしたのは一度や二度ではない。生徒に向かい合う気がないことと、適当にやり過ごそうとする癖が、迷惑をかけているのは明白だった。
 その一方で、リズィの言う通り、今の時期でなければ、今回ほど酷くはなっていなかったと思える。
 なぜなら、この時期はジョイナーにとって、三年前の記憶が色濃くよみがえるからだ。
 一度記憶が掘り起こされると、脳内で溢れる過去は止まらない。夜滝の死、研究職の解任、魔法歴史研究局の解体、天刺す尖塔への移動。そして、自分に突きつけられた四十五の罪。
 すべてが胸でつっかえて飲み込めない。
 夜滝の死から今までの時間を、まだ彼は納得することが出来ない。
 負の起点は、もうすぐ巡ってくる。
 夜滝の死からちょうど三年目の命日。
 その日に近づく程、ジョイナーは愛おしい女の内臓の感触を思い出した。
 開かれた目。口から溢れる鮮やかな赤。操り手の居なくなったマリオネットのように、ガクッと力の抜けた体が前のめりになってのしかかってくる。彼女の体を支えようとすると、腹の中は暖かいドロドロのスープになっていた。側筋も腹筋も内臓も、全てが壊れて腹が膨れあがっていた。
 あの日、抱き留めてから一分も経たない間に、彼女は死んでいたのだ。
 呼吸が上がって興奮してくるのが分かると、ジョイナーは最も感触が残っている右手に、左の拳を押しつけた。手に残った感触を拳の痛みで殺そうとするかのように、目いっぱい力を込めて。
 それでも、彼の中で溢れる記憶は止まらなかった。
 ジョイナーは歯を食いしばると、次第に押しつけていた手を組んでいった。自分の記憶で自滅してしまわないように、祈りを捧ぐように組んだ手を額に付けると、救いを求めるように頭を下げた。
 ただ救いを求めるように、落ち着け、落ち着けと……。
 お前の気が狂って夜滝は救われるのか、自分は救われるのかと。
『せんせい……、先生……、先生!』
 耳に入ってきた声に、ジョイナーの意識が引き戻された。
 我に返ると、チュイが下から覗き込むように、彼の顔を不安そうに見ていた。
(まずいところをみられた)
 ジョイナーはすぐに顔をあげると、周りが見えなくなっていた自分を恥じながら、平静を保とうとした。
「あっ、あぁ、やっと目を覚ましたか。まったく世話かけやがって……。ちゃんと俺の言った通りに帰らないから痛い目にあうんだそ」
「先生は、大丈夫なの?」
 いつも通りを演じようとするジョイナーだったが、チュイがそれをさせなかった。
 それでもジョイナーは、努めて笑って見せようとした。
「……何がだ。大丈夫もなにも、いつも通りだ。いつも通りだろ?」
 へらっと笑って両手を広げて見せるが、チュイは表情を変えずにじっと見ていた。
「じゃあ……、何で泣いてたの?」
「何言ってんだよ」
 ジョイナーは自分の顔に触れると一瞬固まった。
 普段を演じようと作られた笑みは脆くも崩れ、感情のない冷たい顔が現われる。
 そんな彼を見て、チュイの表情がようやく変わる。それは笑みなどではなく、状況を理解することの出来ない戸惑いの表情だ。
「汗だ……、これ以上は詮索するな」
「でも……」
「お前に心配されるいわれはねえ。それより今は、お前たちのことだ」
「……」
「忘れろ……、忘れてくれ……」
 チュイが後ろに退がって、向かいのベッドにポンと座ると、ジョイナーは深い溜め息をゆっくりと吐いた。
 目覚めたのが聞き分けが良すぎるぐらいのチュイで良かった。バルバロは秘密を守れるような性格ではないし、八重子なら理詰めで説明を求められたかもしれない。
 落ち着いてチュイを見てみると、体の傷は綺麗に治っていて、寸分の痕もない。
 それに気づくと、ジョイナーは一つ肩の荷が下りたような心地だった。
「うん、それで、なんで俺の言うことを聞かなかったんだ……」
「ん……、自分のことは言わないくせに、私のことは聞くんだ」
 チュイがむっとしてベッドの上で足をぷらぷらとさせる。
「あぁ? 俺のは教員としての義務だろうよ」
「ふうん……」
「めんどくせえな……」
「いいよっ、別に隠すことじゃないし」
「じゃあさっさと言ってくれ」
 ジョイナーは前のめりになると、膝に肘を突いてチュイと目を合わせた。
 だがチュイは、ぐいっと迫ったジョイナーの顔を見ると、そっぽを向いた。
「……たぶん、ヤエちゃんとバルバロは、フレイソルがいつも私達のことをひどく言うから、先生にどんな仕打ちを受けるのか気になってたんだと思う」
「お前はちがうのか……?」
「そりゃ、私だって気になるけど……。それよりもね、何でみんな今のままで良いと思ってるのかなって、胸がむずむずするから、見てたかった……」
「わるい、理由として良く分からないんだが……」
 そう言われると、チュイは手を慌てて、わちゃわちゃと動かす。
「えっと、だから、みんな自分の地位とか血筋のせいで本当のこと言ってないような気がするの。羽生ちゃんはいつもフレイソルと一緒に居て、自分は従うだけの一族だからって、何も言わないし、ツォウだって自分が獣人だからって人間から一歩引いてるでしょ? ……そんなだからね、私は先生が教室をどんな風にしちゃうのか見ていたかったの。先生は誰にでも対等だから」
「おっ、おぉ……?」
 ジョイナーは驚いた。チュイの答えは八重子やバルバロと同じで、フレイソルたち人間がやり込められるからと決めつけていたからだ。
 だが違った。
 チュイが見ていたのはフレイソルではなくジョイナーだった。
 よもや自分が見られている側だと思いもしなかったジョイナーは、焦りを覚えた。
「先生は自分が貴族だって言うけど、みんなを同じようにほめてくれるし、同じようにけなしてくれる。同じように接してくれる。だからね、私は嬉しいから、次に先生がどういうことをするのか気になって仕方ないの。今日も、私たちをわざと追い出して、どうするんだろうって」
「あぁそう……」
「ねぇ、気づいてた? うちのクラスって、先生に突っかかってる時が一番仲良しなんだよ」
「――なるほど、俺はお前らの共通の敵ってことか」
 それで構わないと、ジョイナーは余裕ぶって笑おうと思ったが、チュイに賞賛された気恥ずかしさが入り混じって、どういう顔をして良いか分からなかった。
 自分がチュイたちを追い出したのは、あくまで自分の言うことを聞く相手に、力の差を見せつける必要が無かっただけ。彼女が平等だと言っているのも、単純に自分の階級意識や民族意識が薄いだけの話だ。
「私はね、校長先生もリズィさんも好きだけど、やっぱり一番は先生なんだ」
「分かった分かった、もういい。とりあえず、今後は俺の言うことにだって理由があるんだから、ちゃんと聞いてくれ。それに他の奴らも、自分の生まれや立場を踏まえた生き方を考えてるんだ。あまりそう言ってやるな。それに、俺だって平等なわけじゃない。周りの奴らのことがどうでも良いから、平等にどうでも良い扱いになってるだけだ」
 八重子もバルバロも目覚める気配がないのを見て取ると、ジョイナーは急いで立ち上がった。
「こいつらは、俺たちで運んじまうぞ」
「うん、わかった」
 ベッドからチュイが飛び降りると、ジョイナーの腰ぐらいの位置に彼女の頭がくる。廊下で抱き上げた時もだが、目の前にいる少女がジョイナーにはひどく脆い物のように思えてならなかった。
 ジョイナーは「なんか幼いな、お前は……」と小さくつぶやくと「俺が魔法でアシストするから、お前は八重子を担いでくれ」とチュイの背中を叩いた。
 チュイは八重子を担ぐとジョイナーをじっと見た。
「――なんだ?」
「あのね、先に言っておくけど、私は多分、ずっと先生について行くと思う」
「また妙なことを言い始めたな……。やめてくれ、今日は調子がおかしい」
 ジョイナーは疲れた顔で足早に医務室を出て行く。
「先生の臭いがね、私にそうさせるんだよ?」
 チュイは、先を行くジョイナーの背中にぽつりとつぶやくと、クスリと笑った。

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