世界樹の魔法使い 1章:天刺す尖塔と不良教師 ④

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 石畳の階段をコツコツと鳴らし、ケガをした生徒を運ぶ尖塔の教職員たち。
 一番先ではリズィが八重子を担ぎ、その後ろではケンブリーがチュイを負ぶっている。そして一番後ろでは、ジョイナーが巨大なバルバロを背負って歩いてた。
 力化魔法を使った補助がないと、この生徒は彼でも運べたものではない。
 誰も見ていないのに、ジョイナーは機嫌をうかがうような笑みを浮かべた。
「いやぁほんと、リズィのおかげで助かった」
「助けた覚えはありません。私が動いたのは天刺す尖塔のためであって、ジョイナー先生のためじゃありません。僭越ながら、わたしは師のあなた以上に冷や冷やしているんですから……。責任者である校長と、管理者である私の苦労も考えてください」
 リズィが振り返りもせずにツンと言い返すと、ケンブリーが「まったくもって、その通りだよ」と深く頷く。
「とか言って、先生は結局ジョイナー先生につくんでしょ……」
 リズィはケンブリーに同意が気に食わず、プリプリと怒る様子を見せた。
 チュイたちを治療した後、閉じ込めていた生徒たちを沈めたのは彼女だった。
 ジョイナーが壁を消すと、さっそく突っかかってきたフレイソルに彼女は冷たく鋭い言葉を浴びせていた。
『ここで師と争うということは、あなたの魔法使いとしての未来と、貴族としての家名と名誉に深い傷をつけることになります。それでも良いのでしたら、引き続き師と争いなさい。ですが、その時は私もそれ相応の措置をとらせてもらいますよ』
 こういうことを淡々と事務的に語れる人間は怖い。
 ジョイナーのように相手を馬鹿にするようなしぐさ一つなく冷静に語られると、言葉の重みが強く心身にのしかかるからだ。
 傍で聞いていたジョイナーですら、体を強張らせるほどだった。
 ジョイナーは先ほどのリズィを思い出すと、寒気を感じながら一階の医務室へと向かっていった。
 古い蝶番が軋んで扉が開くと、薬草の香りが鼻梁の奥を通り過ぎていく。
 ジョイナーとケンブリーは気にならなかったが、リズィは複数の薬草が入り交じった香りが苦手らしく、部屋に入るなり渋面を浮べた。
 病人に配慮された医務室は、他の部屋とは違って窓があり、開放感が得られるようになっている。だが、整然と並んでいる十床のベッドは、どれもホコリっぽく、衛生環境は微妙だった。
 だが、それも仕方がない。ジョイナーが強化魔法でバルバロを治したように、尖塔ではケガを治療するのも魔法使いの役割だ。しかも、病気になったとしても、聖天都市の診療所に連れて行くのが常なので、医務室に誰も立ち寄らなくなるのは、当然の結果だった。
 三人の教職員が、ほこりっぽいベッドに学生たちを寝かせる。
 すると、チュイがベッドに対して小さすぎるのに対して、バルバロは膝から下が飛び出すというアンバランスな構図が生まれた。
 リズィはベッドの上に寝かせた八重子を見ると、見守る男二人にバッと振り向き、赤い髪の隙間から鋭い眼光を覗かせて睨み付けた。
「ほら、いつまで見てるんです。殿方はあっちを向きなさい」
「おっと……」
「すまない、すまない……」
 気圧された男二人は、リズィと八重子に背中を向けた。
 時に女性は、どんな男をも言葉と視線で圧倒するものだ。
 魔法使いとしての階級が絶対であっても、生物的に気圧されてしまえば、何も言えたものではない。素直に従ったジョイナーとケンブリーが、その象徴だ。
「ったく、お前も、女に尻に敷かれるのが好きだな」
 ジョイナーは小声で言うと、横目でケンブリーを見て悪戯な笑みを浮かべる。
 ケンブリーは一笑した。
「――別に、好きで敷かれてるわけじゃないよ」
「だけどよ、昔からああいう勝ち気で姉さん肌の女が好きじゃねえか」
 自分の過去の女性遍歴を辿ったケンブリーは、軽くうなった。
「――そうかもしれないね。僕は昔から決断力がないわりに、一度決めると猛進するからさ、ああやって抑えてくれる人に魅力を感じるのかもしれない」
 特に恥ずかしがるわけでもなく冷静に答えるケンブリー。
 彼の言葉を聞くと、ジョイナーは難しい顔で腕を組んだ。
「ほんと、ケンブリーは昔から変わらねえよ……。逆に俺はいまだに自分が何なのか分からない。世界樹に赴任した時と三年前、まるっきり変わってるという自覚がある」
 ふっと小さく息を漏らしたジョイナーを、ケンブリーは優しい目で見ていた。
「だからさ……僕もジョイナーも、実は自分に無いものを恋愛で補おうとしてるのかもしれないよ。ジョイナーだって、どこか生真面目で自分が定まった人が好きだったろ? そして、引っ張っていってもらってた」
「……そうだな、そうだった。ただ、間違っているところが一つある」
「ん?」
「好きだったんじゃない。好きなんだ」
 にこやかに話していたケンブリーの表情が曇った。
 ジョイナーの言葉は自虐だ。
 相手がいないのに、未だにこんな事を言っている奴はどうしようもないと、彼は死んだ夜滝を思い出しながらクツクツと笑っている。
 冗談でも、ケンブリーは笑えなかった。それは、彼女が消えた穴を、ジョイナーが無理矢理、性格を曲げてまで、埋めようとしているように見えるからだ。
 そんな中身のない男の抜け殻を、彼は静かに見ていた。
 すると二人の耳に、八重子の服がはだけていく音が入ってきた。
 リズィがローブを脱がしながら、「耳も尻尾も大きいから、ベッドで寝るのも大変そう」と独り言を呟いている。
 ただ外傷などを調べているだけでも、事が始まったことを意識した途端に、ジョイナーとケンブリーは体に緊張を走らせた。それは十代も前半の若かりし頃に、男女の生物的役割を始めて知った時のような、むずがゆい感覚だ。
「いいな……、本当に同じ女性とは思えないぐらいきれい」
 リズィが分かってて言っているのか知らないが、その独り言が男二人の想像力を刺激して、下半身に力が入る。
 意識しないようにすればするほど、意識が下に向かうのが辛かった。
「なあ、ジョイナー。あんな話しておいてさ、後ろめたくないか?」
「それならお前なんて、目の前に自分の女が居るだろうが」
 二人の男の脳内では、八重子の一糸纏わぬ姿を見てみたいという欲求と、見てしまったらおしまいだという、理性がせめぎ合っていた。
「なあケンブリー。これは、俺たちの性的嗜好が異常なわけじゃないんだよな」
「もちろん。男を誘うのは神室八重子にかけられた呪いだから仕方ない……」
「だが、遮断用のローブを用意するまで謹慎させないと、男子学生は辛抱できんぞ」
「何を考えてるんだ。ちゃんとリズィに用意させてるから心配するな」
「なるほど、そうか、そいつは良かった……」
 一瞬よからぬ妄想をしていた自分を叱咤するジョイナー。呪いの影響だと理解はしていても、こうして自分が考えているのは事実なのだから始末におけない。
 すると、再び布がすれる音が聞こえてきた。
 その音に合わせて、自分の身を支配しようとしていた肉欲が収まっていくのを感じると、ジョイナーとケンブリーは力を抜いて、ほっと安堵の溜息をついた。
「はいどうぞ。もういいですよ」
 リズィの言葉で振り向くと、八重子は服装をきれいに整えられて、静かに寝息を立てて眠っていた。
「軽い打ち身以外は特に何もありません。直に目を覚ますでしょう」
 ジョイナーは露骨に肩の力を抜くと、リズィが自分を見ているのに気づいた。
 彼女の目は冷えきっていて、完全に自分を見下げ果てて訴えかけてくる。
 なぜ、毎回、私たちが尻ぬぐいをしなくてはならないの。
 なぜ、私の先生に迷惑をかけ続けるの。
 なぜ、おとなしくできないの。
 ジョイナーは空いたベッドに腰をかけると、鼻でため息をついた。何度も迷惑をかけているのは確かだし、不満を持たれているのは十分承知していた。
「言いたいことがあるなら言えよ……。俺たちの仲だ、階級差なんて気にしなくていい」
 それを聞くと、リズィはジョイナーに向き直り、直立不動の姿勢となった。
「では、五級・明朗のリズィ/アンが直願させて頂きます」
「はい、どうぞ……」
 ジョイナーが促すと、リズィは体の前で手を組んで大きく息をする。準備が整うと、強い視線をジョイナーに向けて投げかてきた。
「いくらなんでも今回の件はいきすぎです。確かにジョイナー先生は、被害を抑えるようにしてヴァン・リーオ・フレイソルと他の生徒に対して指導を行ったのかもしれませんし、彼らが傷ついたのも、先生の言うことを聞かずに立ち聞きしていたのが原因なのかもしれません……。ですが、やはりやりすぎです」
「うん……」
「今はジョイナー先生にとって、精神の安定しない時期なのかもしれませんが、ご自分の中でそれは納めてください。私は先生のように、三年前の現場を見てきた人間ではないので強くは言えませんが、尖塔に属する者として言えることはあります。……最低限のマナーは守って頂きたいのです」
「違うだろ。……もっと素直に言えよ」
 ジョイナーは生徒にするような、ニヒルな笑みをリズィに向けた。
 それをケンブリーは端から見ていて、ジョイナーを仕方ない奴だと思う。こうして立ち振る舞い一つで、空虚で弱い自分を覆っているのだ。必死になって虚勢を張っている。
「もっと素直に……、わかりました」
「おう」
「これ以上私達に迷惑をかけないで下さい」
「最初からそう言って良いんだよ。俺だって少しは反省してんだから」
 ジョイナーが視線を落とすと、ケンブリーは頭を掻いた。
「まぁ、いくら優秀な学生とはいえ、師が魔法で挑むってのはやりすぎだね」
「でも、身の程を知らん奴には力の差を見せないとだめだろ?」
「いや、だからさ……、もう少しやり方を考えようよ」
 結局反省したのか分からないジョイナーを見て、リズィはため息をついた。
「まったく、軍事局や監察監視局の方が合ってたんじゃないですか?……」
「自分でもそう思うさ。でもな、世界樹は俺とケンブリーを辺鄙なところへやりたかったんだから、仕方ないんだよ」
「……」
 リズィは踏み込んではいけないところだった事に気づくと、言葉を詰らせた。
 三年前に魔法歴史研究局がつぶれて、ケンブリーとジョイナーが天刺す尖塔の教員としてやってきた。その理由を知っているだけに何も言えないのだ。
 彼女は強く咳払いをして話を続けた。
「とりあえず……、獣人に関して問題を起こすと学校ではカバーができなくなります。下手をすれば、枢密院による尋問もあり得るんですから、もう少し慎重にしてください」
「あぁ、分ったよ。お気遣いありがとう」
 皮肉ではなく、心からジョイナーはリズィに言った。
「じゃあ、私たちは戻ります。それこそ枢密院からたんまりと書類がきてるので」
「そういうことだ、来年度から入るかもしれない学生の資料もある。ジョイナーには来年から、また特別教育部の一年から担当してもらうつもりでいるので、楽しみにしててくれ」
「あまり、楽しみにはしたくねえな」
 ジョイナーは苦笑すると、ベッドに座ったままケンブリーとリズィを見送った。

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