世界樹の魔法使い 2章:争う尖塔の学生たち ⑦

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翌朝、始業早々にも関わらず特別教育部の中では小さな騒動が起きていた。
 勢いよく複数の人間が駆け抜けていき、「うわっ」「きゃっ」「あぶねぇーな!」と、歩いている生徒や教員が例外無く驚いている。彼らの見開かれた目は、石畳を鳴らしながら通り過ぎていくものを追っていた。
 駆け抜けていったのは、誰もが良く知る男。
 天刺す尖塔の監視官、ワン・ギー。
 彼が駆ける姿を見て、人々が道を空けると、さらに駆けていく影。
 チュイと八重子とバルバロ、そしてフレイソルと羽生とツォウだ。
 彼らが駆けていくと、天井のシャンデリアの光が微かにゆれる。
 ワンが後ろを振り返ると、熱を帯びたチュイとフレイソルが、グイグイと迫ってきている。彼は、たまらず口を開いた。
「何で拙者を執拗に追いかけるんです! あなた方にはあれほど説明したでしょう!  ジョイナー殿の事に関してはあきらめなさいと!」
 叫んだところで、生徒たちが迫る勢いは、収まる気配を見せない。
 ワンの予想では、こんな事にはならないはずだった。彼は禁則事項という言葉と緊張感で、チュイとフレイソルに立ち入ってならない領分であることを理解させ、暴走を止めることができると踏んでいた。
 だが、結果はこのザマである。
 忠告は全く効果を発揮してはいなかった。
(あぁ、やっぱり拙者には年長者としての威厳がないのだろうか!)
 ワンは走りながら長年の悩みを思い出すと、一気に気分が落ち込んできていた。思い返せば、他の教員とは違って自分だけは女生徒から「おはようございます」という丁寧な挨拶ではなく、「おはようワンさん!」と軽い挨拶と一緒に手を振られる。ポジティブに考えれば、若い女性徒からも気軽に話しかけてもらえるし、そこまでオッサンという認識をされていないと思えるので、悪い気はしないのだが、今のような事態になるのでは喜んでいられない。
 気軽に接することができると、舐められるでは雲泥の差だ。
 生徒を見張り、恐れられるはずの監視官がなめられているとなれば、本末転倒である。自分を監視官に推してくれた枢密院にも合わす顔がないというものだ。
(齢四十になる大人のオッサンなのに! なめられてはいけない監視官なのに……!)
 しかし、そう悔いたところで何も変わることはない。
 なぜなら、彼の大道芸ともとれるような身体の身軽さと、軽くてひょうきんなしゃべり方は、脅し文句がついたとしても、どこか喜劇のワンシーンを連想させてしまう。
 それは生徒に反省を促すには、あまりにも向いていない。
 だから、結果として追いかけられているわけだった。
「お待ち下さいワン監視官! このヴァン・リーオ・フレイソルに、ジョイナーの情報を教えて頂きたい! 先日の口ぶり、恐らく他の教員より詳しいのでしょう!」
「ちがうよ、ワンさん! 教えてもらうのはこっちだよ! 禁則事項っていうのは分かったから、絶対に秘密にするから、ちょっとだけ教えてよ!」
「どけ! 犬!」
「やだよ!」
 横に並んで走るチュイとフレイソルが、体をぶつけて互いを睨む。
 後ろには呆れ顔の八重子と、表情は見えないが同じ心地の羽生。そして、フレイソルのサポート方法を考えるツォウと、やっぱり楽しそうなバルバロがいる。
 ワンが階段の踊り場にさしかかると、ちょうど降りてきた職員がワンと接触しそうになって床に倒れる。当のワンは、全くそれに気づかない様子で、近づく生徒たちを待ち構えていた。
 近づいたフレイソルはじっとするワンを見て、更に一歩近づいた。
「ワン監視官! とうとう観念してくださいましたか!?」
「敬語に、観念って言葉はなんですか!? まったく、君たちがその気なら、拙者も本気を出さなくてはなりませんなぁ。丁度良い機会です。あまり年長者をからかわない方が良いということを教えてあげましょう!」
 とうとうワンは青筋を立てると、フレイソルやチュイに向かって構えをとった。魔法ではない武術の構えは、半身になって軽く握った拳を前に出している。
 ワンは監視官であると同時に元執行人である。人を傷つける方法に関しては、周りの魔法使い以上に長けていた。
 ワンの様子に怒りの色を垣間見た生徒たちも反射的に身構えた。
 だが、生徒の様子を見たワンは、ふつと口角を上げると、脇目もふらず階段を登り始めた。四角い螺旋階段の壁を蹴り、軽快に登っていくワン。
 虚を突かれた八重子は、慌てて「はったり!?」と叫び、フレイソルが続いて「ずるいぞ!」と叫んだ。そしてチュイは感心した様子でポカンと口を開けたまま、螺旋の中央にある吹き抜けから上をのぞき込んだ。
「さすが元執行人だね。身軽だ、ふんぐぅ」
 フレイソルがチュイの頭を土台にして一気に跳びあがる。
 顔から押しつぶされたチュイは、空気が抜けて膝から崩れた。
「ばー!」
 バルバロがフレイソルを睨み付けると、羽生が小さく頭を下げて謝罪し、ツォウと一緒に主人の後を追いかけていく。
 チュイは顔に付いた砂を手で払うと、悔しそうに上を見上げた。
「もう! 変な声でたぁ」
「ほら、私たちも追わなきゃ!」
 チュイは八重子に手を引っ張られると、グッと怒りで歯を食いしばりながら走りだし、バルバロも二人に続いて駆けていった。
 気づくと、混ざり合っていた足音の中から、先行していたワンの足音が消えている。つい先ほどまで一定のリズムを刻んで聞こえていたはずなのに、今はフレイソルたちの不規則な足音しか聞こえなくなっていた。
 普段の訓練で鍛えられているからか、チュイたちにはそこまで疲労はない。
 それでも、尖塔の最上階にある校長室は、天刺す尖塔の全体と聖天都市を見渡せるようになるような高さだ。その階段を駆けるとなると、さすがにチュイたちの息も荒くなり、ずっと続く螺旋で目を回しそうになる。
 延々と続くような階段を上り続けると、ついにチュイたちは、教職員の私室があるフロアに飛び出した。
 息の上がったチュイが、大きく肺を拡縮させながら背中を上下させる。彼女は小さな鼻のラインに沿って汗が伝うと手の甲で拭い、フロアの先にある校長室への階段を見た。
 そこにはワンが待ち構えていた。
「ようやく、そろいましたね!」
 フレイソルたちも、まだ着いて間もないのだろう、姿勢は伸びているが、まだ息は整っていない。羽生に至っては顔を覆っているので、端から見ていても暑苦しそうに見える。逆にツォウは、小さな羽を軽く羽ばたかせながら、涼しい風を自分に当てていた。
 体力的にも実力的にも、ここにいる生徒たちは、一人の監視官に圧倒的に負けていた。
 目の前のワンは、息一つ切らさず涼しい顔をしていて、汗をかいた形跡すらない。しかも床に置いた宝石が水の膜を作り出し、ワンの前にガラス張りのような壁を作っている。準備をするだけの余裕もあって、のんびりと彼らを待ち受けていたという様子だ。
 宝石に他人の魔法や自身の魔法を蓄積させ、道具として使う。これなら人の魔法も使うことができる。ワンが《三級・模倣・鏡のワン・ギー》と呼ばれる所以である。
それでも、生徒たちに深刻な危機感がないのは、やはりワンという人間に関しての先入観が原因だろう。
 ワンは生徒たちを前にして含み笑いを見せる。
「みなさん知っての通り、ここは校長室の手前です。詰まるところ、拙者の監視官として本領を発揮できる、罠だらけの場所なんですよ。お分かりですね、もしも今ここから立ち去らないのであれば、拙者はあなた方をここで閉じ込めます。それでも良いのですか?」
 ツォウが小さな羽を幾度か振って、考えるそぶりを見せる。
「僕が思うに、そりゃあ意味がないんじゃありませんか?」
 彼の言葉に八重子が反応して二度頷く。
「むしろ、こっちからするとワンさんに質問し放題で、願ったり叶ったりよね?」
 八重子に視線を向けられて、チュイは頷くとも首をかしげるともとれない、中途半端な返事をする。
 それを、ワンはニヤニヤとしながら見ていた。
「拙者は言ったはずです。本気を出さなくてはならないと! そう、もとより、情報を与えるつもりなど一切ありませんとも! 閉じ込めた後は罰を与えることになります」
 徐々にワンの目が、冷たく変貌を遂げていく。
 人を裁く執行人であった頃の目だろうか。余裕の表情を見せていたフレイソルも寒気を感じて、体がこわばらせた。
「――で、その罰とは?」
「なんですか?」
 チュイも続けて聞くと、校長室への階段が静まり返り、一瞬の間が空いた。
「身の毛もよだちますよ?」
「――――」
 誰も口を開くことなく、身構えた状態でワンを見据える。
 チュイはマスクの向こうは見えないが、彼の口角が上がっているように感じた。
 そして、ワンはふっと声を出しながら嘲笑うと、生徒たちを見下ろして罰を告げた。
「あなたたちへの罰は、リズィ秘書官からのお説教です」
「――え?」
 再びの沈黙。
 和らいだ空気の中に広がる静寂は、空白ともいえるような見事な時間で、緊張感はなく、誰もが拍子抜けという様子だった。
 その様子にワンは脂汗を浮かべると、気まずい感じで咳払いした。
「いや、理解してください。こうしたワンクッションを挟まないとなると、拙者はもう本当にあなたたちを罰するしかないんです。拙者の罰はリズィ殿のように説教じゃあない。あなたたちを如何に傷つけて、その傷口にどれだけ罪の重さを刷り込むか。そのような罰し方しかできないのです。それにご存知でしょうけど、私は元執行人です。他の先生方のように手加減なんて出来るかどうか……」
 今までのワンの剣呑な様子が、打って変わっていつもの調子に戻る。
 こうなれば、チュイとフレイソルは、再び彼に恐怖心を感じることも無い。
 だから、フレイソルは「わかった」というとワンに向かって一歩前に出た。
「説教ならいくらでも聞く! ジョイナーの過去が禁則事項に触れることも分かったが、俺もただ勢いだけで奴のことを上申したわけではない。だからもう一度、俺の誠意を伝えさせてくれ! その上でダメだと言うのならば、それはそれで受け止めようではないか! だが、もしも認めてくれるのらば、彼の情報の開示を求める! 奴が過去に何をしたのかは分からないが、四十五の罪があるのは違いないはずだ。それを暴いた上で生徒の不満もまとめて、改めて上申してやる」
 羽生とツォウは、フレイソルの主張を聞くと、彼と一緒に前に出た。
 その様子に、ワンが盛大な溜め息をつく。
「拙者なら好き好んでリズィ殿の説教なんて聞きたいとは思いませんけど……。まぁ、分かりました。チュイちゃんたちはどうするんですか?」
 ワンが校長室へ向かう階段を守っていた水の膜を消してチュイに聞くと、彼女はローブの襟口から空気を入れつつ微苦笑して、手を横に振った。
「私はいいや。リズィさん怖いし、そういう規則とかだと誰よりも口が硬そうだもん」
 それを聞いた八重子は予想外の答えに驚いた。
「えっ、それじゃあ、もう諦めるってこと?」
「ううん。でもね、もっと良い方法を思いついたから、いいんだ!」
 八重子が疑問符を浮かべると、チュイが小さな体で胸を張って得意気になった。
「どうせなら先生本人に聞けば良いんだよ。先生とも喋られるしね!」
 チュイの言葉にバルバロが納得したように手を打つが、八重子には納得がいかない。
「でもそれって本人を助けるための証言を本人に聞くってことでしょ? おかしくない? 信憑性なんて皆無じゃない」
「え? 先生のことを沢山知るために動いていただから大丈夫じゃないかな?」
 八重子はキョトンとしているチュイを見る。
 そして、何か歯車がずれていることに気づくと、はっとして頭を抑えた。
「もしかして、あなた先生の弁護のために動いていること忘れてない? 私たちに今必要なのは、先生の良いところなんだけど……」
 チュイの目が点になって硬直する。
「――――うん、そうだった。そうだったよね」
「もう……」
 いつの間にかチュイの中で《ジョイナーの良い部分を探す》という目的が《ジョイナーのことを知る》という風に単純化されていた。バルバロも同じようになっている姿を見ると、八重子はその原因が手に取るように分かった。
 チュイのジョイナーを気にする心が、昨日の禁則事項に触れるという言葉でくすぐられたのが原因だろう。それで《ジョイナーを知る》という目的だけが何倍にも膨れあがって、大切な部分をかき消していたのだ。
「おい狐、犬とサイの世話は大変だな」
 フレイソルが小馬鹿にしたように言い放つと、八重子は言葉に詰まった。
「いくわよチュイ!」
「えっ、でも先生に聞いても意味ないんでしょ?」
「話さえ聞ければ、他の教員や職員にカマをかけて、事実確認すればいいのよ」
 チュイはジョイナーを知るということだけに猛進していた自分を反省しながら、八重子に手を引っ張られていった。

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