世界樹の魔法使い 1章:天刺す尖塔と不良教師⑦

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 随分と短く散切りにされた髪と、つり上がった細い目。口には上だけ紐のついたマスクのようなものを下げていて、呼吸の度に少しなびいている。その全てが乗る顔は余分なものが見当たらないぐらいすっきりとしていて細く、それに合わせたように引き締まった筋肉は、無駄のない鋭い凶器のようだ。それでも、本人の優しさがにじむように、瞳は輝いている。
 少し若く見えるが、これでも四十に乗っかった壮年の男だ。
 ジョイナーは席に座る際に通りかがった女性のバーテンに声をかけると、普段通り水で割った果実酒を一杯頼んで、なごやかな笑みを浮かべるワンを見た。
「お前いいのか、こんな所で油なんて売ってて。忙しい時期だろ?」
 ジョイナーが親しみを込めてワンに拳を向けると、ワンが自分の拳を軽く当てる。
「そりゃもう、おかげさまで。最近は若手の監視員も使えるようになってきましたので。私はいざという時だけいれば何とかなりそうです。育てた甲斐があったってもんですよ。で、ジョイナー殿は最近どうなんです? 話によれば、また何かやらかしたようですな」
 ワンはビジュアルのクールさと相反して、よく笑い、よくしゃべる。
 それも抑揚をつけて賑やかにしゃべるものだから、ジョイナーは彼と飲んで喋っていると、楽しい気持ちになれた。
 だが、ワンの口をついてでたのは聞き流したくなる言葉。
 ジョイナーはウェイターから水割りの果実酒をもらうと、一気に喉に流し込んだ。
 本格的に飲む前のウォーミングアップだ。
 それを見たワンは「なるほど」といくつか頷いた。
「合点いきましたぞ……。ケンブリー殿も口にせず、ジョイナー殿も何も言わない。極めつけはケンブリー殿が居るにもかかわらず、リズィ殿がいないということ! これは、ジョイナー殿……、ひどくやらかしたようですな」
「あぁ、そうだよ……」
 ジョイナーがぶっきらぼうに言い放つ。
 するとワンは、静かなバーの中でひときわ大きく笑った。
「だっはは! いやあ、毎度のことながらよくやりますなあ……」
「うるせえ! ったく、お前は余計な言葉が多いんだよ。お前と同じ職種の奴は何人も見てきたけどよ、お前みたいにペラペラ喋る奴はいなかったぞ」
「そんな珍しい光景に出会えているのが奇跡と思えば、拙者の口から滑って出る言葉も、もう少し聞いていてもいいかな? って思えるでしょう?」
「ねえよ……」
 話せば話す程、ジョイナーもケンブリーも彼の特殊さを感じる。
 ワンは天刺す尖塔に居る唯一の監視官。
 だが、元々は執行人という職種の魔法使いだった。
 監視官は名前の通り、建物の中や人物を監視する人間。特にワンの場合は、尖塔に宝石を隠すように散らばしていて、一つ一つが彼の目となっている。つまり、外に居てもなお、中の様子はお見通しというスペシャリストだ。
 そして、彼の過去である執行人とは、罪を背負った魔法使いに罰を与える者のことだ。いわゆる、拷問や体罰、処刑に暗殺といった汚れ仕事を一手に請け負う役だ。そうした役目から一般的な監視官という地位を得るのは並大抵の努力ではないだろう。
 特に執行人なんて仕事をしていると、狂気的な明るさを持った人間はいたとしても、ワンのように、天真爛漫とした明るさを持つ者はいない。
 だが、そんなところこそ、ジョイナーがワンに惹かれる理由だった。自分が空っぽな人生を送ってきただけに、身の詰まった過去を持つ相手が好きだった。
 すると、ケンブリーは深いため息をついた。
「とりあえずさ、ジョイナー。君は良いかもしれないが、結局リズィの機嫌をとるのは僕なんだから、本当にもう少しおとなしくしてくれないか……。けっこうね辛いんだよ、あのあと彼女をなだめるのってさぁ」
 こういうケンブリーの事も、ジョイナーは好きだ。
 自分と同じ研究職という職を失っても、今は優秀な子どもたちを世に排出することに、しっかりとビジョンを持って心血を注ぐことが出来ている。
 それにジョイナーは、相手がどう思っているかはともかく、リズィのことも好きだ。
 こうして自分の親友である男を愛してくれる事は嬉しいし、一途なところも好感が持てた。それを失ってしまった自分にとっては眩しいぐらいだった。別に嫉妬はない……。ただ、彼は見守りたいとは思っていた。
「とりあえず、ジョイナー、ワン、今日もお疲れ様」
「あぁ、お疲れ様」
「お疲れ様!」
 ケンブリーの合図で三人はグラスを掲げ、高く透き通った音色を鳴らした。
 三人はいつも通りの他愛のない話で盛り上がる。
 だが、今日はリズィというストッパー役がいないせいで、深夜から飲み始めたにもかかわらず、あっという間に三人の飲酒量は普段の量を超えてしまった。
 酒の量に比例して心のストッパーが外れていく。女がいない事を良いことに、普段出ないような下世話な話をジョイナーとワンがし始めると、校長としての威厳が勝ったケンブリーの良心が彼の酔いを覚まさせた。
「んでお前、リズィとはどこまでいったんだ」とか。
「神聖な学舎でお前まさか!」 とか、
「二人とも澄ましてるだけで、生徒には言えない事をしてんだ。校長室なんて、普段は誰も来ないだろ」 とか……。
 そして、あまつさえ自分たち魔法使いのシンボルである天刺す尖塔のことを、「実は尖塔は屹立した○○を意味している!」とまで言い始める始末だ。
 もはや、第二の聖地で師が話すようなことではない事をヘラヘラと言っている。
 リズィが居ればたちまち、説教と道徳の講義が始まるはずだ。
 周りの客も一つのテーブル席から響く下卑た会話に、迷惑しているようだった。
 ケンブリーは、酔いもどこかへ行って冷や冷やとしていたが、とうとうやりきれなくなると、「お前達とはもう飲まん!」と叫んだ。それを見たジョイナーとワンが笑い声を上げて周りの客に舌打ちをさせると、ようやく彼らは静かになった。
 それからは、今年の夜は何人の子どもが脱走を図ろうとするかを話しながら、ワンが今回の対策を説明したり、抜け出しても外で凍死だけは勘弁であるという話をしていた。
 だいたい基礎教育部の子どもたちが高等教育部に上がると、その年の半年の夜の間に、一度は脱走劇が始まるのだ。今までは子ども気分で面倒を見てもらえる寮から、一気に十八歳までのお兄さんお姉さんが居る合同寮に移されて、上下関係も厳しくなる。しかも、起床、洗濯、掃除と、日常生活が全て自分の手に委ねられるようになると、不安と恐れに負けた生徒は抜けだそうとするのである。
 そんな真面目な話をしていても、大分酔いは回っていた。
 あの真面目一辺倒のケンブリーでさえ、リズィがおらず男だけという開放感で、いつも以上に飲み過ぎていた。
 残りの二人は論外。
 しっかり喋っていても頭の中は少しずつに呆然とし始めていた。
「んまぁでも、今年の生徒は抜け出しそうな心配のある奴はいませんね……」
 ワンが余裕ぶった様子言うと、ジョイナーが「へっ」と笑って口元をほころばせた。
「なにがおもしろいんですか……、いいことじゃないですか」
「いやいや……あいつは抜けだそうとしたって聞いたことあると思ってな……」
 ケンブリーは、グラスを持ったまま頭に手を当てて、ジョイナーが良く知っている生徒で、抜け出そうとした経歴を持つ生徒を検索した。
「チー・チュン・チュイ」
「そうそう、チチチの子だ。今日は完全にあいつに調子を狂わされた。……俺のことを好きだとか、ずっとついて行くと思うだとか。いつも俺の事を擁護するとは思っちゃいたけど、まさかこんな世迷い言を言い出すとは思わなかった」
 ジョイナーがグラスに入った酒をあおってテーブルに置くと、ワンは口元のマスクのような布を上げながら酒をあおってニヤニヤと笑った。
「いやいや、案外相手は本気かもしれませんよ? そもそも女の好みの中には、粋も甘いも知ったような大人の男っていうカテゴリーがでかでかと存在しているもんです。まぁ、拙者の勝手な経験ではあるんですがね? でも、そう考えると合点がいきませんか? ジョイナー殿の、そのやさぐれた風体と粗暴な口調、適当な対応とがさつな行動。一人の女生徒の母性本能をくすぐったというのも頷ける」
「おいおいおい、お前、俺のこと馬鹿にしてるだけだろ」
「いやぁ、そーんなまさかっ」
 へらへらと笑うワンを見たケンブリーは「ちょっと」と彼を制止した。
 ジョイナーはそれを見て、「おうケンブリー、テメーが言ってやってくれ」と、ケンブリーの肩を抱いてワンに指を差した。
「ジョイナーは確かに適当でがさつで粗暴だ。だがワン、君は忘れていることがある」
「えぇ、何でしょうか?」
「ジョイナーには中身がない、空っぽの空洞だ」
「おい! 言うに事欠いて!」
 ジョイナーが叫ぶと、ケンブリーがジョイナーの口を押さえた。
 三人とも大分酔っていた。
 ケンブリーは船を漕いでしまいそうに緩くなった首をうごかし、回らない舌を回しながら、肩を抱いてきているジョイナーの目を見た。
「そうやって空っぽだから、お前は全力で黒睦さんを愛したんだろう……。僕はちゃんと分かってんだよ? あの人は、僕にずっとできないことをやってくれた。お前を導いてくれた。だから僕はね、ジョイナー、君がどれだけ弱くて事件を起こしちゃっても許しちゃうんだ! 彼女は君にとって女であり第二の母だった。そんな人を失った辛さは分かる! いや、少なくとも分かってやりたい! だって僕たちは親友じゃないか」
 目を合わしたジョイナーは、酔った勢いで涙腺が緩み、涙を流し、感情にまかせて腕を広げていた。
「ケンブリーィィィィィィ!」
「ジョイナーァァァァァァ!」
 熱い抱擁を交わす二人を、ワンは爆笑して見ながら、指を丸めて口元にやった。
「なぁなぁ、リズィ! はやくこいよ、ここにガチなモーホーがいるよぉ!?」
 ワンが仰け反りながら後ろを見ると、カウンターのマスターが苦笑していた。
「あんたらそろそろ帰りなよ。これ以上魔法使いの情けない姿を見せないでくれ」

***

 夜風に打たれながら、ジョイナーとケンブリーとワンが肩を組む。
 ジョイナーは最後に買い足した酒瓶に口をつけると、聞き取れるかきわどい呂律で話しかけた。
「というわけでワンさんよぉ」
「なぁんですかぁ」
「今度の夜滝の命日はよ、ちゃんと監視しといてくれよぉ?」
「ったりめえでしょ! あんたの見てくれからじゃ想像できないような、そのピュアなハートに免じて、全力で監視しますともぉ。三人でアンニュイでメランコリックな夜を過ごしてくださいな」
 そこにケンブリーも混ざってくる。
 まさに三人は、だめな大人の縮図だった。
「おい、ジョイナー、僕もわすれないでくれよぉ?」
「ったりめえだろ!」
 寒空の中に男達の汚い笑い声が響いていた。
 ここは天刺す尖塔。魔法を使える人間の中でも珍しい者や、上流階級の者、獣人の者が、問答無用で連れてこられる所。そして、彼らを閉じ込めて英才教育を施す所だ。
 そんな天刺す尖塔の前に、酔った三人がたどり着いた時、門前で待ち構えていたのは、ウェーブした赤髪を逆立てた、よく知っている女性のシルエットだった。
 警備室の中では何をされたのか、守衛が顔を覆って泣いている姿があった。

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