世界樹の魔法使い 3章:三年前と元研究員①
ケンブリーの居ない校長室。
その窓辺に佇むワンは、深い藍色の夜空に煌めく星を見あげて、時間を確認した。特別教育部の中からは、頂上にある火の時計は見えず、こうして星の位置で判断するしかない。
星の配列は、昨晩から一周巡って、再び夜の時間を示していた。
ワンはそれを見て溜め息をつくと、口元のマスクをなびかせた。
それは、フレイソルたちに対するリズィの対応に疑問があったからだった。
「――リズィ殿、良かったんですか?」
「何がです?」
ワンが不満な顔を外に向けたまま尋ねると、リズィも顔を向けずに言葉を返した。
疑問で返されたワンは、勢い良くリズィに体を向けると、大きく手を広げた。
「何がって!? あれだけジョイナー殿たちの事は秘匿されていたのに、あんなにペラペラと喋って良かったんですかってことですよ! フレイソル君も羽生ちゃんもツォウ君も、間違い無くショックを受けてましたぞ!?」
声を荒げるワンの勢いに対して、リズィは落ち着いていた。彼女は校長の柔らかい椅子に身を預けたまま天を仰ぐと、半ば伏せた目で遠くを見つめながら、指で肘掛けを何度か叩いた。
「確かに、生徒への口外は禁止されてます……。けど、あれぐらい言っちゃっても良いと思ったんです。あと半年も経たない内に卒業する子たちですから、遅かれ早かれジョイナー先生のことや、校長のことを耳にすることになります。どうせ、その時が来ればショックを受けて悩むんです。それがちょっと早まっただけって、考えられませんか?」
「しかし、違反は違反ですぞ……」
ワンが眉間にシワを寄せると、リズィは諦めたように鼻から溜め息を漏らした。
「やっぱり、世界樹に訴えますか?」
「いや、別にそこまでは……、誰の得にもならんでしょうし」
リズィは慌てた様子のワンを見ると、意外そうに「そうですか」と言う。
彼女はジョイナー、ケンブリー、ワンのことを良く知っていた。
尖塔の管理業務を纏める役割をしているのが大きな理由だが、それ以上に、ケンブリーと一緒に行動するようになってから、必然的にジョイナーやワンとも飲むようになった事が大きい。
酒の席でタガが外れると、知りたい事も知りたくない事も知るものだ。
だから彼女は、ワンがただの監視官でないことも、ジョイナーがただの転任でやてきた教員でないことも知っている。
もちろん、ケンブリーの校長職就任のいきさつも知っている。
こうして職務やプライベートの中で知りえた情報は、笑えるものだけではなく、決して口外してはならないようなものもあった。
そんな情報の中でも、三年前に来た《師・四十五罪・黒碗のサン・テンペスト・ジョイナー》、《一級・宝珠・電光・微笑のフォルクス・セン・ケンブリー》、《三級・模倣・鏡のワン・ギー》に関しては、教職員の中で留めるべき情報だった。
それは、生徒たちが心を乱さず、健全な精神で教育を受けるための配慮がされているからだ。
だが、リズィは説教を受けにきたフレイソルたちに、ジョイナーたちの事を教えてしまった。言葉に出してはいけないことは言葉にせず、フレイソルたちが予想で補いやすいように、回りくどく説明をした。
その場に執行人が居たら、即座に殺されても文句は言えない。
だから、元執行人であるワンにとっては気が気でないのだ。
「なんというか、拙者は驚いてますよ。リズィ殿は、もう少し規則にお堅い人間かと思ってたんですが」
「それなら、私もワンさんに同じことを思ってますよ」
「そりゃまた、なぜに?」
「私は規則を犯したのだから、元執行人のあなたに、殺されてもおかしくないもの」
「私は監視官ですよ? あなたを殺す権利はあっても、殺す義務はない。誰も好んであなたを傷つけようとは思いません」
ワンは表情なく窓の外を見つめ、夜闇に塗りつぶされた北の丘を見据えた。
あそこには今、三年前に亡くなった黒睦夜滝を悼むために、ジョイナーとケンブリーが向かっているはずだった。
ワンも彼ら同じように、三年前までの自分に何度も押しつぶされそうになっていた。執行人として数多の仲間を殺してきた罪の意識が蘇る度に、嫌な感触が手の平に蘇ってくる。その度に、吐き気にも似たむかつきが胸に広がり、消したくても消してはいけない過去に耐えてきた。
「私はもう殺したくないですな、もう十分殺しましたからね……」
「……」
「リズィ殿は魔法使いを殺したことはありますか?」
「なんてことを聞くんです……、同胞を殺すなんてあるまじき」
と言いかけてリズィは、はっとして口を噤んだ。
途端に外を見るワンの背中が、リズィには悲哀に満ちているように見えた。
「いいんです、卑しい仕事をしてきたのですから。執行人とはそんなものです」
「いえ、今のは私が悪い……」
しばらく沈黙が漂い、ワンは視線を落とした。
「――なかなかね、なかなかどうして、魔法使いというのは殺すのに手間がかかるんです。即死を狙わないと体内の魔力が暴走して、普通の人以上に苦しんで嫌な死に際を見やすいんです。そんな状況が、拙者の脳裏には何百も焼き付いている……。その中に、あなたまで含めたくはない」
ワンが外に向けていた体をリズィに向ける。
リズィはワンと視線が絡み合うと、居たたまれずに視線を逸らした。
「やめて、ほんと、ごめんなさい……」
「いえ、こちらこそすみません。それよりも拙者は、リズィ殿がフレイソル君たちに、どうして事実を教えてしまったのかを知りたいですな。卒業するからって理由は、どうせ表向きでしかないんでしょ?」
察しのついていたワンの静かな声を聞くと、リズィは肩を落として理由を告げ始めた。
「ワンさんの仰る通りですよ……。どうせ知るなんてことは表向きの理由でしかありません。本当は彼らに、世界樹の絶対性というものを知って欲しかったからなんです」
「ほぉ……」
ワンの驚く顔を見ると、リズィは続けた。
「フレイソル君は世界樹に絶対的な忠誠心を持っています。そして、そんな彼に羽生さんとツォウ君はついて行っている。いずれ三人は天刺す尖塔の卒業生として、世界樹と密に接する立場になるでしょう。それまでに、彼らは世界樹の絶対性を体験しておくべきなんです。天刺す尖塔は守り手の居るゆりかごでしかありません。卒業して配属された瞬間に現実を直視すれば、彼らはついていけなくなるかもしれない。尖塔以外で魔法使いの上下関係は絶対です。上の立場になればなるほど、それは世界樹の言葉に近くなるのですから……。ですから、今のうちに自分の行動ではどうしようもないということを突きつけておきたかった。外で辛い思いをする前に、覚悟を決めて欲しかったんです」
真面目に淡々と話すリズィの口調。そこには世界樹に対する反意ではなく、生徒を気遣う思いやりがあった。
「なるほど、確かに尖塔は他と違って過保護なほど生徒に優しいですからな。リズィ殿の言っているように、外に出る前の覚悟というものは必要なのかもしれません。得に、フレイソル君は礼儀は正しいですが、目上の魔法使いに盾突くことを知ってしまっている。その彼の意識を真っ向から潰すには良い機会かもしれませんな」
ワンが唸りながら何度も頷く様子を、リズィは横目で見た。
彼が本当に自分に敵意を向けないことに、彼女は驚かざるを得なかった。
「それにしても、こうして首を刈られるぐらいの覚悟で生徒たちに真実を告げるとは、ジョイナー殿より、よっぽどリズィ殿の方が教員に合ってそうですなぁ」
リズィは諦めの笑みを浮かべた。
「本当はやってみたいんです。でも、残念ながら私の実力は五級で今のところ頭打ち。世間じゃ上の方でも、尖塔では下の下です。それに、私意外にしっかりと管理業務を纏められる人がいませんからね。ほんと困るんですよ? みんな財務管理とか事務方の話になると、めっぽう弱いんですから」
「なるほど拙者たちが原因でもあるわけですな……。申し訳ない……」
リズィは席から立ちあがると、ワンの隣に立って北の丘を眺めた。
北の丘ではジョイナーとケンブリーが毎年恒例となる悼みの儀式を始めている頃だ。
「今回は生徒が入らないように監視員は付けなかったんですか?」
「ジョイナー殿には、不穏な奴には目を光らせるように言われているんですが、今回ばかりは全員引かせてあります」
「結局全てはジョイナー先生の所にもどるんですね……」
「人の事を言えませんが、二日酔いの罰なのかもしれませんな。いざこざがケンブリー殿に舞い込んで、ジョイナー殿に引き継がれ、私を翻弄して、リズィ殿の所にたどり付く。そして結局ジョイナー殿の所に戻っていく。……チュイちゃんは得じゃありませんか、本人から真実を聞けるんです」
「でも、本当に教えると思いますか?」
「ジョイナー殿のことですから、儀式を邪魔されるぐらいなら、本当の事を教えてでも厄介払いをするでしょう」
「――そうかもしれませんね」
リズィはチュイを思い出しながら目を伏せ、ワンも静かな気持ちで北の丘を見た。
利害関係の蔓延する世界樹では、あれほど自由な子はなかなか居ない。尖塔という学校でも、利害関係のない友情関係はほとんどない。彼女たちのように、子どもらしい子どもの振る舞いを見せてくれる子は、少なからず尖塔の大人たちの癒やしだった。