世界樹の魔法使い 1章:天刺す尖塔と不良教師①

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 夜滝が死んで三年、舞台は世界樹から移ろいでゆく。
 そこは、果てしなく北の、世界を分断するように伸びた稜線。延々と続く峰に降り積もった雪が分厚い層を作り上げ、純白とも言えるうねりが伸びている。
 だが、その中に一点だけそぐわない場所がある。なぜか、稜線の中央にある山の頂だけは、雪一つなく緑まで茂っているからだ。
 三つに割れた頂は、鋭い槍のように天に伸び、平たく整備されたドーナツ状の町に囲まれている。極寒の地には家を建てる資材となる樹木はなく、石を切り出せる環境でもない。空腹になっても動物や植物はなく、あるのは雪と岩ばかりだ。本来は人が住める地ではない。
 だが、町には多くの人が住んでいる。
 それは、将来有望な魔法使いの学生や、教員・職員達を支えるため、選ばれた魔法使いの信奉者たちで、魔法を使えない者たちは町を栄えさせ、魔法使いたちは、町を支えてくれる人々を、魔法で支えている。
 山の頂を春のような温もりで包み、ふもとから物資を運んでくれる人々には、治癒と温もりの魔法を宝石に入れて、持ち歩いてもらえるようにしていた。
 そう、この地は、魔法を使える人と使えない人が、互いに力を合わせて魔法使いの学生を育てる場所。
 天に伸びる三つに分かれた頂の名は、魔法学校の最高府『天刺す尖塔』。
 ドーナツ状に構築された町の名は、魔法を使えない者が住む『聖天都市』。
 魔法使いにとっては第二の聖地であり、世界中で選ばれた学生と住人が集まる場所だ。
 正門をくぐり、聖天都市と天刺す尖塔を隔てる巨大な壁を越えると、中には十二歳までが通う尖塔『基礎教育部』と、十五歳までが通う尖塔『高等教育部』、十八歳までが通う最大の尖塔『特別教育部』が立っている。 そして他には、魔法具の入った倉庫や大きなグラウンド、十二歳までの寮と、それ以上の年齢の生徒が住む、男女別の寮がある。
 それらを谷間のような道が縫うように繋ぎ、最後は天刺す尖塔の中央部にある、特別教育部にたどり着くように作られている。
 砂漠の世界樹で夜滝が死んでから三年。
 ジョイナーは特別教育部の教員として天刺す尖塔に所属し、今年で最後になる三年生の担当教員をしていた。
 教室の中は、尖塔の外壁のように自然な岩肌ではなく、きれいに研磨されて彫刻もほどこされている。窓がなく圧迫感があるのが玉に瑕だったが、半年ごとに昼夜が変わるこの地では、太陽を見ても時間の計りようがないので、問題はなかった。
 そんな教室の中で、ジョイナーは黒板にチョークの音をカツカツと響かせていた。
 今の彼を見て、過去のジョイナーを想像できる者はいないだろう。
 あの細い体も、鈍い光を灯した瞳も、長い髪も、感情のない機械のような姿も、今の彼には見当たらない。背中は逆三角形で広くなり、足も太くてずっしりとしている。腕は、肘まで巻かれた黒い布の上からでも分かるぐらい、筋肉が筋張って盛り上がっている。その筋肉という鎧に纏われた肉体は、存在感に満ちていた。
 変わったのは筋肉量や体型だけではない。
 ほっそりとした顔も少し角ばり、目は肉食獣のように鋭くなっている。伸ばしていた髪も今はずいぶんと短くなっていた。
 それでも一つだけ変わらないものがある。ジョイナーの瞳だけは、三年前と同じように鈍い光を灯し続け、死んだように何も映さない。
 ジョイナーは最後の文字を力強く書き終えると、生徒たちに向き直った。
 視線の先には十二名の生徒たち。彼らは四十もの机の中から好きな場所を選び、仲の良い者同士でまとまっていた。彼らの中には、呆然している者もいれば、笑顔の者もいる。だが、大多数は不満そうな顔をしていた。
 ジョイナーは、改めて自分が書いた『基本事項総復習』という文言を見ると、拳の裏で黒板を叩いた。
「ほい、つーわけで、これからの半年はこんな感じでやっていこうと思う」
 ジョイナーは続けようとしていた言葉を止めて、生徒たちの顔を眺めた。
「なに不満そうな顔してんだよ。むしろ喜ばしいことだろ? 要は卒業を控えたお前達に、俺が新しく教えることはないってことなんだからよ。言い方を変えれば免許皆伝じゃねえか」
 話をはじめると、口調までも三年前とは変わってしまっている。
 淡々とした口調は不躾で粗暴に感じ、低く変わった声は、広い教室でもよく響く。
「とりあえず、これからは自主的な判断で鍛錬をすりゃいい。まずは、自分で設定した目標を、責任をもってこなせるようになること。そしたら俺の所に成果を見せに来い。実技だけじゃねえぞ。魔法に関する基礎と、魔法使いの階級や給与体系まで、色々と学校を出る前に知っておくべき知識もある。この基礎知識を覚えずに出ていくと痛い目を見るからな、必ず復習しとけ。まぁ分からなかった時は、俺に質問すりゃいい。聞いてくれりゃちゃんと答えてやるさ。仕事だしな」
 ジョイナーが語るにつれて、不満が目立っていた生徒たちの顔色に、《怒り、不安、驚き》といった色が混じり始める。
 それでも、ジョイナーは何一つとして気にせず無視していた。
「ほいじゃ、そいういうことで。お疲れさん」
「あの、待ってください先生。目標の設定とは、例えば自分に合った詠唱の研究や、苦手としている魔法の鍛錬や習得でも良いのですか? 自身の問題点に関しては、私も理解しているつもりですが、やっぱり先生の師としての意見が欲しいです」
 一人の男子学生が音を立てて立ち上がると、ジョイナーは返そうとしていた踵の動きを止めて、声の主を見た。
「いや、俺が経過に手を貸すことはねえな。その辺りは自分で自分の面倒を見て、俺には結果だけを見せろってことだ。はい、おわり。どうだ、他にはないか?」
 乾いた沈黙が続くと、ジョイナーは教卓に置かれた資料を腕に抱えて笑みを浮かべた。
「それじゃあ勉学に励みたまえ。学生たちよ、さよなら」
 そして軽く手を振った。
 正直、今の状況で教員が出来ることはアドバイスぐらいなものだ。自分から教員や周囲を利用出来ない生徒は、実力もここで頭打ち。通常の学問と同じで、ある程度までたどり着いたら研鑽あるのみである。今の彼らは、自分に鞭を打ち、時に協力を仰ぎながら、能動的に自分を高める努力をしなければならない。
 それが真実であっても、ジョイナーの生徒に対する向き合い方が雑なのは明白だ。
 特に自分が天刺す尖塔に属し、世界樹の未来を担うという自覚がある生徒ほど、プライドが傷ついて怒りを覚えるだろう。
 だが、ジョイナーにとっては、そんなことなど関係ない。彼にとって学生なんてものは、自分に関係のないガキが並んで座っているに過ぎず、相手のプライドが傷ついたところで、良心が痛むことなどなかった。
「軽く言っておくが、お前らはもうすぐ一人前の魔法使いとして世に出て行くんだ。自分で自分の弱点ぐらい把握できるようになっておいた方が良いぞ。魔法に対して自分に合う呪文の選別、出力が欲しいなら魔力強化、安定しないなら魔力制御、それらを集約させる技術。色々と課題があるはずだ。今の時点で分からないなら、嫌いな奴にでも勝負を仕掛けりゃいいさ。闘技場ならいつでも貸し出してやる」
 やはり、丁寧に説明してアドバイスも間違いはないが、生徒との距離感は遠く、歩み寄ろうとする意思も見えない。
 夜滝を失った彼に、何かを与える気持ちはない。
 空っぽになった彼に、何も与えるものはない。
 それ故に、真剣に向き合う必要もない。
 今のジョイナーは、そんな男だった。
 彼は教卓の前から離れようとする前に、改めて生徒たちの様子を見た。
 大半の生徒が、憮然として教卓から視線をそらし、机を見たり難しい顔をしている。そんな中、相変わらず二つのグループだけは、ジョイナーに対して真逆の反応を示していた。
 一つはジョイナーに対して疑念もなく、のほほんとした空気を漂わせるグループ。
もう一つは敵意をむき出しにして怒りを放つグループだ。
 のほほんとしているのは、犬のチュイと狐の八重子とサイのバルバロという、獣人の三人組。
 ジョイナーと目が合ったチュイは、小動物のような小さい体をはねさせている。笑顔で耳と尻尾をパタパタと動かし、丸い顔にクリッとした茶色い目をらんらんと輝かせながら、茶と白のツートンカラーの髪を小さくゆらしている。
 その隣には、全身を分厚いローブで身を包んだ八重子の姿。面長で少し釣り上がった目と、前に軽くしなった長い耳が特徴的で、きめの細かい白い肌とつぼみのような桜色の唇が、彼女の美しい容姿を作り上げていた。その瞳もまた、ジョイナーを見つめている。
 そして二人の背後には、上半身裸で、口を開けて笑っているバルバロの姿。タトゥーの掘られた浅黒い肌に分厚い筋肉を持ち、色鮮やかな民族模様が彫られた巨大な牙を見せている。
 この三人は、天刺す尖塔では珍しいタイプのグループだ。地域の魔法学校の仲良しや、一般人の仲良しグループと変わらず、平等な関係性が保たれている。
 それに対して、もう一つのグループは対照的だ。人間の貴族であるフレイソルに、もう一人の人間である羽生と、スズメのツォウが従っている。こうした階級社会の縮図のようなタイプは、天刺す尖塔においては典型的なグループだった。
 羽生は、頭部を全てミイラのように巻いて鼻孔だけを出し、顔こそ見えないが、体格と声で女性ということが分かる。そしてツォウは、非常に小さく基礎教育部の少年のような幼い風貌だ。
 そんな二人を従えているフレイソルは、気高き黄金の長髪に凛々しく太い眉、可能性を秘めた大地のように鮮やかな褐色の肌に燃えるような赤い瞳を持っていた。
 フレイソルに従う羽生とツォウにとって、彼の意思は自分の意思と同じだ。心の中まで相手の意見に染まらなくとも、表向きはフレイソルと同調して動くことになる。だから羽生とツォウも、ジョイナーに対して批判的な立場をとっていた。
 言うだけ言って出て行こうとするジョイナーを見ると、フレイソルは強く机を叩いて立ち上がった。
「ジョイナー教諭! さすがに今回の内容は腹に据えかねる! 俺には、あなたの方針が、生徒の自主性を隠れ蓑にした、ただの怠慢に思えてならない!」
 背を向けて出て行こうとしていたジョイナーは、フレイソルに向き直ると、小馬鹿にしたような笑みを見せた。
「おいおい、俺のどこが怠慢なんだよ。協力的じゃないか」
「どこが協力的なものか! あなたの授業はいつも生徒に課題を放り投げて終わり。我々から答えを待つばかりではないか! しかも課題をこなしたところで、あなたは答案や実践を見るだけで、向上するための知識や心得を与えてくれない。これには実に不服だ。教員として我々に指摘しているのは認めたとしても、教えて育てる指導という基本的な義務を怠っているとしか思えない!」
「そう熱くなるなフレイソル……。正直、教育論なんてものは人それぞれだ。俺はただ、お前らにそうやって、何でも教えてもらえるとは思って欲しくない。何故かと言うとだな……。お前らが卒業して階級を取得すると一人前とみられるからだ」
 ジョイナーは身振り手振りを交えながら、わめくフレイソルを見て、眉間にシワを寄る。やがて、やれやれといった様子で溜め息をつくと、教卓の前に戻った。
「分っていると思うが、階級をもらって一人前になれば、あとは誰にも教えてもらえない。自分でどうにかするしかないんだ」
 教卓に肘をついて身を乗り出し、聞き分けのない子供に優しく言い聞かせるようなジョイナー。
 その仕草を見たフレイソルの額に、青筋が浮いた。
「しかし、学校とは教える場であり、教えを請う場ではないか! それを、考えさせるだけ考えさせ、実践させて否定したあげく放置されては、事の善し悪しが見えなくなってしまう! 生徒を導かなければ、学校としての道理が成り立たないはずだ!」
 ピシッと言い切ったフレイソルの言葉に、生徒たちが同調する声が続く。
 盛り上がる声に、ジョイナーは耳をふさぐと、雰囲気の違う一画を見た。
 そこには、フレイソルを筆頭とした、ジョイナーに批判的な生徒に対して、チュイが不服そうに睨めつける姿がある。後ろでは八重子とバルバロが様子を静観していた。
 その様子を見て、ジョイナーは彼女たちをバカな奴らだと思った。
 なぜなら、フレイソルの言い分を、彼は受け入れているからだ。
 ジョイナーには教育をしている意識などない。
「――事の善し悪しが見えなくなるのは、俺の否定の中から、問題点を捕えることすら出来ないほど、お前らが未熟だということだ。それじゃあ、半年後の卒業試験の結果も分かったようなもんだな」
 わざとフレイソルと目を合わせて鼻で笑うと、ジョイナーは「さぁ、今日は終わりにするぞ。さっさと帰れ」と、手を叩いた。
 瞬間、フレイソルは怒りで拳を強く机に打ち付けると、気高い金髪を逆立てて、歯を食いしばる鬼のような形相で立ち上がった。

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