世界樹の魔法使い 1章:天刺す尖塔と不良教師 ⑥

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 夜の天刺す尖塔は静まりかえっていた。
 といっても、半年も続く夜の空は代わり映えを見せない。ずっと暗澹とした帳の上に星と月を輝かせ、雲間から降り注ぐほのかな光で、天刺す尖塔と聖天都市を照らしている。唯一違うのは星の位置や種類ぐらいなものだった。
 その静けさは、中心に聳える特別教育部も例外ではない。教員が最上階の下にある自室に戻り、生徒も寮へと戻った今では、随分と静かになっていた。
 ジョイナーも今は、自室に戻っていた。
 魔法で作られた小さな光の球体がデスクと紙を照らし、ペンを持つ彼の右手が小刻みに動き回るのを、強い陰影と共に映し出す。見るからに紙に書かれている文字は乱雑で、急いで内容を取り繕っているのが目に見えて分かる。
 ジョイナーが必死に書いているのは、今回の件に関する始末書だ。
 獣人の生徒がケガをするに至った経緯や、なぜそのような指導内容を選んだのか。それに対して自分が思う事や、今後の心構えなども書かなくてはならない。
 ケンブリーも校長という立場の手前、今回の件を隠し立てすることはできない。だから、面倒でもジョイナーが書かなくてはならない。しかも、世界樹に報告として上げた後に、重大な問題として取り上げられないよう、嘘八百を書き並べて誤魔化すのが絶対だった。
 普段のジョイナーにとっては容易いことなのだが、モヤモヤとした気分が筆を走らせる邪魔をして、いたずらに時間を浪費させていた。
 もう少しで書き終わるのに、チュイの言葉がジョイナーの集中力をそいでいく。
(あのね、先に言っておくけど、私は多分、ずっと先生について行くと思う)
 馬鹿げていると一蹴してしまえば良いのに、彼女の言葉はジョイナーの心を支配していた。
 師という存在の自分に、いつかは付いていこうとする相手が現れるだろうと覚悟はしていたが、いざ現実となると動揺を隠せない。
 でも、あの言葉は本気なのだろうか。
 もしも本気なら、どうにかしなくてはならない。
 絶対に付いて来させるわけにはいかない。
 ジョイナーは息を吐いて自分の頬を張ると、始末書の締めくくりを決めに入った。
 結局、始末書があがったのは、それから三十分も時間が経った後。
 時間を気にしながら、素早くコートを羽織り、自室を出ようとするジョイナー。だが、こういう時に限って、嫌がらせのように財布が姿を見せない。いっそのこと財布を持たずに出てやろうかと思った矢先、コートのポケットから財布が見つかった。
 ジョイナーは苛立ちを覚えつつ自室を飛び出すと、足早に特別教育部を出た。
 後ろを振り返ると、特別教育部の頂上で青い炎が十一本揺らめいている。
 めらめらとした赤は午前中、ほのかな青は午後を示していて、時間毎に一本づつ炎が足されていく。つまり今は午後の十一時、深夜に入った頃合いだ。
 本当は三十分前に、監視官のワンと校長のケンブリーと待ち合わせをしていたのだが、完全に遅れている。
 特別教育部から尖塔の正門まで、ぽつぽつと街灯のランプが光を落としている道を、ジョイナーは足早に歩いていった。
(くそっ、あいつらが大人しくしてりゃ、こんな事にならなかったものの……)
 チュイと八重子とバルバロの姿が脳裏をよぎり舌を打つ。
 だが、結局は自分が蒔いた種である。どれだけ仏頂面になったところで、始末書を書く気分が乗らないなんて理屈は通らない。上の立場にいるケンブリーの体裁を考えると、嘘八百を並べ立てて脚色された始末書であっても、書いておくのが助けてもらっている者の努めだった。
 生徒達の寮を通り過ぎる。この時間は誰の声も聞こえず明かりもない。寝ていなくても、複数人の職員による巡回で、下手に外に出ることはできないはずだ。
 特に半年間の夜が始まったばかりの今は、脱走者が一番多く出る時期だ。形式上とはいえ、普段より警備が厳重になっている。それでも脱走に成功する生徒はいるのだが、やはり最後に捕まるがオチだった。
 聖天都市から出た瞬間にあるのは極寒の地獄。息も凍り付く自然の猛威を見れば、ローブに外套を羽織っていても、生きて故郷に帰られるなんて幻想は吹き飛んでしまう。
 しかも、天刺す尖塔と周りを囲う聖天都市が、魔法で住み良い環境が作られている事は、誰しも忘れがちだ。だから、どんな脱走者も、まず心が折れてしまうのだった。
 そんな管理された生徒たちの寮を通り過ぎてジョイナーが向かうところ。
 それは、聖天都市の酒場だった。
 こうやって夜に尖塔から抜け出す教員や職員は彼だけではない。生徒たちが寝静まると、一部の若くて活動的な教職員は、こっそりと尖塔を抜け出して聖天都市へと羽を伸ばしに行くのが常だった。
 倉庫を超えて歩いて行くと、天刺す尖塔と聖天都市を隔てる巨大な壁と正門がある。
 たどり着くと、一人の守衛が壁の中に作られた警備室であくびをしていた。
 何の臆面もなく、ジョイナーは守衛に近づいて話しかけた。
「よう、ごくろうさん。今日もたのむわ」
 門限はとっくに過ぎているのに、悪い習慣である。守衛は別に警戒するでも諫めるでもなく、むしろ朗らかな笑みを返して、自身が居る警備室の入り口を開けた。
「今日は珍しく遅いですね。校長と監視官は先に行かれましたよ」
「やっぱりか……。ちょっと今日はゴタゴタしてて遅くなったんだ」
 ジョイナーはきまりが悪そうに笑うと、警備室を通って聖天都市に出て行った。
 一枚の壁を隔てた先には、天刺す尖塔とは全く違う光景が広がっている。
 雪解け水が溢れる噴水広場を中心に、尖塔を囲むように作られた円形の平らな町。尖塔と同様に石畳が敷き詰められていても、そこには幾度と無く通った荷馬車が、うっすらとした窪みのラインを作っている。ここには生活の香りが充満していた。
「おっし、今日は飲む……。むしろ飲まずにいられねえ」
 ジョイナーは小声でつぶやくとニタリと笑みを浮かべ、町に入っていった。
 商店の通りは暗く寝静まっていて、遅い時間の仕事をしている者か、酔っ払って歩いている者しかいない。明かりも魔法で光るランプがいくつか灯っているぐらいで、町自体が真夜中の様相を呈している。
 それでも、商店の並びから外れた細い路地からは、まだ眠ることのない、賑やかな声と明かりが漏れてきていた。
 ジョイナーが気分も上々に、外れた路地へと入っていくと、そこには様々な酒場が軒を連ね、活気に溢れていた。明かりも魔法ではなく、本物のランプに火を灯している。
 ジョイナーは顔見知りの男を見ると、「よお、元気にやってるか」などと言いながら、軽い挨拶程度に互いの手をタッチしてすれ違う。
 ここは、三年の間にできた、なじみの通りだ。
 顔を知らない相手でも、ジョイナーを見かけて町の人々は時に声をあげ、時に握手を求め、時に深く頭を下げた。
 聖天都市に住む一万人にも及ぶ人々は、世界樹に選ばれた魔法使いの信奉者ばかりだ。
 そんな彼らにとって、ここでの生活は名誉なことであり、幸福の極みだった。
 自分たちの普段通りの生活が未来を担う魔法使いの役立つのだから。
 そんな信奉者が、師であるジョイナーを見た時の気持ちというのは、一般的な人々にとって、偶然にも有名な貴族や王族を見た時と同じような心地だ。
 こうしてジョイナーが辿り着いたのは、二階建ての小さな建物。地下に続く階段の先から聞こえる賑わいの在処が、行きつけのバーだった。
 中に入ると、ゆったりと漂う音色が耳をくすぐる。薄明かりの中にカウンター席が六つと、四人が座れる背の高いテーブル席が二つ。店内は既に満席だったが、地上で繰り広げられる酒飲みの賑わいとは違い、落ち着いた雰囲気がある。店の奥では男がひっそりと弦をつま弾いて、耳障りにならないぐらいの音量で演奏をしていた。
 ジョイナーとしては、もっとざっくばらんで明るい所が良いのだが、ケンブリーがリズィに合わせているうちに、この店に来るのが定着してしまっていた。
 背の高い丸いテーブル席に陣取るケンブリーとワンの姿を見つけると、ジョイナーが軽く手を上げる。丁度ジョイナーと視線が交わる位置にいたケンブリーは、彼に気づくと手に持っていたグラスを軽く上げた。
 そして、背を見せていたワンが振り返る。
 仄かな光に、彼の姿が浮かび上がった。

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