世界樹の魔法使い 2章:争う尖塔の学生たち ④

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「まずは今回の行動が、ジョイナー教諭のあらゆる汚点が積み重なったことが理由であることを、校長先生にもご理解頂ければと思います!」
 既に自らの発言を我慢して、怒りで顔を赤くしているチュイ。彼女とフレイソルの後ろでは、膝をついた取り巻きたちが、二人の暴走に付き合っているという諦めの空気を漂わせている。
 静かな室内にフレイソルの語調が強くなった声が響き渡ると、それは見事にケンブリーの頭痛こを刺激した。
 今更後悔しても、発言の機会を与えたことでフレイソルがとまるはずもない。
 ケンブリーは頭を押さえながら、考えている様を装って話を聞いていた。
「勝手を承知で理由を述べさせて頂きます! 第一に不服なのは、我々の授業に対する彼の適当さ。生徒に自分で考えて努力する機会を設けると言っておりますが、あれは彼の屁理屈、妄言にすぎません! 我々に全てを丸投げして、何か反応があるまで放置する算段です。第二に不服なのは指導の乱暴さ! つい先日もですが、指導という名の下に奴はやりたい放題です。実際、私が彼に意見したところ、強化魔法を少しかけられていたとはいえ、火傷を負わされるような体罰的指導をされました。しかも授業においては、酒をあおったことによる二日酔いで、生徒に実戦でやられるという体たらくです! 今はこうして掻い摘んで申し上げてはいますが、もしも詳しい証言が必要なのであれば、いくらでも申し上げます! また、私だけの証言で足りないならば、私の他にも彼に不満を持つ級友を集めて参りましょう!」
 吠え続けるフレイソルの声が、ケンブリーの頭痛を刺激し続ける。
 ケンブリーは早く終わって欲しいと願い続けると、ふと視線を感じた。
 目をやると、チュイがじっと見ている。
(こいつ、僕の二日酔いに気づいてる……!?)
 ケンブリーは額に脂汗を浮べながらチュイを見ると、『お前の先生は解任にはならない、大丈夫だ』という意味を込めて頷いてやった。
 リズィは、そんな自分の上司を横目で見ながら、誰も彼も勝手な人ばかりだと見下げていた。
 その間もフレイソルの言葉は止まらない。
「そもそも、私には四十五もの罪を背負った男が、なぜこの天刺す尖塔の教員をすることが出来ているのか、はなはだ疑問を持たずにはいられません。ですが、いくら犯罪者であろうとも、我々に対して真摯な教育を施してくれるならば構いません。ですが! 彼は教員として失態を重ねすぎている!」
 その時、我慢をしていたチュイが、むっとして手を上げた。
「はい! ちょっとだけ言わせて下さい」
「はい、どうぞ」
 ケンブリーは、フレイソルの声から逃れられると思うと、快くチュイに手を向けた。
 先ほどケンブリーが送った視線の意味を、チュイはちゃんと気づいていた。
「先生は確かに適当だし、やりかたも乱暴なのかもしれないけれど、一から十まで教えないのは、自分で自分を磨く訓練をするためでもあるって、言ってました。それに人間と獣人を区別する天刺す尖塔の中でジョイナー先生が一番、私たち獣人と人間とを分け隔て無く接してくれます。……だから、なんて言ったらいいのかな、私には必要です!」
 チュイの言葉が終わると、ケンブリーはフンと一つ鼻で息をつき、視線を落とす。
 何を言われようとも、結論は出ている。
 ジョイナーを解任することはない。
 例え世界樹にこの件を持って行っても、彼が解任されることはない。
 彼だけは特別だった。
 それでも、彼の行動が許されるわけではない。こうして生徒に鬱憤をためさせてしまい、幼い頃からの仲であるケンブリーに迷惑をかけている。
 ケンブリーの中では、ジョイナーに味方する心づもりなど昔からできていたが、それでも有り余るだけの被害をは受けている。
 それも一度ではない。何度も。
 地方の魔法学校時代から一緒だった二人。今のジョイナーとは違い、過去のジョイナーは問題を起こすような人間ではなかった。それでもケンブリーは、どれだけ親身になってジョイナーのことを心配してきただろう。砂漠の世界樹に入って、夜滝と出会ってからもそうだ。そして、彼と一緒に天刺す尖塔に飛ばされてからも。
 瞬く間に、ジョイナーとの黒い記憶がケンブリーの中で巡っていく。すると、ふつふつと沸いてきた苛立ちが、ぷつんと彼の中にあった良心のようなものを切った。
(たまには、あいつも自分で尻を拭うべきなんだ……)
 ケンブリーの丸いメガネが怪しげに光る。
「なるほど、言いたいことはよく分かった。だが、残念ながら僕には彼を解任する権利はない。彼を解任するためには世界樹を通さなくてはならないんだ……。それには、それ相応の説明材料が必要になる。……言いたいことは分かるか?」
 フレイソルのケンブリーを見る目が眇められ、気持ちが戦闘態勢に入る。
「……ジョイナーを解任するに足る説明材料を私が用意しろと」
「平たく言うとそういうことだ。察しがいいな」
 その言葉にフレイソルの口角が不気味につり上がった。
「わかりました! ならば、私は彼を解任させるに足る証拠をそろえてきましょう!」
 やる気に火を付けられたフレイソル。
 その火はチュイに燃え移り、彼女もまた鼻息を荒くしながらケンブリーを見据えた。
「なら私は、先生が私たちにとって必要だって証拠をそろえる!」
 顔を合わせたフレイソルとチュイが視線を絡ませて火花を散らす。
 それをリズィが「おやめなさい!」と、いさめた。
 再び落ち着いた空気に戻ると、ケンブリーは二人に向かって口を開き、正式に二人に伝えた。
「改めて言う。チー・チュン・チュイ、ヴァン・リーオ・フレイソル! 君たちがジョイナーに対して相反する意見を持つのであれば、互いに僕を納得させ、立証に足るだけの証拠を持ってくることだ。もしも、僕の説得に足る資料が集まったならば、そのときは僕も君たちの話を吟味するとしよう。……今日はもう戻りなさい」
 ケンブリーはそう言うと、チュイたちを退かせた。
 生徒たちが去っていったのを確認すると、リズィはやれやれといった様子で、ケンブリーを見つめる。
「いいんですか、あんなこと言って」
 呆れつつも優しい彼女の声を聞くと、ケンブリーの真剣モードの電池が切れた。同時に体調の悪さが戻ってくると、彼は頭を押さえて背もたれに体を沈めた。
「いいも何も、あのままフレイソルの声を聞き続ける方が体に毒だよ。それにチュイの高い声で叫ばれたら余計に響く。二人に口論なんてさせたら、その瞬間に僕の頭は破裂してしまうよ。それなら、ジョイナーの蒔いた種なんだから、たまにはあいつに何とかしてもらうさ」
 それを聞いたリズィは「そうですね。たまには、それでいいと思います」と言って、クククッと口に手を当てて笑っていた。

***

 このときジョイナーは医務室に居た。
 相変わらず色々な薬草の香りが充満した室内。
 そのベッドの上で、ジョイナーはウトウトとしながら気分が治るのを待っていた。
 人の立ち寄らない医務室は、ゆっくり休みながら二日酔いを治すのに絶好の保養地だ。
 二日酔いを見つからずに治すことができる絶好の保養地だ。
 ジョイナーはベッドの中で天井を見上げながら、自分がフレイソルの理想の教師像に近づいたことで、相手の態度が一変したことを思い返していた。
(まあ結局、あいつも、世界樹の大人たちに理想を描く子どもってことか……)
 薄い笑みを浮べると、もう一眠りしようとするジョイナー。すると、誰かから魔力が入ってくるのを感じた。
 指を鳴らすと、半ば眠っているような状態のまま、ジョイナーはケンブリーの声を聞こうとした。
『さて、今頃は一人でのんびりとしている頃かな? もう分かってるとは思うけれど、今日の体調がばれてしまったみたいだね……。変に生徒と戦ったりせず、今日は一日見てるだけにしておけばよかったのに。おおかた君のことだろうから、勢いでいってしまったか、うまく拒否できないような状況になったんだろう』
「余計なお世話だよ」
 ジョイナーは目を瞑ったまま悪態をついた。
『まぁ、本題はここからだ。今日うちにチチチの子と貴族のボンが来た。言わずもがな、君の二日酔いのことだったよ。ほんと面倒事を持ってきてくれたおかげで、僕も二日酔いを隠すのがしんどかったよ……。しかもフレイソルは、堪忍袋の緒が切れていて、君を解任するように直訴してきたよ。もちろん僕に権限はないし、するつもりもないんだが、それでは彼らも納得しないだろ。そこで、丁度フレイソルに反対するチュイもいたことだし、今回の件に関しては君自身に尻を拭ってもらうことにしたよ』
「あ?」
 おかしな言葉が聞こえたとばかりに、ジョイナーは身を起こして通信に耳を澄ませた。
 ケンブリーの含みのある言葉にジョイナーの表情が険しくなる。辺りがいつもよりもシンとしているように感じ、続くケンブリーの声を聞くことに注力した。
『まぁ、特にジョイナーにしてもらうことはないんだけど、厄介なことにはなるかもしれない……ように仕向けた』
「おいおい、何だよ、どういうことだよ……」
 思わずジョイナーは相手が居ない通信音声に対してつっこむ。
『内容は単純だ。チチチの子には君が必要であるという証拠や証言を、フレイソルには君が必要ではないという証拠や証言を調べるように言った。その上で僕が納得できるならば、しっかり吟味しようという話だ。事実、結果は変わらないんだけどね』
 ついに眠気が消え去って、ジョイナーの目を見開かれる。
 そして、面倒臭そうにベッドに倒れこむと、「うそだろ、えー、まじかー……」と体を丸めて悶えた。
 だが、ジョイナーのことを調べられた所で、何か分かることはない。誰に聞いても関係なく、分かるはずがないのだ。そう、《師・四十五罪・黒腕のサン・テンペスト・ジョイナー》という人間のことについて、過去《一級・破壊・太陽のサン・テンペスト・ジョイナー》だった頃の話は、誰もできるはずがない。
 ジョイナーにとって鳥籠である尖塔では、そうなっているのだ。
 だからジョイナーは、何もしないことに決めると、眠ることにした。
 誰もいない窓のある部屋に、少しほこりっぽいがフカフカのベッド。静寂の中には自分の安静を邪魔するものはなく、強く感じるのは薬草の香りだけ。
 とりあえず今は平和だから、それで良い。

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