世界樹の魔法使い 2章:争う尖塔の学生たち ①

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 世界には三種類の魔法使いが居る。
 まずは社会的魔法使い。彼らは限定された些細な魔法のみを扱うことはできるが、正式な魔法使いとしては認められてはいない。魔法の制御の仕方は学ぶが、あとは一般的な人と同様の生活を送り、魔法も仕事の中でのみ使うことを許されている。
 次に職業魔法使い。彼らはジョイナーと同じく、様々な魔法を操る才能を持ち、それを操る素養を魔法学校で学んでいる。そして、卒業と同時に階級を与えられてからは、砂漠の世界樹の魔法使いとして生計を立てることになる。
 最後は奉仕魔法使い。彼らは世界樹に籍を置きながらも階級はなく、実家の家業などを継いでいる者を指す。彼らには普段から魔法を使うことは許されてはいないが、世界樹の号令があれば、いつでも魔法を使う義務を背負う。
 天刺す尖塔に所属する生徒の全てが職業魔法使いとなる。
 人間の生徒のほとんどは、枢密院を見据えた幹部候補であり、獣人の生徒のほとんどは、世界樹と獣人の種族を強く結ぶための外交的に重要なポストの候補である。
 それは、上に昇ることを許された華やかな人生に思えるが、裏を返せば、彼ら自身が何かを起こそうとする人にとっての障害になりかねず、命を狙われることも覚悟こしておかなくてはならいない。
 それ故に、天刺す尖塔は普通の魔法学校とは違い戦闘訓練をすることを課している。その重要性を示すように、こんな言葉が生徒たちに伝えられている。
『世界樹を背負う者は人を背負う者、己が傷つけば百万が傷つき、死すれば百万が死ぬ』
『世界樹の獣人は、己が傷つけば人間との絆が傷つき、死すれば一族は孤立する』
 人間の魔法使いにとっては、自分という存在がどれだけ世界にとって重要なのかを考えさせる言葉であり、獣人の魔法使いにとっては、自分が将来的に一族と人間を介する要であることが示されている。
 だが、その言葉の裏には、獣人が世界樹の要職に就くことができないことが示され、例え優秀な魔法使いであろうとも、一族の中に留まる事を求めていた。
 そして、この二つの言葉には、共通していることがある。
 結局、責任を負う者は人々を守る宿命にあるということだ。
 だから、天刺す尖塔で行われる実戦訓練は《体感して吸収する》ことが求められる。
 その内容は、通常の魔法学校のように、魔法が人を傷つける危険なものだと、伝えるだけではない。さらに、相手を無力化することを目的とした、手加減抜きの戦いをする。
 相手に負けないための努力と相手と自分が傷つく緊張は、良くも悪くも実戦の結末は、尖塔に所属する生徒達の素養を高めることになるのだ。
 その実戦は今日も、天刺す尖塔の地下で行われている。
 洞穴のような岩肌を露出している、ドーム状の広大な空間。
 ここは長年、生徒たちの実戦演習が行われてきたところだ。
 点在するひび割れや窪み、切断面や鋭い隆起、落ちている岩や細かい砂、その全てが、先代の人々が残していった歴史の爪痕なのだ。
 今もまた、生徒たちは自分の歴史を刻みつけようとしていた。
 真ん中で対峙しているのは羽生とバルバロ。
 二人が指先ぐらいの大きさにしか見えない位置で、ジョイナーと他の生徒たちが、二人を見守っていた。
 バルバロは相手を目で捉え続けたまま、ジリジリと横に移動して巨大な岩に近づく。
 対して羽生は、顔全体を包帯で巻いているにも関わらず、全く構えていない。だが、彼女はバルバロの動きに合わせて『私には見えています』と言いたげに首を回していた。
 その様子を、ジョイナーは椅子に腰をかけたまま見守っている。頬杖をついて眉間にシワを寄せ、歯を食いしばりながら、思い出したように目頭を押える。
 そんな厳しいジョイナーとは対極的に、生徒からは緊張感を感じることはできない。
「今回の勝ちも、羽生で決まったようなものですね」
 スズメのツォウが、嬉々としたボーイソプラノでささやくと、フレイソルは「当然だろう」と、自信に満ちた様子で羽生を見ていた。
 それを聞いた八重子は横目で彼らを睨んだが、何も言い返すことができなかった。
 基礎教育部での演習から今回の実戦演習まで、ずっとバルバロは羽生に勝ったことがなく、今回も初勝利の期待はできなかった。
 だから八重子は何も反論できず、他の生徒たちも、このカードに対する関心が薄い。
 バルバロは攻守共に兼ね揃った肉体と、ぶつかっていくだけの勇気を持っているが、猪突猛進で野性的な行動が多い。 常套手段で戦う相手や知性のある者にとっては、バルバロの戦い方は不可解でやりづらくなるが、野生は万能ではない。
 なぜなら、野生をも振り回す自然という敵がいるからだ。
 その自然の変化を乗りこなし、周りの変化に身を任せるのが羽生の魔法だ。
「バーーー!!」
 バルバロは身の丈の三倍はありそうな岩に近づくと、一気に行動にでた。
 十分距離を保ったまま、強化魔法で屈強な肉体を更に強く作り上げるバルバロ。浅黒い体に血管を浮かせて力をたぎらせると、その岩を持ち上げた。
 羽生はバルバロの動きを察知すると体の力を抜き、辺りに全神経を巡らせる。
 バルバロは相手の様子に気付きもせず、突き進んでいった。
 彼は、羽生がどうやって自分の攻撃を返してくるのか、全く予想がついていない。しかも、彼女が普段どんな戦術を駆使するのかも覚えてはいなかった。既に何回も説明されているはずなのに、バルバロは思い出すことができなかった。
 ただ一つだけ、相手から攻撃を仕掛けてこないことだけは覚えている。
 ならば先制攻撃で、彼女の肉体の数倍もある岩を投げ込んでしまえば良い。
 きっと、羽生は岩を砕ききることはできず、ダメージを受けることになるだろう。
 肉体の強化を得意とするバルバロにとって、それをこなすのは容易かった。他の人でも強化魔法は使えるが、元の肉体は屈強ではない。こういった力技は彼の専売特許だ。
「ガァアア!!」
 バルバロの腕が何メートルもある岩を持ち上げ、投石機のように振りかぶる。
「バーーーーー!」
 直後、正に砲弾のような投擲。腕を振り抜いた風と共に、何メートルもある巨岩が羽生に向かって飛んでいく。
 岩で追いやられた空気が強風となって生徒を襲うと、ジョイナーは険しい表情のまま、教室での事件と同じように、身を守るための強化魔法を生徒たちにかけた。
 次の瞬間、巨岩がドームの壁面にぶつかった。
 地面を揺らす程の破壊力で砕け散ったそれは、耳を塞ぎたくなるような轟音を鳴らして、土煙と一緒に無数の礫を放つ。
 大量の飛礫の中に羽生が居るかどうか、バルバロの視線が左右にゆれる。
 晴れてゆく土煙の中に、彼女の姿は見当たらなかった。
「バー……」
 安心したバルバロの口元が得意気にほころび始めた。
「決まったな」
 ジョイナーはポツリと漏らすと、周りの生徒に再び強化魔法をかけた。
 同時に羽生の強い「いけ」という声が響き、舞っていた飛礫が散弾と化した。
 バルバロ三人分の巨岩から生み出された無数の石が散弾になり、縦横無尽に飛び回る。不特定多数を目がけて飛び散ったそれは、一つでは些細でも無数ともなれば凶悪だった。
 飛礫は天井・壁・地面と場所を選ばずにぶつかり、巨大な滝が打ち付けるような轟音を鳴らす。
 暫くドームの中を音が跳ね返り、静かすぎるほどの沈黙が訪れると、天井に貼り付いていた羽生がバルバロのそばに下りてきた。彼女は、飛礫をあびて全身をポツポツと腫らしたバルバロに向くと、優しく声をかけた。
「ごめん、手加減した……」
 子どもを連れるようにして、バルバロの手を引っ張る羽生。
 当のバルバロは、自分の身に起きたことが分からず、文字通り目を点にしたまま引っ張られていた。
 ジョイナーは依然として、厳しい表情をしていた。
 すると、近くに居たチュイが心配そうに顔を覗き込んできた。
「ねえ、先生大丈夫?」
「あ? なんだよ、あんま近寄んな」
 冷たくあしらってもチュイの鼻はごまかせなかった。
 小さく返すジョイナーの言葉など気にもかけず、チュイはジョイナーの吐息をクンクンと嗅ぐと顔を顰めた。
「――うぇ、先生お酒くさい」
 ジョイナーは口の前に人差し指を立てると彼女に耳打ちした。
「だから近寄るなって言ったろ。まぁ、なんだ……二日酔いなんだ」
 ばつが悪そうにジョイナーが答える。
「あっなるほど、朝からさ、何だかおかしいなって思ってたんだ」
 えっへんと、胸を張るチュイに、ジョイナーはげんなりとした顔で釘を刺した。
「内緒にしといてくれ」
「うん大丈夫、言わないよ」
 チュイが元気よく頷くのを見ると、ジョイナーは微苦笑した。
「という訳で、今日は離れて静かにしておいてくれ」
 さすがに他の生徒には口が裂けても言えるようなことではなかった。
 正直、昨日の酒盛りで何を話したのかも曖昧にしか覚えていない。後半はなにやら自分でもタガが外れて、普段は口にはしないような事を言っていたような気がする。
 一番鮮明に覚えているのは、リズィの鬼のような形相と、彼女に部屋まで運ばれていく記憶。最後は随分な捨て台詞を残された記憶もある。今朝から痛む尻の鈍痛は、その時にでも蹴られたのだろう。
 何にしても、二日酔いのジョイナーに今の状況は酷だ。
 訓練では生徒達が暴れる音がうるさい。
 魔法は声を出さないと使えないのでうるさい。
 たまにある生徒の応援がうるさい。
 バルバロの叫び声が一番うるさい
 まぁ、とにかくうるさくて、頭に響くわけだ。
 いつもなら憎まれ口を叩きながら指導するところだが、今日のジョイナーにはそんな元気はない。それでフレイソルや周りが騒ぎ出したら、たまったものではなかった。
 目の前にバルバロがしょんぼりと歩いてくる姿を見ると、ジョイナーはだるそうな声で一気に説明した。
「はい、詰まるところさ、お前、相手がどんな魔法使うか覚えてないだろ。まず、そこを覚えろよ。でないと、どこでも通用しないからな。羽生が使うのは拝領魔法だ。自分から魔法は使えないが、相手が魔法で起こした環境の変化を即座に利用できる。まず、これを覚えろ」
「ばー……」
「はいだ」
「ハイ……」
 ジョイナーはイラッとしながらも、しょんぼりと大きな体を縮こまらせているバルバロを見上げながら、ざっくりと説明していく。
「いいか、面倒だから一回しか言わないぞ。羽生が魔法を使ったのは二回。まず、お前が岩を投擲した時に巻き起こした風を利用して自分の体を舞い上げた。そして、砕けた小石を利用して無差別に攻撃したという感じだ……。だが、拝領魔法しか使えない奴には弱点がある。バルバロ、お前の分野でもあるが分かるか?」
「ばー……、カクトー?」
「そう、魔法を介さない肉弾戦だ。そっちに自信があるなら、お得意の肉体強化で相手を叩きにいけ。間違いなく勝てる」
 ジョイナーは、そのまま羽生に目をやった。
「で、羽生、この短時間に二度の拝領魔法は使いすぎだろ。正直、消耗が激しいはずだ」
「――はい、おっしゃる通りです」
 包帯で目が見えないはずの羽生だが、しっかりとジョイナーを向いて頷いている。
「拝領魔法の魔力消耗は、相手が使った魔力に比例する……。今回、お前はバルバロの全力の投擲に対して二回魔法を使ったんだ。単純にあいつの倍、消耗があるんだ。もし、俺の全力の魔法に対して拝領魔法を使ってみろ。魂ごともって行かれるぞ。拝領魔法のポイントは相手が小さな魔法を使った時に、それをどれだけ大きく返せるかだ。一に対して二以上で返すことを考えろ。以上だ」
 ジョイナーは胸一杯に空気を吸い込むと、そのまま吐き出して立ち上がる。
 これで十名の戦闘訓練が終わり、ようやく解放されると思うと心が穏やかになった。
「いやあ、実に理想的な授業でしたジョイナー教諭」
 拍手をしながら満面の笑みで近づいてくるフレイソル。
 張りのある褐色の肌に金髪と白亜のように白い歯は、青年特有のエロスを感じる。
昨日とは打って変わっての姿にジョイナーが怪訝な顔をすると、彼は相手をなだめるように手を前にだし、「いやいや」と首を横に振った。
「そんな顔をしないでください。私はあなたを見直したんです。今までとは違い、我々にもきちんとフィードバックを返してくれる授業、正に理想的でした。意見が的確なのは、さすが誉れ高き砂漠の世界樹から来られた師だと感心せざるを得ません。このヴァン・リーオ・フレイソル、今までの私の言葉を受け入れて下さったことに感動すると共に、この度は教諭のことを敬服致しました」
「えっ、いや……おい……」
(何言ってんの?)
 という言葉を伏せてジョイナーが戸惑っていると、フレイソルは頭を下げた。
「本日の実戦訓練で残るは、このヴァン・リーオ・フレイソルのみです。師よ……僭越ながら、どうかお手合わせ願いたいのですが……」
 結局フレイソルも世界樹を崇める者の一人。彼は今、自分の理想とジョイナーとが結びついたことで、自分の中の失望感から解放されていた。
 だが、決してジョイナーが変わったわけではない。彼は自分の二日酔いを知っているチュイに、救いを求めるようなアイコンタクトを送った。
 いつも何気なく自分のことをかばってくれる存在だ。先ほども心配していたのだから、きっと状況を理解してフレイソルを引かせるように計らってくれるだろう。そう彼は期待していた。

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