世界樹の魔法使い 1章:天刺す尖塔と不良教師③

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 ジョイナーは負傷したフレイソルを治癒すると、早々に教室を出た。
 内心ではスッキリとしていたが、フレイソルの真っ当な意見を、師という肩書きでねじ曲げたことを思うと、彼の気持ちにも陰りが生まれる。
 師が白と言えば、黒であっても白。そんな魔法使いの厳格な階級社会に、ジョイナーは、心の中がグズグズと腐っていくような気がした。
(俺だって、本当はこんなことしたくない……)
 背後で暗く淀んでいる生徒の空気を感じながら、ジョイナーは教室の扉を閉めた。
 何とも言いがたい気持ちに無意識に舌を打つ。
 そして早々に退散しようとした彼の目が、廊下を見るなり見開かれた。
「うそだろ……、おい、バカか! お前ら!」
 ジョイナーの顔が青ざめて、動揺しているのが声に現れる。
 先ほどまで生徒の罵声ですら、たやすく聞き流していたのに、廊下の光景を見た瞬間に、彼の余裕は失われてしまった。
(まてまてまて! ちゃんと俺は、こいつらに寮に戻れと言ったはずだ!)
 ジョイナーは一度天を仰ぐと、片手で頭を押えながら記憶を掘り起こしていった。
(何か俺にミスはあったか? いや、ない!)
 何度思い返しても間違い無い。ジョイナーは間違い無く、彼らに寮に戻るように伝えている。そう、チュイと八重子とバルバロには伝えているはずだった。
 だが、目の前には先ほどの爆発に巻き込まれたバルバロと八重子が気絶して横たわっている。それも、負傷した状態でだ。
 悪夢のような光景に、ジョイナーが頭を押えてしまうのも仕方がなかった。
(こいつら、聞き耳たててやがったのか……)
 ギリッと歯を食いしばり、倒れているバルバロと八重子を睨む。
 だが、言うことを聞かなかった相手を恨んだところでどうしようもない。
 ジョイナーは困り果てた。
 天刺す尖塔が獣人を授業外で負傷させたとあっては大問題だ。それも、獣人にとっては数少ない魔法使い。フレイソルと八重子のように、人間と獣人との間で軋轢が絶えない今、人間の魔法使いの師が、獣人の子どもに重傷を負わせたとあっては重大な責任問題に問われる。しかも、魔法学校でも一般的な町中でもない、一番信用されるべき天刺す尖塔で起きた事が大問題だ。
 おとがめで「めっ!」なんて怒られて終わるような問題ではない。
(まてまて、四十六罪目だと!? そのまま聞き耳なんて立てずに帰れよ、くそったれ。いや、コレも結局、俺の指導が原因ってことか……?)
 ジョイナーは苦虫を噛み潰したような表情で、眉間に親指を当てると、目の前に倒れている二人をじっと見た。
 手前のバルバロは、真っ先に自分の牙を守ろうとしたのか、丸まった背中に重度のやけどを負って気絶している。
 そして、その先では八重子が大きいしっぽを垂らして前のめりに倒れていた。
 しかし、チュイの姿が見当たらない。
(くっそ、どこだよ。大事になるのはまずいってのに……)
 焦りを覚えながら四方八方を見渡しても、チュイの姿は視界に入らない。この場を彼女が一人で立ち去ったとも思えず、ジョイナーは唇を噛んだ。
 すると、ジョイナーの頭の上に一滴のしずく。
 彼は顔を天井に向けた。
(っ!?)
 口を開いたジョイナーの視線の先には、シャンデリアのチェーンとクリスタルに絡まったチュイの姿。まるで猟奇的な芸術作品のように、彼女はシャンデリアと一つになって血を流していた。
 ジョイナーの表情に深刻さが増すと、背後の教室から生徒の気配がする。
『うわっ、ちょっと見ろよ』
『あー、こりゃフレイソルの言うとおりになるんじゃない? さすがに獣人相手に事件起こしたら、先生も尖塔には居られないでしょ』
「うっせ、黙ってろ!」
 言葉と一緒に手をかざし生徒たちを魔法で強制的に教室に戻す。同時に吹き飛んだ扉の代わりに魔法で黒い壁を作ると、そのまま生徒たちを教室に閉じ込めてしまった。
 ジョイナーは額に浮かぶ汗を拭うと、忍びない様子で親指と人差し指で輪を作り、指笛のように口に持っていった。
 魔法使いとなった者の基礎である、通信魔法だ。
 少しばかりジョイナーは躊躇すると、諦めたとばかりにため息をついて、指先に声をかけた。
「えーと、ケンブリー……、度々申し訳ないんだが、至急来て欲しい。今回は神室八重子も絡んでいるので、必ずリズィも連れてきてくれ。男だと運べないからな。以上。くれぐれも早急に、早急に頼む……」
 自然と言葉は尻すぼみになっていった。
 とりあえずケンブリーとリズィが来るまでに、この惨状を整えなくてはならない。中の生徒たちが騒がしいが、とりあえず放っておいても、魔法を簡単に壊すことはできないだろう。と、ジョイナーは厳しい顔つきで頷いた。
(まずは、こいつからだな)
 ジョイナーはオブジェと化したチュイを見上げると、更に表情を厳しくした。複雑に絡み合ったシャンデリアが、簡単に彼女の傷を増やしかねない状況だったからだ。
 覚悟を決めたジョイナーは、自分の魔力を放出して力化魔法を使うと、念力のように手足のような力場を作って、チュイを下ろそうとした。
 シャンデリアに絡まった時の傷は、既に血が止まるぐらい浅いようだったが、数が多いせいで、端から見るとグロテスクな大惨事に見える。
左手から放つ魔力でチュイの体を支え、右手の指で力場を操りながら、絡まったシャンデリアを解いていく。
 彼女の体に傷を増やさないように、絡まる宝石と貴金属で出来たチェーンを、ゆっくりと指で摘むようにしながらどかしてゆき、チュイをシャンデリアから引き出せるようになると、最後は彼女の体を左手で支えながら、ゆっくりと救出していった。
 見えない力場の上に乗って、ゆっくりと下ろされたチュイは、ジョイナーの腕の中に収まった。
「っよし! っと、ずいぶん軽いな……」
 ジョイナーは一度辺りを気にすると、指でチュイの首の動脈に触れる。
 脈は安定している。
 手の平を鼻先に近づける。
 呼吸も安定している。
 傷口も綺麗でちゃんとしてあげれば残らない程度。
 ひとしきり体を確認すると、ひとまず胸をなで下ろした。
 教室の中から聞こえる生徒のざわめきを気にしながら、ジョイナーは次に傷が重そうなバルバロにとりかかった。
 自分の牙を守るために、高熱の水蒸気をたっぷりと浴びた背中は、赤く腫れ上がって水泡ができている。ジョイナーは眉間にシワを寄せると、バルバロに強化魔法をかけて、彼の治癒力を強化した。
 グズグズになった皮膚が少しずつケロイドのようになり、硬くなった皮膚が少しずつ柔らかさを取り戻していって、沈むように平らになっていく。すると炎症も引いてゆき、元の浅黒く光沢質な肌に戻った。
 そして最後の八重子は……。
 とりあえず、女性のリズィが来るまで診ることができない。なぜなら、彼女を包んでいる分厚い対呪詛用ローブがなくなると、男はうかつに近づくことすらできないからだ。
 何か出来ることはないかと、ジョイナーがあごに手を当てて考えあぐねていると、荒々しい足音が背後から迫ってきた。
 振り向くと、ブロンドのおかっぱ頭に丸めがね、中肉中背の男。校長のフォルクス・セン・ケンブリーが、勲章をチャラチャラと鳴らしながら、息を切らせてやってくる。
 その隣には、ウェーブのかかった赤い髪がチャーミングな女性。秘書官のリズィ/アンだ。
 彼女は立ち止まると、いつもの如くジョイナーに視線で圧力をかける。
 そしてケンブリーは、倒れている生徒を見て頬を引きつらせた。
「お前は本当によくやってくれるね」
「――いや、今回はちゃんと対策はとったんだ」
 じとっとした疑念の目に、ジョイナーが両手を広げて抗弁していると、その様子を見ていたリズィが溜め息をついた。
「いくら師といえども、私たちにだってかばう限度というものがあるんですからね」
 再び溜め息をついて痛む頭を押さえる彼女を見ると、ジョイナーは頭を掻いた。

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