世界樹の魔法使い 2章:争う尖塔の学生たち ③

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 天刺す尖塔の特別教育部。その最上階にある校長室だけは、医務室と同じように大きな窓がいくつもはめ込まれ、開放感のある造りになっている。
 それでも今は半年間の夜。窓から見える景色は、点々と明かりの灯っている聖天都市の姿と、空に散った星の姿ぐらいなものだった。
 柔らかい椅子に腰をかけたケンブリーは、年期の入ったデスクに向かい、置かれた書類を前にして、難しい顔をしていた。
 リズィもまた、同じ部屋で書類を相手にしている。ケンブリーから少し離れたデスクの上で、ペンをスラスラと走らせている仕事姿は、もはや上司も顔負けの勢いだ。
 天刺す尖塔の校長職というものは特殊で、他の魔法学校とは全く違う。
 通常、魔法学校の校長職は、国単位や地域単位での校長会を開いて、カリキュラムの統一を行い、上部組織の教育情報管理室に許可をもらって、学校の教職員を指導する立場にいる。
 だが、天刺す尖塔は、その流れから外れていた。
 ここに所属する学生は、卒業すると同時に世界樹と密接につながるような、有力貴族・特異能力者・族長となる獣人の魔法使いの集まりである。基本的な教育方針は、世界樹にある教育局から直接くだされている。
 それ故に天刺す尖塔の校長は、教育局から受けた方針に合わせてカリキュラムを作成し、それに合わせて教員が作り上げた授業方針をチェックすることしかできない。
 だが天刺す尖塔の校長には、学校運営とは別の仕事がある。それは、周りを囲んでいる聖天都市の維持費の算出や、住民の世界樹に対する信奉度合いの調査。今後の必要経費の捻出と予算の取り合いとだ。
 そして今、ケンブリーとリズィが手をつけている仕事こそ、その聖天都市と天刺す尖塔の予算に関してだった。
「――すまん、リズィ」
 ケンブリーは天を仰ぐと、細かい数字の書かれた紙をデスクの上に置いた。正直、彼には下から送られてくる予算申請をどこまで信用して良いものか分からない。世界樹で既に組まれている予算は、第二の聖地だけあって潤沢なのだが、適当な仕事をして良い理由にはならない。彼にとって、こうしたデスクワークは苦手なものだった。
そして、この頭痛である。
 リズィは、ケンブリーのうなり声を聞くと、ペンを走らせたまま溜め息をついた。
「本当、情けないですよ。この時期になると先生はあいつに影響されすぎなんです」
「重々承知しているつもりではいるんだ……」
「承知できていないから体調を崩すんでしょう? 呆れて何も言えませんでしたよ。尖塔の校長が酔っ払って二日酔いだなんて……。前代未聞です! もしも、ここで教育局のお偉いさんが、視察にでも来たら、かばいきれませんからね?」
「だから悪かったって……」
「私に謝られても知りません! 授業を受けている生徒や他の教職員に謝って下さい。ちなみに、あのジョイナー先生とワン以外にですからね」
「参ったな……」
 ケンブリーは、リズィの針のように鋭く刺してくる言葉を聞いていると、彼女に蹴られた尻の痛みがよみがえってくるのを感じた。そして、ジョイナーとワンも彼女に罵倒されていたのを思い出した。
 師や一級の人間が、たかだが五級の魔法使いにこっぴどく言われるというのは非常に恥ずかしいことなのだが、彼女の正論の前では言い返す事はできない。
 しかもケンブリーの場合は、仕事上の弱みもある。
 一見彼は、切り揃えられた金髪に丸い眼鏡、形も中肉中背といったビジュアルで、理系を得意に見られがちなのだが、数字を扱うのはダメだった。研究職・戦闘・教育、どれをとっても申し分はないのに、これだけは不得意だ。
 そうなると、リズィの手助けが嫌でも必要になる。実際、こうして二日酔いで苦しんでいる彼を、彼女はせっせと助けていた。
 五級・明朗のリズィ。
 その仕事の出来映えは、二つ名に偽りはなく。間違いも偽りもない。
「なぁリズィ、ジョイナーの奴は大丈夫だろうか……。今日、地下での実戦だろ?」
 ケンブリーが話を振ると、リズィの机から拳を打つ音。
 体をビクッと跳ねさせたケンブリーがリズィに目をやると、彼女は睨め付けるような冷たい視線を浴びせていた。
「この期に及んで、よくもあいつの名前を出せますね」
「いや、そういうことじゃないんだ……」
「じゃあ、どういうことですか……」
 ケンブリーの額に脂汗が浮かび、息が詰まりそうな沈黙が漂いだす。すると、それを埋めるように階下から物音が聞こえてきた。
「――あれ? 今日は来客も会議もないはずですよね?」
 縮こまって思わず丁寧な言葉で聞いてしまうケンブリー。
「えぇ、今日は特に予定に入ってませんが……」
 彼の言葉を気に留めず、リズィはいつも通りに返した。
 最上階にある校長室が通り道になり得るはずがない。ケンブリーが疑問符を浮かべていると、リズィも不思議そうに耳を澄ませた。物音は間違いなく校長室に近づき、明瞭になった音は荒々しい足音と声に分離して、少しずつ慌ただしさを増していく。
「はなせ、この犬! 俺の道を阻むな!」
「やだぁ! だって先生のこと悪く言いに行くんでしょ!?」
「現に悪いからだろうが!」
 階下から聞こえてくるのは、ケンブリーといリズィが良く聞く声。
 今までの怒りに油を注がれたリズィは、歯をギリッと鳴らした。
「また、あいつの生徒……」
「おちついてくれ……、ジョイナーの生徒ってだけだろ?」
 ケンブリーは慌てて、リズィを制しながら胃を押えた。
 声は間違いなく校長室を目指し、近づく度にその声量を増していく。
「フレイソル、落ち着いて……」
「旦那! 今は冷静に冷静に!」
 と、フレイソルの取り巻きの声と、
「チュイ、あなたも落ち着きなさいよ」
「バーー!」
 と、チュイの取り巻きの声。
「頭に響くなあ……」
 ケンブリーは大きさが増す声で顔を歪めると、生徒たちの来訪に備えて姿勢を正し、正面にある扉の向こうをじっと見た。
 すると、その視線に応えるように、声がぱたりと消える。
 そして少し待つと、先ほどまでとは打って変わって、丁寧なノックが響いてきた。
「入りなさい」
 頭痛を我慢しながら、努めて冷静な声で応えるケンブリー。
 扉が行儀よく静かな音を立てて開くと、予想どおりの生徒が入ってきた。
 しかも、ケンブリーから見て左にチュイと八重子とバルバロ、右にフレイソルと羽生とツォウと、きれいに分かれている。
 ケンブリーは律儀に跪くチュイとフレイソルを見て、面倒が舞い込んできたのを理解すると、まず始めに明日にしてくれと言いたい気持ちに駆られた。
 だが、そういうわけにもいかず、彼は少し突き放すように口を開いた。
「何だ? まだ授業中だろ?」
 すると、フレイソルは怒りではなく悲哀の色が滲む目でケンブリーを見た。
「その授業が問題なのです……」
「――どういうことだ」
「失礼を承知で校長室に参ったのは他でもありません! 我らが担当教諭である師・サン・テンペスト・ジョイナーを天刺す尖塔の教諭から解任して頂きたいのです!」
 師に対してあるまじき発言。
 フレイソルも覚悟の上だろうが、彼の口から放たれた言葉は、ケンブリーを唖然とさせた。彼にもジョイナーの事だということは分かっていたが、フレイソルの言葉は予想以上に踏み込んで来るもので、二日酔いなど吹き飛ぶようなインパクトがあった。
 ケンブリーは、リズィの視線を感じて我を取り戻した。
(このまま、話を切って追い出しますか?)
 リズィが目で訴えかけてくる言葉を、彼は右手を軽く挙げて制した。
 フレイソルが普段から同じようなことを叫んでいるのは知っていたし、こうして直接自分に陳情しようとするところを見ると、冗談ではなく本気なのが垣間見えてしまう。
 ここまで腹を煮やしている相手を制止すると、どこで爆発されるか分からなかった。
 ケンブリーが隣のチュイを見ると、彼女は犬のようなクリッとした瞳で、彼に縋るような視線を向けている。恐らく必死にジョイナーへの擁護を願っているのだろう。
 ケンブリーの中で結論は出ているが、必死な生徒を前にして、事情一つ聞かないというのも、余りに情が薄い気がする。
 だから彼は「ふん」と一拍置くと、フレイソルに聞いてやった。
「なるほど。本来なら突き返すところだが、こうして直接私に陳情に来るだけの鬱憤がたまっているんだろう。とりあえず、ジョイナー教諭の解任を求める理由を聞いておこうか」
「寛大なお言葉に痛み入ります!」
 フレイソルは感謝を体全体で表現するように、勢いよく頭を下げた。

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