光量子計算と量子超越

この記事は東京大学応用物理学系 Advent Calendar 2020 10日目のものです。これまでの内容は以下の記事よりご確認ください。

はじめに

初めての方は初めまして、そうでない方はこんにちは。物理工学科の古澤・吉川研究室で光量子計算に関わる研究をしております、学部4年のなのと申します。どんな内容について書こうか迷ったのですが、そこそこ忙しい時期に記事を入れてしまったため、サクッと記事を書けるほど学がない数学や物理学の話をするのは諦め、一方で温めていたネタである本郷ランチの話を書くのも憚られるので、ちょうど先日話題になった光量子計算に関する話をしようと思います。

※以下の内容は、一学部生が書いたものです。不正確な表現・内容が含まれる可能性がありますが、ご了承いただけると幸いです。

光量子計算について

この記事をお読みの方の中には量子計算についてご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも量子計算とは何かといいますと、端的に言えば、「量子力学的な"重ね合わせ"を用いることにより、一種の並列計算を行うことで問題を高速に解くことが可能になると目されている計算機」と言って良いかと思われます。例えば、NP-intermediateに属する問題であるとされている素因数分解が多項式時間で解けたり(Shorのアルゴリズム)、N個の解候補から解をO(sqrt(N))で探し出すことができたりと(Groverのアルゴリズム)、古典的な計算機とは全く異なる動作原理に基づいたさまざまなアルゴリズムが提案され、次世代の計算機として注目を集めています。その中でも特に我々が研究している光量子計算機は、光子を情報量の媒体として用いる計算機であり、他の方式に比べてコヒーレンスを保ちやすい、エラー訂正が比較的容易、クロック数の大幅な上昇が見込めるなどの利点があるとされています。一方で、量子操作が難しいという欠点もあり、現時点では超伝導などの方式に遅れをとっているとの見方もあります。そんな中、先週中国の研究チームより「光を用いた量子計算により古典計算機に比べて驚異的な高速化を果たした」、いわゆる「量子超越」を達成したとのビッグニュースが舞い込んできました。このニュースについて、わたしのわかる範囲で解説を行っていきたいと思います。

なお、原論文はScience誌に掲載されています。

https://science.sciencemag.org/content/early/2020/12/02/science.abe8770

arXivでも読めます。

https://arxiv.org/ftp/arxiv/papers/2012/2012.01625.pdf

要するに何をやったんですか?

件の実験では、ガウシアンボソンサンプリングと呼ばれる問題を光量子によって解き、その解をスパコンで確かめ(!)、 それより100兆倍高速であったと主張しています。この問題は#P困難問題(解くこと自体は多項式時間でできる問題について、解の個数を求める問題)と呼ばれるクラスの問題であり、これはNP困難問題よりも難しいクラスであると考えられています。

量子コンピュータが実現したんですか?

残念ながらまだしていません。今回の実験は、上記のガウシアンボソンサンプリング問題を解くための専用デバイスとも呼ぶべき系となっています。特に、ボソンサンプリング問題を解くための回路は基本的にパッシブな線形光学素子、すなわち位相シフタ(屈折率の異なる媒質)とビームスプリッタ(光の一部を透過し一部を反射する、要するに普通のガラス)によって構成することができ、これは非常に容易なのですが、反面万能な計算は不可能であることが知られています。専門的な話をすると、万能な量子計算を構成するためには入出力について3次以上の非線形性を持つ媒質が必要であるという事実が知られています。さらに悪いことに、Gottesman-Knillの定理によれば、2次非線形性光学素子及び線形光学素子のみを用いた系では、ガウス型操作と呼ばれる操作のみが可能となるのですが、ガウス状態と呼ばれる状態(多くの自然な量子状態がこの状態にあたります)を入力としたガウス型操作では出力もガウス状態となり、この計算は古典計算機で効率的に(多項式時間で)シミュレートできることが示されています。
では今回、どのようにして量子超越を実現したかといいますと、入力に非ガウス状態を入れることによってガウシアンボソンサンプリング問題を解いており、なおかつその計算は古典的にシミュレートすることが困難であるという理屈です(Aaronson & Arkhipov)。より具体的には、Fock状態(いわゆる「光子数状態」)を入力としています。実は、光子数状態とは非古典性の強い"量子的な"状態であり、この光子数状態を入力として出力も光子数基底で測定することによって量子性を生かしています(実際にはこの実験ではSSPDと呼ばれるOn-Off型ディテクターを用いており、光子数0の基底状態とそれ以外への射影測定が行われています)。
まとめると、古典的にはボソンサンプリング問題は非常に難しい問題であるが、それを量子的な入力と線形光学素子によって効率的に解くことが可能であり、それを実証した、というのが本実験であるが、どんな計算でもできる汎用マシンを作ったわけではない、といったところです(付け加えると、ボソンサンプリング問題が実用的に役立つかというと、今の所そう言った応用は見つかっていません)。

結局これってすごいことなんですか?

間違いなくすごい結果だと思いますし、光量子計算のデモンストレーションとしては非常に素晴らしいだと思います。ただ、正直言ってこの実験をやり遂げたという事実そのものの方がずっと怖いです。そもそも測定器のSSPDは超伝導デバイスであり、それを100台用いたようですが、どれだけ低く見積もってもこれだけでまず間違いなくン億円は下らないでしょう。
加えて、少しでも光学系をいじったことがある方は同意していただけると思うのですが、原論文の図や写真からもわかるように、光学系の設計や調整も完全に地獄です。例えばわたしは、最近は光共振器の設計をしているのですが、たかだか共振器を2つ置くだけの作業に、3週間の間平日毎日、5時間程度の時間を費やして常に立った体勢で、腰を酷使しつつアライメント(ミラーなどの素子の角度を調整し光路を適切に整えること)をし続け、やっと8割方終わったというような具合です。しかしながら原論文では、偏光を合わせて100モード(ビーム自体が50個)の系を組み上げており、さらにそれらの位相を制御するために参照光を用いて、ピエゾ素子によってナノメートル単位でのフィードバック制御が行われています。もちろん手慣れた研究者が行えば作業自体はより効率的に行えるのでしょうが、それでもこのためにどれだけの数の研究者がどれだけの時間を費やし、どれだけ健康を害した結果としてこの論文が生まれたのかと考えると背筋が凍る思いです。
おまけに、レフェリーのScott Aaronsonによれば、スパコンで結果を検証するためだけに、計算に4000万円相当のマシンタイムを費やしたそうです。彼はこれについて

"This was by far the most expensive referee report I ever wrote!"

と冗談めかして評していますが、冗談ではなく真の意味で、科学超大国と化した中国のマンパワーとマネーパワーを見せつけられたような印象も受けます。

とはいえ、いずれにせよこの結果が非常にメモリアルなものであることは疑いようがありません。本実験は確かに実用の点では今一歩であり、真の量子計算の実現には遥かに困難な課題が立ち塞がっていますが、それでもなお、光量子計算の有用性を大いに示し、未来につながる偉大な成果であると思います。

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