決裁した時点で上司の責任だという話
“上司の決裁”
が軽んじられている。
というか、上司自身が自分の決裁を軽んじている。
昔からそうなのかもしれないが、最近特にそう思うのだ。
決裁とは、超簡単に言うと
「部下が作業を行い、その内容を責任者である上司がチェックする」
というものだ。
小さな会議から大きなイベント、億単位の支払い手続きに至るまで、だいたいの仕事は「決裁」を経て初めて実行に移される。
組織としては、平社員が作業した内容を確認もせずにそのまま実行するわけにはいかない。
という流れを経てから実行に移すことで、大きな誤りを防ぐことができる。
だから、規模や金額が大きな仕事ほど、上の役職の決裁が必要になるのだ。
これが組織における仕事の進め方であり、決裁こそが上司の主な仕事であると言ってもいいだろう。
部下の仕事の責任を負うからこそ、上司の給料が高いのである。
ところが、その体制が「形だけ」となっている職場が、結構多いのではないだろうか(あくまで主観)。
たとえば、僕の職場ではこんな光景がよく見られる。
これ、登場している全上司の振る舞いが、まとめて不正解なのである。
まず部長。
部長はもし仕事の内容に不満があれば、直下の責任者である課長と話をすべきであり、課長と係長をすっ飛ばして平社員を怒るべきではない。
仮に平社員が課長と係長をすっ飛ばして仕事を持ってきたら、
と言うだろう。
部長が仕事を降ろす時も、順番があるのだ。
そして課長と係長。
『この内容でOKです。私が責任を持ちます』
という意味の、お前らのハンコではないのか。
平気な顔して平社員を怒っているけれど、それは自らの決裁の価値を軽んじているのと同じであり、大変恥ずべき行為だと言うことを自覚しているのだろうか。
責任を取ってくれないのなら、お前らのハンコなんてただの「朱肉のシミ」になるだけなのだが、それを理解しているのだろうか。
組織の規模によって役職には違いがあるかもしれないが、このような良くない形が、世の中全体に蔓延っているような気がする。
1年ほど前に、給付金4,000万円以上を誤振込した自治体があった。
誤振込を受けた人が給付金の返還に応じなかったため、大変な騒ぎになってしまった。
(この自治体自体の組織体制や対応の不備などについては、この記事では触れません)
問題は、この事件を受けての世間の反応だ。
もちろん、体制の不備を問う声や管理職の責任を問う声が上がったのだが、それに負けないくらいたくさん、
という声が上がったのだ。
ネット上では、担当者個人を特定するような動きまで見られた。
ではなく、
と怒っている人が多くいるのだ。
これは、社会全体にブラックな価値観が当たり前のように存在していることを意味する。
“管理職が責任を持つ”
という発想すら出ないような職場で働き、いち担当者が責任を取るのが当たり前だと考えている人が、この世の中にはたくさんいるのだ。
そう思うと、恐ろしくて仕方がない。
さっきから上司の責任ばかり問うているが、別に平社員は無責任に仕事をしていいと言っているわけではない。
大前提として、実務担当者である平社員は、自身がミスをしていた場合には、「以後気をつけます」の精神でいる必要がある。
ただ、必要以上に責任を背負い込む必要もない。本当に、以後気をつければいいのである。
むしろ、決裁したはずの上司に責められたら、
くらいの態度を取ってもいい。
平社員は作業した内容に不備があった。
上司は確認に不備があった。
完全におあいこなのだ。
おあいこどころか、責任者である上司の方が、一馬身差で負けなのだ。
※「上司」と「部下」はあくまで役割の違いでしかないという話は以下の記事に詳しく書いています。
これでもか、とたくさんの管理職のハンコを集めさせておいて、いざ何かあったら結局平社員が責められるなんて、そんな悲惨なスタンプラリーがあるかという話である。
管理職が責任を取らないのなら、そこにいるのは
「ただ高い給料をもらって威張っている年配者」
だ。
責任を負わない管理職なんて邪魔なだけ。
金はかかる、うるさい、古い。まるで旧車である。
ハンコを押すだけなら機械で充分なのだ。そんな管理職のデスクには、宅配ボックスみたいに印鑑だけ設置して、担当者が各自で押していけばいい。
管理職ではない社員たちは、管理職がきちんと管理をしてくれないときには、もっと抗議してもいいのだ。
そして、将来自分が責任ある立場になった時に、後輩社員に抗議されないような姿勢で働いていく。
これが健全な組織のあり方なのではないだろうか。