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NFTを買うぞってエッセイ(その6)

あらすじ:最初にぼんやり思い描いていたやり方が、どうにも上手くいかないと思い始めたナンギンはそもそもNFTを売ってる場所はどんなところがあるの? という疑問を今更ながらに抱くのだった。
ネタバレ:いろいろ調べます

そろそろ、こいつ本当になんにも考えてないなと悟られて来た今日このごろです。

このエッセイはリアルタイム、即興で書いてるのだ。

コレを読んでいる方はやる夫スレというものをご存知だろうか?

やる夫スレに関して詳しく書くと、思いもこもりすぎて色々ややこしいのだが端的に書くとAAを利用した小説と漫画の間のような表現技法だ。

AAとはアスキーアート、文字データで作る絵のようなものだ。

(^ω^)こういう顔文字のすごいヤツだと思ってもらえば、だいたい間違ってない。それで紙芝居みたいなものを作るのがやる夫スレである。

このやる夫スレは2ch、あるいは5chなどのインターネット掲示板で親しまれている。

普通は書き溜めるという方式を使うが、一部の人間は掲示板であることを活かし、即興で物語を組み立てる。やる夫スレにはこのやり方をしている狂人が結構いる。

私もしたことがある。1回の投稿「一コマ」に2分~5分前後。1時間に12コマ~30コマ。コレを永遠と続けるのだ。集中力の続き限りやるわけだが、画面の向こうに読者が居ると思えば頑張れる。向こうもリアルタイムでコメントを送ったりする。

ある種のライブ感だ。このエッセイはそのライブ感に近いものができればなぁと考えている。ので調べながら、書きながら、作業しながらの3点方式をコロコロ回しながら書かれている。

いわば運動会をしながら、運動会の作文を書いてるようなもんですよ。チェスボクシングみたいなね。ある種の別競技でございます。

なので基本、ガバガバ、四苦八苦するわけですね。行ったり来たり、で戻ったり。

私の知識の無さ、そして何より準備のなさもあってNFTってものがよくわかってないのがよくわかりますね。

まあ、NFTってのを勘違いしてたんですね。私の思い描いてたものはデジタルのアート販売場であり、それは雑多なアーティストもどき達が、めいめい集まって自慢のアート作品を売っている場……だと思っていたが、どうやらそうではない。

コレに気がついた時、私は己の感覚とNFTの界隈でのズレ、および仮想通貨への考え方のズレを認識できたんですね。割とコレは致命的であるとも考えているのでここで書いておきたいんですよ。多分私が失敗するとしたら、その根幹はここになるでしょうからね。

私はお金を使うと決めたところで、すでに良いものを保有しようという考えに取り憑かれ始めている。その基準は自分の保有欲を刺激するもの、自分のお眼鏡にかなう物である。当然ここには無意識的な「私が良いと思うものは皆が良いと思うはずだ」というある種の本能的価値観がある。

だがコレは間違いである。断言する。この考えは危ない。

みんなが良いと思うものがNFTでは、必ずしも価値を持つのではないからだ。

価値を持つのは「皆がほしいと思ったもの」そして「すでに価値あるもの」だ。

それは結局同じなのでは? というと、これが違うのである。

私は美的センスによって欲しいものが選ばれると考える。みんなが何故欲しいと思うのか? の理由をアートなんだから美的センスで判断するだろうと考えたからだ。

だが実のところ、そんなに良いならNFTに限らなくて良いのだ。

スクリーンショットして、部屋に飾ればいいからである。画集でも良い。本来のアートの楽しみ方は絵を見て感情が動くことにある……というのは私の素人考えであるが、そんなに外してはいないと思う。

だがしかし、NFTはそうではない。NFTの売れ筋はいわゆる判子絵である。日本のオタク界隈ではネタになって、すでに風雨化した古にして、現代でも通じるネタ。

服と髪型が違うだけで顔はおんなじやないかーい!! ってやつだ。

もうちょい判子絵をわかりやすく言うと、サザエさんの髪を丸がりにしたら、カツオくんになる現象である。
姉弟なんだからにてるのは当然でしょ? とかそういうことじゃない。

大量生産のような絵が人気になる理由には生産性の問題がある。顔の輪郭を固定、肌の色、瞳の形、鼻筋、口元の形、髪型、そして装飾品をパーツ単位で描けば、それらの組み合わせをたくさん作れるので絵が大量に作れてしまう。

エロゲーの表情差分を個別の作品として扱うような感じだ。イカリマーク、ビックリマーク、汗、涙などなどの漫画符号を追加するともっと増やせるだろう。

コレをシリーズアートとする。たくさん作れる、たくさん売れる、ハッピーといった具合だ。

NFTの考えは「一個人の満足」にはない。

思うにNFTではみんながたくさん保有しているコミュニティができることが重要なのだ。

良い絵を持ちたいという欲求がベースであるなら、いわゆる判子絵の魅力は低い。

ファンになったエッチなゲーム。そのアクリルスタンドが販売。その時、ゲームで使われた立ち絵と描き下ろしどっちが嬉しいかで言えば、私は出来によるが描き下ろしの方が嬉しい。

つまり、そのためのスペシャルな一品のほうに惹かれる。

しかしこの考え方は同じものを量産した当たり前の商品。個人の満足を満たす商売に合わせたものである。

エロゲー会社を1アーティストとするなら、アーティストに対して顧客がいっぱい。みんな同じものを手に入れてハッピー。なのでアーティストは質の高い品を頑張って作る。それを量産する。コレが通常。

NFTはちょっと違うものを、それぞれが一つずつ持つのである。それが楽しいのがNFTだ。

宮沢賢治の「どんぐりと山猫」みたいな話なのだ。どんぐりはどんぐりだが、みんなちょっとずつ違うので、ここが良いとか、コレが駄目だとかでワイワイできるのである。

このワイワイがNFTでは重要なのだ。

伝わってますか? コレで伝わりますか?

えっ、でもつまり判子絵でしょ? ってことじゃない。その価値観を変えようとして話してるんじゃない。どっちが優れているとかじゃなくて、それとは違う価値観を前提として、NFTは運営されてるってこと。

つまりNFTから見て、私の価値基準の考えはズレてるってことだ。

じゃあ、どんなのがいいのーっていうと、「皆がほしいと思ったもの」となる。

有名人が保有しているとか、話題になってるとか、お値段が高いとか、みんなが持ってるとかである。

絵に含まれてる情報だけでなく、それを取り巻くあれこれが魅力的でないといけない。「良いものは売れるなどというナイーヴな考えは捨てろ」ってなことになるわけだ。

例えば100円ショップの缶バッチは100円の価値しかないが、友達数人と仲間の証として同じ柄の缶バッチを買えば、それは100円では買えない価値がある……良く言えばそんな感じ。

様々な要因として「人気が出る」、コミュニティが盛り上がる、そこに入りたくなる。そして価値が上がるというわけだ。

そうなってくると「すでに価値のあるもの」も、つまり人気だから人気という構図になるわけである。「~だから人気」と理由があれば尚強いというわけだ。付加価値ってやつだね。

もう一つ言うと、さっきから言ってるコミュニティって考えも大事であるらしい。それ専用の掲示板を運用していることもあるらしい。ゲームとNFTがくっつきがちなのも、強い=価値があると示しやすいからだろう。

もう少し踏み込むと、これらの動きは仮想通貨の活発化につながるのだ。

ここからは私の考えた妄想になるが仮想通貨を運用している上層部は仮想通貨の価値が上がることを望んでいる。多く流通し、多く使われ、活発になり、値段が上がることが良いことなのだ。

仮想通貨も通常の金銭、ドルやユーロ、我々が使っている円のように需要が大きくなり、行ったり来たりが激しくなると価値が上がる。

仮想通貨の価値が上がると、NFTアートの値段も自然とあがる。

現在の価値で0.005ETHの作品は1000円だけど、仮想通貨の値段が上がっていくと0.005ETHで買った絵は1万円じゃないと買えませんよってことになる。お金のマジック、詐欺的だ。

つまり仮想通貨支配権の上流民は仮想通貨が多く流通されることを望んでいる。仮想通貨の停滞は、すなわち通貨価値の下落になるからだ。

NFTは仮想通貨の流通のために準備された仮想通貨で遊べる遊具的なものなのだ。

仮想通貨を長期保有すると、流通が止まる。だから代わりにNFTを保有する。仮想通貨が流通する。値段が上がる。人が増える。NFTが売れるの繰り返しだ。

例えば一億円分のビットコインを持ってます! はインパクトがない。だが1億円のデジタルアートを買いました! はインパクトが有る。だがその両者は限りなく似ているのだ。

出たり買ったり、引っ込んだり。

おそらくはそういう理屈だ。NFTアートは保有しやすく、また仮想通貨の流通を妨げない、ネット資産としての役割があるのだ。仮想通貨の仮想通貨であるとさえ言えるのかもしれない。

なので幾何学模様が売れたりするのだ。マネーゲームである。

詐欺っぽいよねぇ。

とはいえ、仮想通貨でしか遊べないものがあるよ=仮想通貨が使われると言うことは間違いないわけで、NFTは仮想通貨の有効な使用先として使われているわけである。

現に私はそれによって仮想通貨購入を行った。私はまんまと策略にハマってるというわけだ。そしてそんな計略にハマってる人はたくさんいるのである。

怪しい話である。実に胡散臭い。

他に仮想通貨の使い道としてゲームもあるようなのだが、NFTゲームと、私達が慣れ親しんでいる通常のゲームでは、今のところ通常のゲームがやっぱり人気なようである。

しかしそれらを統合して考えると、高額でNFTが取引されました!! っていう夢のある話も、びみょーに怪しくて割りと好意的に見ても、初競り、初物に高額金を出してニュースになることを見込んだ、宣伝費とかに近いんじゃないかと思えてくる。

あるいはもっと、陰謀じみてて「すげえ値段で買うからよぉ!」と誰かと約束して、買っては貰うけど裏で現金リターンとか。そういうことはやり放題であるような気がしてくる。

1億円で買ってください。1億100万円払いますから。みたいな話をされてたら私達にはぜんぜんわからんわけである。税務署はわかるかもしれないけど。

まあ、それに関してもインターネットで販売、払い戻しは現実ってされたら、第三者にはわかんないぜ! 税務署も払い戻しなら……って諦めちゃうかも、だ。

そんな感じで悪いことを考え始めると色々考えつく。だけどもそれが行われているかはわからない。陰謀論は考えているときが一番楽しいのだ。

それに仮想通貨の価値がずっと上がってるかと言えばそうではないし、NFTを売るときに買い手がいなかったら変換もできない。それはなんていうかそういうものだ。

金持ち、有名税を担保にお金に変換できるってことはあるかもしれないけど。それだってねぇ……NFTだけに限った話じゃないわけで。

まま、あんまり適当に考えた陰謀論を振りまいてもしょうがない。

重要なのはNFTというのが、素敵な絵を作って売りましょう、素敵な絵だと思ったので買いましょう。とはちょっと違うと言うことだ。

だがそれを踏まえて~と言うのはなかなか難しい。一つに私が、有名人と繋がりたい!! とか、有名なコミュニティに属して誰かに自慢するぜ!! とかの欲求があんまりないのだ。あんまりここに興味が無いので、微細な差がよくわかる気がしないのだ。

例えば「宇多田ヒカル」と「倖田來未」と「浜崎あゆみ」がどれくらいの人気でどれくらいの差があるのかわかんないのである。

これが「ザク」と「ガルスJ」と「ギャプラン」だったら何となく分かる。その他の細かいあれこれもなんとなく把握できるし、この3つを上げた理由もなんとなく察することさえできるのだ。

好きなもの、興味のあるもの、波長に合うものは情報の解像度が全く違うのである。

そんな不安を抱えつつ、NFTを購入する流れは続く。

つづく。


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