見出し画像

NFTを買うぞってエッセイ(その1)

あらすじ:お金稼ぎをエッセイにすると決めたが、肝心のなんでお金稼ぎをするかは決めていない。ナンギンは果たしてなんでお金を稼ぐのか? そして勝算はあるのか?
ネタバレ:ない

さて本題だ。私はお金儲けのためにNFTをやろうと思う。

「おいおい、NFTかよ怪しい話だなぁ」と思う人は真っ当である。実に胡散臭いのがNFTの実情であるからだ。むしろ近年稀に見る胡散臭さ。ここまで胡散臭いのは珍しいと思う。

ちょっと華やかな落書き売り場。それがNFTの実情である。

と言うのは嘘かもしれないし、本当かもしれない。というのも私はNFTに詳しくもなんでも無いからだ。マジで知らん。なので山ほど躓くはずだ。そしてそんな内容が大半になるんじゃないかと思う。そしてコレはエッセイであり、同時に私は生きた人間である。ノンフィクションだ。

思えば恥の多い生涯を送って来ました。趣味でエロい小説とか、エロいやる夫スレとか書いてるし……。面白いと思うんだけどね? 親に自慢できるかっていうと、はずかちぃよね。

ちょっと言っておくと私はこのエッセイに限り、己が偏見を隠す気がない。なんとか偏見にみちみちた人間を演出しようとさえ考えている。なぜかと言えば、NFTに対する偏見がなくなっていったり、あるいは偏見ではなく大正解だったり、どっちに転んでも面白いからである。

エッセイって濁った人のほうが面白いんですよ(偏見)。

だから本当のことを言っているかは怪しく思って貰って構わない。ただ私は現時点でこうした考えでいて、行動しているということだ。

そんな私はこの文章を書いてる時点ではなんの登録もしていない。調べながら書くつもりだからだ。だからNFT、買えないかもしれない。

さて、今回は私がなぜNFTに目をつけたかを書こう。

それはすこぶる怪しい匂いを発していたからだ。得体の知れないインチキ臭さが私の興味を引いたのである。

株とか、土地転がしとか、米ころがしとか、FXとか、いろいろ調べたが、NFTがダントツで胡散臭かったのでオモシロイと思ったのである。後、元手が少なくてもできるのも魅力だった。騙されてもダメージが低い。

私はお金を稼ぐつもりであり、なのに胡散臭い場所を選び、一生懸命に調べて、そして多分損をするのだ。他人の出来事としてなら面白い題材である。エッセイ向きだ。うはははは。

はっきり言って勝率はない。だって、そもそも胡散臭いんだもの。そして私はズブズブの素人だ。

NFTは金持ちたちの道楽。マネーゲームの題材。それが私の現在のNFT認識だ。

同じ人も多いだろう。大勢の人が怪しく思ってるに違いない。私は大衆だ。わははは。

まあ、胡散臭胡散臭いと重ねていっても、NFTって何? って人もいるだろう。特に私の書くエロいあれこれをきっかけに、現在この文章を読んでくれる人々はそうであってほしい。

なので私が知りえたことを偏見たっぷりに説明しよう。世間的正しさはこの場合、重要ではない。真実が知りたければ検索すれば良いのだ。だが私は私が仕入れた知識に、私の考えを載せて書く。私文こそがエッセイであるが故だ。

さてさてNFTにはいろいろな概念が入ってくる。まだまだ世の中的にも上手く定義できていないというのが現状であり、同時に実に胡散臭いポイントだ。定義の曖昧な言葉というのは、ちょっとしたことで意味がズレるのは世の習いである。

なので私が現在認識しているNFTというのは「データの絵を売り買いする行為」だ。
売ることができるというのがNFTの最大のポイントである。

例えば「DLsite」や「FANZA」でエッチな同人誌をダウンロード販売で買うとする。お金を払い、大本のデータからのコピーを貰って作品を楽しめてハッピー。しかし楽しんだ後のデータを他の誰かに売ることはもちろんできない。それがインターネットの掟である。

しかし現実、リアル世界のエッチな本だと、コレの売り買いは可能である。制作本数が決まっていて、欲しい人が多ければ、そこでは早いものがちというレースが行われるからだ。

レースに負けて、それでも欲しかったら持ってる人に交渉することになる。そこで金取引が発生することも有るでしょうね。という理屈である。

もちろん、作者じゃないのに需要があるからコピーして売ったりしてはいけないし、欲しい人が居るからと製作者じゃないのにコピーしてプレゼントしたりしてはいけない。

以前はデジタル上のデータの所有権を売る事はできなかった。それはそうだ。データは無数にコピーできる。でも逆説的には「作品を楽しむ権利」を買うことはできても、所有すること。厳密に言えば、コレを私は持っているということはできなかった。

じゃあ、持ってることを証明できるようにしましょうね。というのがNFTの根幹技術だ。

むしろ、正式な事を言えばNFT(Non-Fungible Token)は代替不可能なトークンのことで、別に絵を売り買いする仕組みを示す言葉ってわけではなかった。

もう少し説明すると、偽造や改ざんができない仕組みを使って、あなたが持ってるものがデジタル上の大本原本ですよと証明できる仕組みがNFT(技術)なのだ。

そしてそんな技術を使って、現在行われているアート販売もNFT(胡散臭い)と呼ばれているのである。こういうところが胡散臭いのだが、まあ、それはそれだ。そう呼ばれてるんだからしょうがない。

しかし何を売ってるのかわかりにくいでしょ? えっ、なに? 絵を買うんじゃないの? 所有権ってなにさって感じでしょ? 胡散臭いよね。

まあ、私がこれからやろうとしているのは、その胡散臭い方のNFTである。

胡散臭い、胡散臭いと繰り返し言ったがNFT(技術)のほうは割とすごいので、もう少し夢のある話もしておこうと思う。NFT全部が胡散臭いわけじゃないんだよって説明もしたほうが平等である。

いわゆるメタバースの話とも関わりが出る。なんだよ、メタバースって言うと、仮想空間のことだ。こういう新しい言葉を多用するところも、胡散臭い要因だと私は思う。

映画なんかで言えば「レディ・プレイヤー1」がわかりやすい。あれはまさに仮想空間(メタバース)を描いた映画だったからだ。

インターネットの中にある、もう一つの現実のような仮想世界。

そんな仮想空間であなたが土地を買ったとしよう。閑静な池の畔の一等地だ。デジタル不動産屋から土地の権利書を購入し、家を建てようとしているところに、別の誰かがやってくる。メガネの紳士だ。

紳士が「私の土地に入らないでくれ」と文句を言ってくる。「何を言ってるんだ、ここは僕の土地だ」とあなたは言うが、なんとメガネの紳士の手には池の畔の一等地の権利書が握られている。あなたが持っているのと全く同じ。あなたとメガネの紳士はお互いにここは自分の土地だと主張し合うことになる。

ここでNFT技術がない場合は、土地の権利書が実は無限に発行できて、そしてどれが原本なのか判別できないということが判明する。裁判は大騒ぎ、新しい権利書を持ってくる人まで現れて大パニックだ。

しかしNFT技術があれば、土地の権利書がどういう系譜で流れてきたかをたどることができる。仮想空間を作った神様、そこから土地を買った不動産会社、そこから土地を買ったあなた。きちんとたどることができた。

反対にメガネの紳士の権利書は正しい流れをたどることができなかった。彼はデジタルな詐欺に騙されていた。そんなメガネの紳士をあなたは憐れむが、同時に池の畔の一等地を守れて一安心……と言った具合になる。

これがNFTである。データの上にも唯一無二が生まれていき、その保証がつく仕組みは今後重要になっていくだろう。

そんな感じでNFTは今後のインターネットの中では重要な根幹技術になりうるのは確かなのだ。

まあ、そんな技術で絵(デジタルアート)のやり取りをしましょうねってのが胡散臭いほうのNFTである。

とはいえ買った絵で商売したりはできない。そのへんは買った同人誌で商売できないのと同じ。普通にデジタル上で絵を買って、それをデジタル上で中古として売りに出せるかどうかってだけ。

えっ? コピーと原本、何が違うのかって? データとしては同じだよ。だってデータだもん。

だから原本を持ってるのはね。自慢できる。

自慢できるのだ!!!(大声)

まあ、それが基本である。

基本ということは応用もある。というよりも色々なサービスが含まれていることもあるといったほうが適切かもしれない。

NFTの絵の購入者に対して特典がつくことも有るからだ。チケットのような、あるいは会員券のような働きをすると言うことになるわけである。それこそホテルの割引券になることもあるそうだよ?

色々、世の中の人は考える。一律どうだと言う話ではなく、あれこれみんな工夫するものだぁ。

はい、調べたことでしたぁ。実際どうかは知らないよ? だって私、売り場すら見たこと無いから。

そして私は明日。そんなNFTを買う準備を整えるのである。多分損をするために。

つづく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?