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羽衣は風まかせ ⇑くだらないエッセイ⇑

 昔から私の興味を惹きつけてやまないもののひとつが『天女の羽衣』だ。いつもばかばかしく、くだらないエッセイを書いて、いろんな人からクレームやお叱りを受けるが、それも覚悟のうえで、今回は羽衣の謎に迫ってみたい。

 羽衣伝説は世界各地に伝承されている。
 天女が地上に降りてくる。身に付けていた羽衣を脱いで水浴びをしている間に、男が羽衣を盗んでどこかへ隠してしまう。羽衣を無くして天に帰ることができなくなった天女は途方に暮れる。男は、羽衣を盗んだことを黙ったまま、天女と結婚し、子供をもうける。羽衣を取り戻した天女は、天に帰っていく…。
 ストーリーに多少の違いはあるものの、どれもこんなかんじだ。ちなみに、子供を「もうける」とは、子供を「儲ける」と書くのだそうだ。この男、相当な悪ですな。

 まず私の興味を惹きつけるのは、羽衣の素材はなんなのかということだ。羽衣というんだから羽毛でできているのだろうか、それとも羽のように軽いということなのだろうか。
 風船を空中に浮かばせるときに注入するヘリウムガスのような気体を、衣の繊維に閉じ込める技術があったのではないかという説があるが、それでは、そこら辺に羽衣を置いたままにしたらどこかへ飛んで行ってしまう。普段は紐で括り付けて飛ばないようにしていたのではないかという説もあるが、あやしい。

 天女は羽衣を身に付けないと天に帰れないというが、それでは、天女はどのようにして地上に降りてきたのか、というのも謎だ。羽衣を纏って上昇することはできるかもしれないが、下降できないのではないか。実は羽衣は、非常に使い勝手が悪い不都合な衣類、現代でいう、いわゆる欠陥品だったのではないか。

 天界は幸福に包まれた世界だろうと想像できるが、天女はなぜ、邪悪で危険なこの地上界に降りようと思ったのだろうか。現代の若者が、条件や待遇がすばらしく良い職場に不安を感じて退職するのに似ている。「このままでは自分は成長できないのではないか」という不安。天女もそんな不安を抱えていたのだろうか。
 天界から地上界に降りるためには、まず、着地ポイントを設定しなければならない。着地ポイントを決めずに降りてくるというのは、転職先を決めずに退職してしまうのと同じだ。日本では、滋賀県長浜市の余呉湖が羽衣伝説の舞台になっているので、天女はここを着地ポイントに設定したのだろう。なんのために?

 羽衣のような素材は風の影響を受けて流されることも考慮しておく必要がある。あれほど入念に着地ポイントを設定したにもかかわらず、飛んだらあとは「風まかせ」。ということに、飛んでから気付いたのだろう。
 これに目を付けた天界のビジネスパーソンたちは、羽衣を身にまとい地上界に降りる「羽衣ツアー」を売り出した。どこに到着するかは分からない。現代でいうミステリーツアーに似ている。もしかしたら、着地ポイントが重要なのではなく、降りてくることに価値があるのかもしれない。なんのために?

 それでもやはり、「風まかせ」というのはリスクが高い。リスク管理が出来ていないのはコンプライアンス上問題があるということで、天界のビジネスパーソンたちは、羽衣にある装置を取り付けることにした。垂直方向に上昇下降したり、水平方向にも移動できる装置だ。原理はおそらく、ドラえもんのタケコプターと同じだが、詳しい事はわからない。上昇スイッチのオンオフ機能があるのだろうか。もしこういう機能が付いたのだとしたら、天女が降りてくる手順は、おそらく、こんな具合だ。
 天から地上に向かって「えいやっ」と飛び降りる。ある程度落ちたところでスイッチをオンにする。そしてある程度上昇したら今度はオフにする。またオンにし、またオフにし、またオンにし、またオフにし…、というのを繰り返せば下降することは可能かもしれない。しかしだ。カクン、カクンというエレベーターが上昇下降するような軌跡を描きながら、あるいは階段状の軌跡を描きながら下降してくるというのは、天女らしくないし、私はそんな天女は嫌だ。しかもオンオフ機能だけだと、万が一、上空高いところで故障してしまったら非常に危険だ。だからスイッチ機能ではなく、ゆるやかに上昇したり下降したりできるドローンのような機能があったはずだ。どちらにしても故障したときは命にかかわる。天女も命懸けで地上に降りてくるのだ。なんのために?

 さて、羽衣というものが実在するのなら私もぜひ身に付けてみたいと思う。別に女装に興味があるわけではないが、羽衣には、男たちにも「着てみたい」と思わせるロマンがある。
 私は天界の人ではなく地上界の人なので、私が身に付けたら「天女の羽衣」ではなく「地男の羽衣」になる。まるで戦に出陣するみたいだ。おまけに、あまり強そうな印象もないのが残念。
 しかし、羽衣を纏って大空を飛ぶというのは、どんなに優雅で、どんなに素敵だろうかと思う。そんなことを想像していると、大空を自由に飛んでみたい、という願いを高らかに歌った『翼をください』の旋律が流れてきた。しかし今、私が想像で纏っているのは羽衣である。『羽衣をください』というのは、なんというか、お腹が空いているようでちょっとがっかりする(●●●●フーズさん、ごめんなさい。笑ってゆるして)。

 嗚呼、こんなエッセイを書いてしまって、また各方面からお𠮟りを受けるのであろう。でも誤解しないでいただきたい。私はただ、みなさんに元気と笑いを届けたいという一心で書いただけなのだ。

 実は最近感じていることがある。それは、日本で生み出される製品やサービスの多くに、なんとなく元気がないことだ。だから私たち日本人は、羽衣のようにロマンを掻き立てたり、停滞気味な日本経済を元気にしてくれたり、楽しくわくわくするような製品やサービスを、どんどん生み出していかなければならないのではないか。もしかしたら羽衣伝説が生まれた時代も、今と同じように世の中に元気がなかったのかもしれない。だから人々をわくわくさせようと、誰かがこんな話を創作したのかもしれない。

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