落語家探偵 事件ノオト 第八話 幼馴染の死
アパートの一室で独身男性の変死体が発見された。
両国警察署の熊倉刑事から、江戸川亭探偵事務所に捜査協力依頼があったのは今朝の事だ。さっそく、四太郎と俺は警察の現場検証に同行することになった。
死亡した男性の名前は阿久津猛(あくつ たけし)。室内には干されたままの衣類、敷きっぱなしの布団、散らかった競馬新聞に週刊誌、吸殻で山盛りになった灰皿、食べかけの食事、床に転がったカップ酒の瓶。台所には、まな板や包丁、鍋、皿が洗われないままで溜まっている。部屋に争ったような形跡はない。死体に外傷はないが、苦しんで藻掻いたような跡がある。
「こりゃ、ひでえ。絵に描いたような独り暮らしの男の部屋っすね」
俺は手袋をはめて、部屋ン中に散らかったものをつまんだりしてみた。四太郎は、押し入れの中やゴミ箱の中身を念入りに調べたり、郵便物を確認したりしながら、なにやら、スマホのチャットGPTと睨めっこしている。かと思えば、今度は扇子をパタパタと扇ぎながら考え事をしている様子。しばらくすると扇ぐ手がピタッと止まった。閉じた扇子でぽんっと手を打って、嬉しそうに一言。
「鉢、酒蔵ミッションに出発だ」
死亡した阿久津の出身は宇都宮市。幼少期の阿久津を知っている連中から話を聴き出して糸口を探ろう、ってんで俺たちは、一路、栃木県へ。国道4号線を北へ、ローバーミニをぶっ飛ばす。まずは餃子の有名店『宇都宮みんみん本店』(宇都宮市馬場通り4-2-3)で、焼餃子二人前、水餃子一人前にライス付きの『ダブル・スイ・ライス』で腹ごしらえ。ビールが飲みてえところだが、そこはグッと押さえて、株式会社井上清吉商店(栃木県宇都宮市白沢町1901-1)を目指した。蔵人、四太郎、鉢五郎の3ショットを撮り、銘酒『澤姫』を入手。
今晩は宇都宮駅前の居酒屋『どっこいしょ』(栃木県宇都宮市駅前通り3-1-8)で、地元の連中から話を聴く段取りをしておいた。さっそく、四太郎が声色や仕草を変化させ、まるでお座敷の幇間(たいこもち)みてえな調子で場を切り盛りし始めた。連中は油断して、安心して、気が緩んだところでぽろぽろと喋り出す。悔しいが、こいつの聴き込み術は本物だ。俺なんかまるで及ばねえ。見直したぜ、四太郎。
ひとしきり飲んでいい気分になった頃、連中のひとりが栃木訛りでこんなことを話しはじめたもんだから、驚いたのなんの。
「そういえば、落語家の江戸川亭酒乱(しゅらん)って知ってっぺ? あいつは阿久津の幼馴染だべ」
なんだって? 俺たちは固唾を飲んでその話に聞き入っちまった。そいつの話はこうだ。
阿久津と酒乱兄さんは小さい頃からマブダチだった。阿久津のあだ名は「でく」。「でくのぼう」の「でく」だ。そして酒乱兄さんの本名は佐藤哲(さとう てつ)。「テツ」「でく」と呼び合う、地元でも評判の悪ガキ二人組だったらしい。両親が離婚して母親と二人暮らしだった「でく」と、母親が死んで父親と二人暮らしだった「テツ」。だからまあ、お互い気が合った、ってわけだ。
はじめて聞く酒乱兄さんの幼少期話に、四太郎と俺は「びっくリング」を隠せなかった。
小料理屋「七草」。
少し迷ったんだが俺たちは、一部始終を兄さんに話すことにした。すると兄さんはこんなことを話しはじめた。
* * *
小二の頃だったか、「でく」とふたりでピンポンダッシュして、禿げ頭のおっさんに恐ろしい形相で追っ掛けられた。なんとか逃げ切って、川沿いの草っ原でようやく一息ついた。二人して煙草をふかしながら大の字になって寝ころんだ。空を見上げると赤とんぼが飛んでいたのを思い出す。
小五の時、「でく」はスーパーで万引きして、はじめて警察の世話ンなった。そン時のあいつの寂しそうに笑う目元が、今も目に焼き付いてやがる。
中三で「でく」の母親が男を作って蒸発した。あいつは荒れに荒れた。酒や博打にも手を出すようになった。それからも、盗んだバイクで無免許運転やら、ゆすりたかりやら、悪行がどんどんエスカレートするもんだから、俺もとうとう愛想尽かして付き合うのを止めちまった。
* * *
「そんなどうしようもねえ野郎だから、きっと誰かに殺されたんだろうよ。あいつを殺したいと思ってる奴は数えきれねえほどいるはずだ」
いつものように、キープの一升瓶から特注大ジョッキに手酌で注いで飲んではいるが、今日の酒乱(しゅらん)兄さんは、どうも酔えねえみてえだ。今夜はてっぺん超えちまいそうだが(日をまたいで飲み明かすことになりそうだが)、ひとつ、兄さんに付き合うことにしようか。
翌日。
「これは周到に計画された殺人事件に違えねえ」
そう踏んでいた俺は単独で、「でく」が死んだ当日の足取りを調べてみることにした。昼前に町を歩いてたのが目撃されている。行きつけの食堂に入り、カツ丼を食った。あとから兄さんに聞いたんだが、「でく」は博打の前のゲン担ぎに、カツ丼を食うんだそうだ。
競馬でスッた後、むしゃくしゃして通りすがりのカップルに因縁をつけやがった。それを見て注意してきたヤクザ風の男を殴りつけてボコボコにし、おまけにそいつから財布を巻き上げたらしい。商店街を歩いている途中にも、なにやら騒動を起こしていたという。本当に、どうしようもねえ野郎だぜ。あきらかに誰かに殺されたんだろうが、これじゃあ容疑者が多すぎる。まあ、今日のところはこれぐらいにしておくか。
一通り調べを終えた俺は事務所に戻り、四太郎に報告した。
「やっぱりこりゃあ他殺ですね。誰かに毒を盛られたんじゃねえかと」
チラッと俺を見た四太郎が意味深に言う。
「本当にそうかなあ?」
真実は違う、と言われたみてえで、なんか無性に腹が立つ。
「当たりめえでしょう。あんなろくでもねえ野郎なんだから、誰かに殺されたに違えねえ」
よ~し、見ていやがれ、こん畜生。頭に来た俺は、熊倉刑事に調査結果を報告しようと署を訪れた。俺が報告し終えたところへ、若手の警察官がやってきて鑑識結果が出たと言う。
「でく」はフグの毒にあたって死んだらしい。
事件当日の夕方、「口の聞き方が気に入らねえ」ってんで、商店街の魚屋に難癖付けて、店主を殴りつけたあいつは、「これで勘弁してやる」って抜かして、店先に並べられてた売り物のフグを勝手に持って行きやがった。酒の肴にしようと、家で自分で捌いて食ったんだが、そのフグに当たって死んじまった。本当に馬鹿な野郎だぜ、全く。
とにかくまあ、俺の推理は間違ってた、ってわけだ。四太郎の頭ン中では、この事件はすでに解決してたみてえだ。探偵助手としてのセンスの無さに、俺は落ち込んだ。四太郎には完敗だな。
事件が解決して、「七草」で酒乱兄さんに経過を報告した。
「恨まれて、憎まれて、その挙句に殺されたんじゃなかった、ってわけだな」
いつものように、キープの一升瓶から特注大ジョッキに手酌で注いで飲んでいる今日の兄さんは、なんとなくホッとしたような、嬉しそうな表情に見えた。
ところで、事件は解決したんだが、身寄りのねえ「でく」の位牌をどうするか、って問題が残っていた。
「無縁仏なんて、あまりに寂しいじゃねえか。悲しいじゃねえか」
ってことで、兄さんは位牌を引き取ることにした。四太郎と俺が兄さんに付き添って、署で位牌を引き取った。川沿いの小道を歩いていた俺たちは、そこで意外な人物に出会った。初老で白髪交じり、「でく」の親父さんだった。離婚した後も、母親が仕事で留守の間、「でく」に会いに来ていたのを兄さんは何度か見たことがあるらしい。
「お久しぶりです」
「テツ君だね。猛が小さい頃、君のことをよく話してた」
「あいつは、本当にどうしようもない野郎でした。でも俺にとっては、兄弟みたいな、かけがえのない野郎でした」
「猛と仲良くしてくれて、どうもありがとう」
兄さんが親父さんに位牌を渡す。その位牌をしっかり抱えたまま深々とお辞儀をして、顔を上げた親父さんは寂しそうに笑った。その目元が、小五ン時、万引きで捕まったときの「でく」の寂しそうに笑う目元にそっくりだった、と後で兄さんは言っていた。
くるりと背を向けて去って行く親父さんの姿が見えなくなるまで、俺たちはずっと見送った。
空を見上げると頭の上を、赤とんぼが悠々と飛んで行きやがった。
古典落語『らくだ』より (了)