イスラエルの人々に贈る日本料理
「日本料理の素晴らしさを世界中の方達に贈る。」
一人の料理人が人生の使命に掲げてから早いもので10年の月日が過ぎた。
2024年5月27日、首都テルアビブにあるベングリオン空港に到着し自身にとって5カ国目の国として選んだのは今話題のイスラエル。
イスラエルと聞いてしまうと不安や心配、怖いイメージが先行してしまうと思う。
インターネットやテレビの情報はいつも偏った方向に落ち着いてしまいがちだと気が付いてはいるものの、自分も最初は不安の心で一杯だった。
世界的に悪者扱いされて「報復や制裁」という言葉を浴びせられている国の人達は本当に危険な存在なのだろうか?
自分の興味はいつもそういうマイナスイメージから始まるのかもしれない。
確かに罪のない人達を巻き込んでの大量虐殺という背景は決して許される事ではないし、その様な冷徹な感情は想像することすら出来ない。
しかし、そこに行き着くまでの経緯は今まで日本人としてしか生きてきていない自分の未知な部分であって自分の感覚なんて世界から観るとごく一部の視野だと思う。
実際にイスラエルで生活をしてみると、とても親切にしてくれる機会に触れる時が多くて驚いている。
ニュースでよく見る悲惨な景色が広がっているのかと思っていたのも違いは一目で感じられた。
経済制裁を加えられて野菜や食料などは限られた物しか手に入らずに料理を作るのも困難かと心配していたが杞憂に終わったと思う。
恵まれた環境の中で料理を創る事が出来てエチオピアの様なアフリカの国よりも買う場所や食材に選択肢がある事にも感謝している。
意外にも日本食材も手に入るので助かっている。
1人の料理人としていつも心掛けているのは一期一会を大切に今、目の前に居るお客様の笑顔の為に全力を振り絞ること。
それは今までもこれからも大切にして生きていきたいと強く願っている。
イスラエルの人々に贈る日本料理と題してしまうと様々な感情が出てきてしまうかもしれない。
しかし1人の人間として相手に対しては『おもてなし』の気持ちで接する事の方を大切にしたいと思う。
物事に対して一方通行でしか見えないのではなくて様々な側面を見て柔軟な気持ちを持って触れ合える人間でいたい。
世の中に溢れる常識的な物も目線を変えるだけで面白い物に変わっていくと思う。
そしていつまでも挑戦する気持ちを大切にして生きていきたい。
一般的な考えとして、白ワインの場合はシャルドネやソーヴィニヨン・ブランなどは他のブドウと混ぜない単品種の場合が多いと思っていたがイスラエルワイナリーではシャルドネとソーヴィニヨン・ブランを混ぜて作ったりもする。 そうする事で味わいに奥行きを与えられる。
暑い国ならではの環境に対してのアプローチの違いを知って挑戦する専門家の情熱に触れる機会が多い。
逆に赤ワインの場合はアッサンブラージュせずにカベルネフランやプティベルドなど単一品種で作ったりする。 不思議。
和食が世界無形文化遺産になり世界中の人達に受け入れられて久しい。
今や欧米諸国の国々だけではなくてアフリカの方達にも喜ばれているのが本当に嬉しく思う。
日本には素晴らしい食材が溢れていて生産者さんたちの拘りや鮮度の良い食材、季節によっても旬の食べ物が自然に巡っている。
海外で日本料理を創る場合も『地産地消』に拘って現地の食材を理解してその性質を最大限に活かせるように努力している。
そう言う気持ちで本気で食材と向き合っているとふとした瞬間に相手の食材が美味しい料理方法をささやいてくれている時があり不思議な気持ちになったりもする。
もちろん、日本料理の基本的な技術や知識があっての料理方法の閃きなので基礎知識、技術はあった方が良いと思う。
その中で現地の食材に向き合って柔軟に対応する感覚も求められているのでニュートラルな感覚というかいつも自然体でいるのも大切だと思う。
改めて思い知らされているのは、日本料理の懐の広さ。
どの様な食材も受け入れてくれる豊富な料理方法にいつもどこの国でも助けられてきた。
真剣に食材と向き合っているからこそお客様にもその気持ちが伝わって感動を憶えてくれるのだと思う。
自分が感動する気持ちを持って料理に臨まなければ相手に感動を伝えることはできない。 と言う修行時代の言葉がいつも頭から離れない。
戦争状態にある普通とは違った状況の中の国イスラエル。
緊張感の中にあるからこそ美味しい食べ物に対する感情は強くなっているかもしれない。
そう言う方達にも一瞬でもホッと一息ついてくれる時があれば良いなと思う。
美味しい料理は人を幸せにする。
その信念を最後の瞬間まで持ち続けてこれからも料理を創り続けて行きたい。
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