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海外で和食を創る時に思うこと ②


2010年10月6日。 朝4:30着 

前日の20:50成田空港を出発して14時間かけて着いた場所がカタールにあるドーハ国際空港で自分にとって初めての海外の地になりました。
日本との時差はマイナス6時間。

今から十年前の話。
当時二十九歳だった自分はこれから始まる新しい生活・仕事に大きな希望と小さな不安・緊張を持ってまだ生温かい中東の空気をいっぱい吸い込みました。 

今思い出しても恥ずかしくなってしまうくらい自意識過剰で勘違いプーな自分は本当の日本料理を中東の地で広めてみせると息巻いていました。
その後に起こるカタールでの沢山の制約を知る前までは。


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2010年当時のカタールは人口180万人程。 そのうちのカタール国籍を持っているのは13%の28万人くらい。 残りの150万人以上は隣国からの出稼ぎ労働者が占めていました。 秋田県くらいの面積で首都ドーハにほとんどの人々が住んでいました。 アラビア湾に突き出た小さな国ながら世界第二位の油田があり、日本の中部電力が発掘に協力したと言うことでカタール人は日本人に恩義を強く感じていました。 眼には眼を。歯には歯を。やられたらやり返す
という恐ろしい教えがある一方で受けた恩義は必ず返す という意味にも繋がり自然災害が多い日本のために何度も寄付金を送ってくれています。

敬虔なるイスラム教の国。ムスリムが多いためコーランと呼ばれるキリスト教でいうところの聖書の様な教えに従って生活する人が多い。

有名なのは豚肉を食べない、アルコールを飲まないなど

日本料理の場合は魚料理の方が中心なので豚肉に対する制約はあまり感じてはいなかったけれどアルコールについては最初のつまづきになりました。

刺身や天麩羅にはアルコールは関係ないように思えるが造り醤油には日本酒を、天麩羅につける天つゆにはミリンを加える調理になるので改良する必要があり大変でした。 色々と調べていく内にアルコールは飲み過ぎて素行が悪くなるのがいけないという教え・受け取り方もあるという事でアルコールは一度沸騰させてから使用する料理法で落ち着きました。

他にもハラール食材についてなど意外に沢山の制約があり大変でした。
ただその土地で仕事をする以上、その土地のルールに則って料理するのは当たり前のことであり単純な話、食べ物を食べてもらえないと何もはじまらない事になってしまいます。そこを工夫するのが料理人の仕事ということで限られた環境での工夫の仕方は後々大きく役立ちました。

食材の事もあるけれど、それ以上に考えさせられたのは一緒に働く人の事・向き合い方にあると感じています。
つまりは自分の中にある意識を変えていくのが大事と言うこと。


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アジーズさん、シャムスディーンさん、ソフィアンさん

インド人二人。 スーダン人。 

日本人の自分がインド人・スーダン人なんかに負けるわけがない。
勝手にそう思い込んでしまっていた自分は異国の地にて何も通用しない現実を目の当たりにしました。 そんな時に多くのことで沢山助けてくれたのが一緒に働いていたスタッフの方々です。 半人前にも及ばないカタコトのジャパニーズイングリッシュを理解してくれて食材の調達方法など細やかな協力は勘違いプー人間の目を覚まさせるには充分すぎるほどでした。

自分の力で新しい場所を切り開いていく。

そんなふうにカッコつけて言ってしまうと感じよい響きにつながるかもしれないけれど結局は自分自身の頑固さや小さなこだわりで終わってしまったら
その先にある本当の意味での和食の素晴らしさまでは伝えきれなかったと思い返しています。勿論いまの時点で大ごとを言ってしまうのもおこがましいので今後も成長をかけて努力していきたいです。


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寿司・天麩羅・焼き鳥は中東の人々にも大人気。


一日で最大350名のお客様を迎える機会もありもはや一人で全てカバー出来ると言った範囲ではないです。

今も今までもそしてこれからも沢山の人達の力をお借りしながら世の中のために役立っていけるようになりたいです。そしてまた誰かが力を借りたいと言われているのなら喜んで貸しに行けるような人でありたいです。

和食を創るためにというか一つの仕事を成すために様々な人の協力が必要でお互いがお互いを理解していくことの大切さを知っていったら良いですね。

黒人差別や人種差別、宗教的差別など世の中にはまだまだ沢山の課題が残されているように感じてしまいますが一人でも多くの人が幸せを感じていけたら世の中はもっと素晴らしくなりますね。

最後にちょっと壮大な話になってしまいましたが・・・
またいろいろと書いていきたいです。 ありがとうございました。

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