こっちも家族
今日は仲良しのはじめさんにnoteを書きます。
私は心の調子が悪い日でも、はじめさんのnoteは読むことができます。
私の感覚では、人の文章というのはある程度、
心に隙間がなければ読むことが難しくなります。余裕と言っても良いかもしれない。
はじめさんのnoteは、お腹いっぱいでも胸いっぱいでも、するすると読めてしまうのです。
お水なんでしょうね。山の湧き水、名水百選。
個人の感想ですよ。
ひとつぶ。この見出しは水滴に見えました。
読んだ人、それぞれに感じることがあるでしょう。
ここからは、はじめさんをある程度知る人にしかピンとこない話をします。
なぜならば、私がはじめさんに話しかけるためだけのnoteです。
ただ全く知らないあなたがもしかしたら、涙を流すかもしれない。
文章とはそういう不思議を含んでいます。
私は、はじめさんの家族はもう、同居人さんのおふたりだと思っています。
だから、「家族に理解がない」のセリフに正直大変驚きました。
はじめさんはもう、家族を選べるのです。
婚姻や法律のくくりだけの関係性が家族ではないと私は思っています。
暮らしを共にして、幾つもの喜怒哀楽を曝け出してシェアしている、今の3人を、私は家族だと認識していました。
お父様とお母様はもちろんずっとずっと、はじめさんの家族ではありますが、家族は別に1つに限定しなくても良いのではないでしょうか。
実際に、今。
はじめさんの生きるに1番近くて1番支え合っている関係性にあるのは、あのお2人だと私はnoteから感じています。
お父様やお母様にして欲しくてしてもらえなかったこと。
わかってしてほしかったのに、わかってもらえなかったこと。
沢山のがっかりやモヤモヤや涙。
それを別の人が、携えて与えてくれることや、解消してくれることに甘えたり委ねたりできることは、人生のからくりでご褒美だと思います。
享受して、大事にして何ら問題ありません。
お父さんとお母さんも他人だったんです。
他人同士でしかなかったんです。
はじめさんと同居人さんたちとおんなじです。
家族は、他人が力を合わせたチーム。
そう考えたらほら。はじめさんにはもう家族はふたつ。
好きな家族の話をしてもいいんじゃないですか?
理解がある支えてくれる家族の話をしても嘘ではないと私は思います。
そして、理解がないと思っているご両親も、本当は誰よりも理解したいと思っている可能性も信じてほしいと思います。
はじめさんが歩み寄るその分、ご両親にも近づきたい気持ちも、咀嚼したい思いもあるのではないか?と思うのです。
大事な大事な娘でなければ、葛藤などうまれないから。
おみずみたいなnoteを書けるあなたが、
幸せにならないわけはないんです。
人を幸せにするnoteを書ける人は
必ず幸せになるに決まっています。
私はわからない未来を断言するのが得意です。
だってnoteは必ず未来につながるから。
乗り越えるというやり方のほかに、
別の道を探すというやり方もあります。
心には、幾つもの分かれ道から選択する自由があります。
はじめさん、いつも清々しさと生きる勇気をありがとう。
ありがとう、幸せに生きてねと思っているよ。
いっぷくより。
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