勝ち負けではなく選択
朝の5時。
カーテンを捲ると、ぽつぽつと灯りが見える。
ストレッチを5分から10分に延ばした。
お尻が痛い。穴ではなく、ほっぺたのほう。
腰の痛みより大腿との付け根あたりが痛む。
しっかりほぐさないといけない。
走り始める時、いつも身体は重い。米津玄師の感電を口ずさむ。こんなに歌っていて、歌詞がまともにあっていたことがない。間違えたまま覚えて、間違えたまま歌い続けている。
走っていく先に橋が見える。小さな橋を2つ越えて、次に見える国道の高架下で折り返すと決めた。
今日は弁当を作らなくて良いから、少し長めに走ろう。そう決めたのは私だ。
走っている時に、いくらゆっくりとはいえ、途中で挫けそうになることがある。
疲れたなとか痛いなとかを、走ることよりも大事にしたくなる。
それでも、足を止めない時。
私は自分に勝った。とこれまでは思っていた。
ああ、勝ち負けじゃねえな。ただの選択だ。急にそう思った。
弱い自分に打ち勝つ!とか思っていたが、そもそも自分はひとりだ。
私はただ選んでいるだけだ。
走らない私を長くやってきて、走り始めた私を気に入って、そして走っている。
よくもまあ、勝ち負けなどと大袈裟にしていたものだ。
弱くなる時。強くなる時。私はそれを選んでいたのだな、無自覚に、ただ正直に。
私はもう私とは勝負しないし、ただいつもどうする?と聞いてあげればいい。
どうする?どうしたい?どうなりたい?
それで走っているんだ。走ってるんだよね。
とひとりごちている間に、かなりの距離を進んでいた。
空が明るくなり、鳥が鳴き、はばたく。
朝の音がして、静謐に思える空気を深呼吸するために顎をあげる。
走る時、耳を裸にしている。穴に詰め物をして音や情報を流すことで、得られるものより失うものが多いと感じるようになった。それが真実ではなくとも、私はそう判断してそれを選ぶ。
走り終えて、汗が流れる。
今日も私は走ることを選んだ。
疲れるより痛いより、それを選んだのだから。
ストレッチは念入りにして、そちら方面のご機嫌とろうと思います。
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