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飲み会の迎えに車を出すことが、なぜそんなに嫌いかを考える
夫の飲み会の迎えのために、車を運転することが好きではない。
ちなみに夫が飲み会に行くのは好きだ。じゃんじゃん行けば良い。酒好きなのだ、飲んだ方が良い。
あんまりにも車で迎えに行くことが億劫なので、なぜ好きではないかを考えることにする。
不機嫌になるのは自分にもよくないし、夫には更によくないだろうし。
まず、全てのお迎えが嫌か?というとそうではない。
駅へのお迎えはよい。電車は大抵決まった時間にホームに来るし、降りてきて乗車までもスムーズ。
予定もたちやすいし、駐車スペースもある。この時はイライラしない。
1番嫌なのは何か。
店に駐車スペースがない。道も狭くて往来がある。なかなか出てこない。出てきてからも宴の余韻で乗車までにコミュニケーションタイムが長い。やたらと賑やかで、眠たくて帰りたい一心の自分との温度差。一緒に飲んでいた人が近くにきて、挨拶。ジロジロとなめるように見られて、こっちはパジャマで愛想笑い。これが最も嫌なパターンである。
これを因数分解し、私は何が嫌なのかはっきりさせたい。
①夜道の運転がそもそも嫌い。暗くていつも見える景色とは違い、距離感も見誤る。
②早く帰って寝たいにも関わらず、それが叶わない。
③酔っ払っている人は、普段の遠慮を手放しているため、割と不躾でありながら、こちらの無愛想には厳しいこと。
があげられる。書いていて気づいたが、私は本当にお迎えが嫌いである。
嫌いだからしなくていいというほど、単純な話ではない。
タクシーに乗ればお金の話になるし、
自分も飲み会の時には、迎えにきてね!と言わずにはおれないあたりで義理人情や、お互い様精神の話になる。
お金をかけず、お互い様精神を優先した結果、私はお迎えに行くことを選んでいるのだ。
読んでいてお気づきだと思うが、書いている私もこのあたりで自分のわがままには薄々勘づいている。
自分の思い通りにならないことが嫌だ。早く寝たい。私の気持ちを優先したい。ということでしかない。
嫌な女である。さすが器量がおちょこ。
嫌なことや不機嫌になったときに書いてみると、自分が浮き上がり俯瞰で見ることができる。
トイレに人生訓の書かれたカレンダーを貼っている。
毛筆の今月の指針が今の私に刺さりすぎる。
互いに相手の働きに感謝し合って暮らすのが真の夫婦である
怖い。カレンダーに静かに説教されて怖い。
書いてあることが最もすぎて怖い。
最近毎日、うんちが3回もでるのでその度に震えている。