私が富山に移住した理由〜富山県ってどんなとこ?〜
毎日毎日僕らは満員電車で・・・
生まれてから20数年、30年にならない位まで生活の9割が東京及び近郊でした。埼玉県で生まれて中学受験をしてから部活や休日出勤が多かったこともありほぼほぼ毎日東京に通ってました。13歳から満員電車に揺られて1時間以上…
中学入学時150cmなかったワタクシ。満員電車の中ではほぼ浮いてました。(雰囲気などではなく物理的に 笑)。 時には体をくの字にしてビジュアル系バンドのポーズさながらの体制のまま20分以上乗っていたり(笑。
その頃からなんとなく違和感を感じていました。朝早く起きて快速などを使わず各駅停車で通学したり、始発駅まで行って30分以上待ってから座って通学したり。
社会人になってからも色々試して、始発駅からのルートを考えたり、実家のある和光市から人形町まで自転車で通勤したり。関東圏の朝は戦場ですよね。本当に辛かったです。
それが影響したのかはわかりませんが、20代半ばにしてフリーランスになり、30代を前にして何を思ったのか日本脱出計画を敢行! 気がついたら中国は上海で仕事していました。
現実逃避? 上海で・・・
私は滞在していた頃の上海はちょうど上海万博・北京オリンピックの開催が決定したあとで、すごい勢いで社会が変わっていきました。完全にバブってた、マジで!すごく楽しかったです!上海の話はまた別の機会に譲るとして、その頃の中国人はちょうど日本旅行のさきがけでした。
なので、知り合った中国人に必ず聞かれることは、「日本のおすすめどこだ!」ってことです。とはいえ、旅行もほとんどしていなかったワタクシ。自分の体験でおすすめを伝えることは出来なく、京都周辺をおすすめすることしか出来ませんでした。
でもね、日本人と交流するような中国人って当時はまだ中国人の中でも上流なんですよね、ワリと。なので、中国人の方が私より日本の地方をよく知ってるんですよ、大阪のあそこは良かった!、北海道のどこそこはサイコーだ!とかね。
赤面の至りです、正直。そんな想いを募らせ日本に帰国してからはいろんな地方に行きました。歴ヲタを自称するワタクシ。とりわけ江戸以外で武家文化が花開いた金沢はとりわけ魅力的に感じたのだと思います。
北陸ヘビロテ通いをしてたら・・・
4年連続で3回以上、多い時で1年間に6回も!北陸に遊びに来ました。楽しいですよ、北陸。適度な都会(金沢)、がっつりの里山、日本三大霊山(しかも2つも!)、奈良時代から続く温泉郷(粟津温泉)、日本海のとびっきり美味しい魚などなど、挙げはじめたら止まらないです、カルタ作れます。きっと。
何度でもリピートしちゃいますよ、北陸。DEEP JAPANにようこそ。
その後、通信環境が整備されたのと、某広告代理店への出向が終了した(月島ご飯ができなくなった笑)のを機にフリーランス仲間の了解を得て、”好きな場所で生活をしよう!”と思い至り金沢へ!…
とはいかず、富山へ。
なぜ富山だったのかは気が向いたらまた書きます。
あ、でもサブタイ回収してない・・・
それでは!
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