彼が姿を変える時。
私には、漫才師がする好きな仕草がある。
好き、というか、つい注目してしまう、の方が正しいかもしれない。
皆さんもぜひ想像してみてほしい。
「はいどーもー」なんて手を叩きながら、袖から漫才師が登場し、
サンパチの前に立つ。
「○○です~お願いします~」
ストップ!!いま!!いまのところ!!
1人がサンパチの高さを調節しましたね?
それです。その仕草です。
え?してない?
いいえ、しました。
あの流れるような動き、いいですよね。
さりげなく調節する感じ、かっこいい。
今回は、そんなサンパチの調節と同じくらい、
いや、それ以上に、好きで、注目してしまうところについてのお話を。
ひとつまえに、ランジャタイの話をしました。
ここでする、私が注目してしまうところは、彼らに限られたお話です。
彼らの漫才をみたことある方は、目にしたことがある光景かと思います。
「国崎和也が人間に戻る」ところを。
この表現は、私が勝手に言っているだけなので、こうは感じない人もいるかと思いますが、どうか今回はこの表現で。
(見たことない人はさっぱりだと思うので、ぜひ彼らの漫才を。)
私の見解では、
舞台袖まで → 人間
舞台に出た瞬間〜漫才中 → 奇天烈怪物
漫才終わり → 人間
(奇天烈怪物だとか失礼なこと言ってしまってごめんなさい、国崎さん。ランジャタイ面白くて大好きです。許してください。)
サンパチまで歩きながら、どこか気だるそうに首を揺らす時。
乃至は髪を触る時。
彼は「奇天烈怪物」へ姿を変え、
彼らの漫才の最後から、「ありがとうございました」までの、少しの間で
国崎さんは、「奇天烈怪物」から「人間」へと戻る。
会場を笑いの渦で包んだ彼は、漫才の終わり際、まるで、何か悪いもの(悪いものと言ったらアレだが)が抜けたように、伊藤さんやお客さんを見ながら、肩を揺らして笑う。
(笑わずに「スンっ」って終わるときもあるけど。)
その時に、
「人間・国崎和也」に戻る
と思っている。
その瞬間が好きでたまらない。
ネタを楽しみにしているのは大前提だが、その瞬間を楽しみにしているのも事実だ。
そして、よく舞台の下手に追いやられている伊藤さんもまた良い。
ランジャタイにしか出せないあの雰囲気。
流石、天上天下奇妙奇天烈。
奇天烈の極み・ランジャタイ。
黄色の彼が人間へと戻る瞬間、ぜひ注目してみては。
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