視線を共有すること
東京都写真美術館『野口里佳 不思議な力』を観る。
表題作や最新作、映像作品など展示されるなか、《父のアルバム》シリーズに心惹かれた。
野口の父親がハーフサイズのオリンパスPENで撮り続けた、家族の日常や自分の趣味の世界。生前にその膨大なネガを譲り受けた野口は、父の死後、それらをひたすらプリントし続ける。
その作業を通じて、野口は「人はなぜ写真を撮るのか」ということに思いを馳せる。野口の父の写真は、写真家のそれではなく、背景、構図なども整理されていない、視線のむき出しである。
写真は、撮影者の視線を追う行為そのものであり、幸福も怒りも悲しみも、その視線によって共有される。ハイジの人形を大事そうに抱えて立つ娘、台所で寛ぐ妻、大切に育てるバラ……それらの作品は、野口がプリントしながら感じたという「幸福」を、確かに感じ取れるものであったし、撮影者は父親であっても、野口里佳の作品以外の何者でもなかった。視線を共有しようという試みは、どこか不思議な感覚をもたらしている。「視線の共有」を追体験することで、私の心もまた、動かされた。