
フェイク画像検証 月刊「ゴング」誌1974年6月号
友人から紹介してもらったネタ写真を検証してみた。
面白いかどうかのツボを微妙に外しているのと、これが刺さる層がかなり限定されてくるので難しいところであるが、刺さる人には刺さるものがあるのは事実。ただ、突っ込みどころが多くてちょっと残念な点が多い。
雑誌「ゴング」誌(日本スポーツ出版社)の表紙。これ相当「通」なプロレスファンしかわからないけど、ゴング誌が週刊ではなく月刊だった時代のもの。当時月刊「ゴング」誌はプロレス以外にもボクシングとキックも扱っていた。この月刊ゴングだけでは当時ブームだったプロレスを扱うのに紙面が足りないということで別冊ゴング誌が創刊されたという経緯がある。
文字が小さくて見づらいが昭和49年(1974年)とある。その1974年の6月号ということになる。

昭和49年といえば、新日本プロレスではアントニオ猪木対ストロング小林のNWF戦があり、全日本プロレスではジャイアント馬場がジャック・ブリスコを破ってNWA世界タイトルを日本人として初めて奪取した試合があった。
ボクシング界はガッツ石松の全盛時代である。
その「ゴング」誌の表紙がボクシングの何がしかのタイトルマッチの予告として、チャンピオン山田耕策がジョージ・ガーシュインの挑戦を受ける18回目の防衛戦らしい。
さて、ここで笑える人は笑えるまでにそれなりの知識というか教養がないとなんのことやらサッパリわからない。
山田耕策は「赤とんぼ」などの作曲家のあの山田。ガーシュインは「ラプソディー・イン・ブルー」の作曲家。
この2人がボクシングで戦う?
まずここでフェイクであることに気づかねばならない。
先に書いたようにこの雑誌のこの号の発売が昭和49年=1974年。
山田の没年は1965年。ガーシュインの没年は1937年。
これでは戦いようなどない。
では、同姓同名のボクサーがこの1974年当時いたのか?
それも調べてみたがそんなボクサーは存在しない。
それに写真はどうみても作曲家本人の顔である。
ディープフェイクの可能性もあるのだが、少なくともガーシュインの方は紛れもなく本物だ。彼自身ボクシングのファンであったとの記録もあり実際にグローブを着けている写真がある。それがこの写真。
一方の山田の方はいくら調べてもボクシングとの関係が見つけられなかった。唯一、卓球をやっていたらしいという記録が見つかるのみ。なので山田の方はディープフェイクなのかもしれないし、本当にこういう写真があったのかもしれない。その後の提供情報によると山田はボクシングのようなことをやりながら鍛えていたとのこと。團伊玖磨著「パイプの煙」に掲載されていた「殴打論」というエッセイによれば実際山田耕筰は鍛錬のためにサンドバッグを叩いていたそうで、この写真は本物である可能性ありということになる。
もう一つの突っ込みどころ。18回目の防衛なるか!?のような煽り。ボクシングファンならこの記述のおかしさに気づくだろう。
日本人として世界タイトル防衛の最高記録は具志堅用高の13回だ。
仮にこの当時活躍していた王者であるガッツ石松を参考にしているとしても石松の防衛記録は5回のみ。
なので、このフェイクの狙いがよくわからないのである。どういった層をターゲットにしているのか?クラシック音楽ファン?
ボクシングファン、プロレスファンには刺さらないだろうと思う。
ツボを微妙に外して、アングルの作りがあまりにも雑というか、リサーチも今一つ中途半端で何とも残念なフェイクに終わってしまっている。
その残念さが逆にツボってしまったという皮肉さ。
ともあれご紹介したくて掲載してみた。
実際の「ゴング」1974年6月号の写真も貼っておく。意外にも表紙はペドロ・モラレスにモハメド・アリである。考えてみれば、この時代の「ゴング」でプロレスを差し置いてボクシングやキックが表紙になるということはまずなかった。当時を知っている人にとってはその点もツッコミポイントとなるわけである。

昭和49年の「ゴング」誌の編集長は、たしか、「非情のノーライセンス」と呼ばれた小柳さんじゃなかったかな?