きみの書いてるのはラノベじゃない
敬称略でお届けします。
「きみの書いてるのはラノベじゃないよ」
私のことをそう喝破したのは、水野良。
ラノベの始祖からそう告げられた瞬間、「痛いところを突かれた……」と思った。
吸血鬼の始祖から「いやお前は俺の血族じゃねーし」みたいに言われるようなもので、否定などできるわけがない。
デビュー作を除けば、私の作品は「特定の題材を取材し、それをキャラクター文芸に翻訳したもの」ということになる。
帆船、農業高校、将棋……題材はどれもニッチだ。
敢えてそういうものを選んだのだから当然だが。
水野はこうも言った。
「ラノベは、前提知識が無くても楽しめるもの。だからこそ多くの読者を獲得してきた。けれど白鳥くんの書いてるものは前提となる知識が必要だろう。それでは限界がある」
「だからきみの書いてるのは、ライトノベルじゃないね。まあ、ライト文芸的かなとは思うが」
この出来事は、水野が私に「ラノベ作家として死ぬ」と語った、あの夜から数ヶ月後のことだ。
水野に初めて会った時のことについては第1回ラノベ作家対談をご覧いただきたい。
あの夜から数ヶ月が経過し、水野のホームである関西で食事をした。
さりげなく出産祝いを渡してくれた水野の口調は優しく、楽しい食事だったが、同時に、自分の足下が揺らぐほどの衝撃を受けた……。
水野良にとって、ライトノベルというものは、読者に対して垣根を作るものであってはならないのだ。
誰もが公平に、そして無条件に、楽しめるものでなくてはならない。
文体に凝るのはいい。
題材は何でもいい。
だが、誰もが楽しめるものでなくてはならない。
では、真のラノベ作家とは誰か?
水野が創始したライトノベルというジャンルを、純粋に継承し、発展させ、その裾野をさらに広げた者は?
そう考えたときにパッと思いついた人物が、2人いた。
第2回目となったラノベ作家対談は、その2人にお願いした。
伏見つかさと平坂読に。
記事の序盤で「憧れの作家とは敢えて距離を置く」という話が出てくる。
私にとって伏見がまさにそういう存在だ。
平坂に対しても、もちろん憧れはある。
とはいえ平坂の真似は誰にもできないため、かえって距離を縮めやすかった。
一方、伏見のことは15年間、離れて観察し続けていた。
『エロマンガ先生』に自分の作品を登場させたいという打診があったときも、ドキドキしつつ平静を装っていた。
伏見と話すのはこれが初めてだったが、予想よりも戦略的な人だったし、敢えて俗っぽい雰囲気を出しているようにも見えた。
口にする言葉の端々にも、多少、露悪的な表現を敢えて使っていたように思う。記事をチェックしてもらう過程で見せてくれた実に細やかな心遣いとは対照的だ。
端的に表現すると、青年実業家という感じの人だった。
「売れてる作家」に共通する雰囲気だと思う。
こういうことを書くと反発を受けるかもしれないが……売れている人というのは、住んでいる世界、見えている世界が、売れたことのない人とは全く違う。
「アニメ化したことのない人とは話が噛み合わない」と言ったラノベ作家がいた。
傲慢に聞こえるかもしれない(実際、アニメ化したことのなかった私は腹を立てた)。
しかし一面の真実ではあると思う。
ネットの書き込みや、業界内の飲み会で誰かから聞いたエピソードは、かなりの確率で虚偽が混ざっている。
また、アニメ化と一口で言っても様々だ。
時期によっても状況は大きく異なるし、アニメ化の規模も、作品によってそれこそ天と地ほどの差がある。
それはライトノベルでも同じことが言えるんだろうなと、今回の対談を聞いていて思った。
たとえば、書いてきた出版社の違い。
私のように小さな出版社で本を出し続けてきた作家と、大手の中で競争を勝ち抜いてきた伏見や平坂のような人々とは、同じ「ラノベ作家」と一括りにできないほど差がある。
そういう意味で私は、伏見と平坂の会話に入っていっているようで、実は入っていけてない。
私だけが、見てきた世界が違うからだ。
今回の対談を聞いたことで、改めて、伏見・平坂の凄味を感じた。
記事に書けなかったこともたくさんあった。
発表できないことを残念に思うと同時に、「これは自分だけのものにしたい」というエピソードもたくさんあったので、ホッとした気持ちもある。
記事の最後に挿入した有沢の秀逸な分析に、こうある。
「あの戦場で伏見さんと戦って勝てるとは思えない」
私も全く同感だ。
しかし私は、デビュー作以外、伏見・平坂と戦ったことすらない。
なぜなら私の書いてきたものは「ラノベじゃない」から。
同じ時代に生まれて、曲がりなりにもラノベ作家と名乗って15年間生きてきた。
業界の片隅に居続けることで、最も厳しい戦場で血を流すことを避け、何とか生き延びてきた。
それは自分なりの生存戦略だったし、それでよかったとも思っている。戦っても勝てないことはわかりきっている。
今まではそれでよかった。
記事にも書いたとおり、私は伏見の言葉によって、作家として生き長らえた経験がある。
その命を今後どう使うべきか?
伏見が言うとおり、ラノベ業界は非常に大きな変革期にある。
その大きな嵐を避けて生き延びるのも、立派な戦略だろう。
伏見と平坂の話を聞かなければ、私はその戦略を取り続けたかもしれない。
だが……。
水野良。
あかほりさとる。
平坂読。
そして、伏見つかさ。
いつか自分も、この人たちと同じ目線で話ができるようになりたいと思ったし、それができないまま死んでしまうのでは、あまりにも悔いが残る。
この人たちと同じような人気作家になるのは、無理かもしれない。
しかし「ラノベ作家」になることはできるし、「ラノベ作家として死ぬ」ことはできる。
デビュー作のように大爆死するかもしれない。
けれどあのデビュー作を書かなければ、私はずっと、伏見つかさの視界に入らなかったかもしれないのだ。
無自覚ではあったけれど、一度だけでも同じリングで戦ったからこそ、今があるのだ。
「この人のようになりたい」
「この人のような作品を書きたい」
そう思った人々の話を聞くために、私はこの対談を企画した。
2回目にして、自分の人生を考え始めている。
ラノベ作家になりたいと思った。
本物のラノベ作家になりたいと。