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第二章 三 古野家
ポカポカ気持ちのいい陽気、久しぶりに起きた僕はまったりとした日々を送っていた。
一番のお気に入りの梅干し小屋は、ワラで編んだムシロがひかれ、その上に裏山から取って来た梅の実が順序よくぎっしり並べられていた。
ぎんさんはその梅の実を日に何度もひっくり返して、やがてカラカラに乾燥した梅の実と、赤いしその葉を大きな壺に入れ塩をかけ、木の蓋をした。
まだちいさい義一も手伝い、今年の梅干しが出来上がった。
「今年は申年やで、いい梅干しになるのら」とぎんさんは、嬉しそうに義一に話していた。
梅干しを漬けた壺が十二個あるのは十二支すべての年の梅があるからだと分かった。
一番古い梅干しは十一年前のものだ。
子・牛・寅・卯・辰・巳・馬・羊・申・酉・犬・亥と入口から順番に時計まわりに並べられていた。
申年の梅干しは、病(やまい)が去ると言われて、とくにいいようだ。
冬の間に編まれたワラ草履は、小屋の天井から何十足も吊るされて、ワラで編まれた縄も丸めて置いてあった。
「ワラってすごいな、草履にもなるし荷物を縛る縄にもなる」
五月に入ると、茶摘みがはじまる。
お茶の葉の新芽(しんめ)をつんで、大きな鍋をかまどにかけ新芽の葉を煎り、乾燥させるとお茶ができあがる。
しばらくの間部屋中、お茶のいい香りに包(つつ)まれた。
夏の畑は賑(にぎ)やかで、トウモロコシ、なす、キュウリ、うり、トマト、大根、玉ねぎ、ジャガイモ、さつま芋、スイカまで作っている。
去年の秋に生まれた長女は『綾子』と名付けられて、ワラの籠(かご)にいつも入いっていた。
そして、ぎんさんは相変わらず、僕に気付くと、
「カエル様」と言って手を合わせる。
そんな様子を見て、義一も同じように手を合わせるようになった。
この家では僕はまるで神様扱い、藤松さんはそんな様子を見て笑っている。
盆になると、ぎんさんは玄関の外にろうそくを灯す。
「おかやんどうしてロウソクに火をつけとるんよ」と義一が聞くと、
「盆に帰って来る仏様が迷わないように迎え火しとらよ」とぎんさんは答えた。
拡声器から、「盆踊りが始まります、みなさん寺に集まってください」と放送が流れた。
まだ、公民館は建てられてなく、盆踊りは、寺の前にある広場で開催された。
提灯を持った義一が先頭に立ち、ぎんさんは、まだ一歳になっていない綾子を抱いてその後ろから、寺の方に降りて行く、僕も後をついて坂を降りて行った。
あまり社交的ではない藤松さんは、どうも人がたくさん集まる盆踊りなどは、苦手なようで家で留守番をしていた。
寺の前の広場で里の人たちは輪になり、日の丸の扇子を両手に持ち、寺の縁側に座って「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と~~手を合わせ~~」と歌うお爺さんの歌に合わせて踊りその横で若い男の人が太鼓を叩いていた。
綾子のお産(さん)を手伝ってくれた、とし婆、いくさん、ぎんさんのお母さんのよね婆と、妹のみきさんも来ていた。
ぎんさんは四人兄妹の長女で下に弟がふたりいて、一郎、二郎と言った。
太鼓を叩いているのが一郎で、二郎はその隣に座って、ときどき手拍子をしていた。
ぎんさんと、仲良しの幸(ゆき)子(こ)も子どもを連れて来ていた。
里の人たちは子どもも含(ふく)めて、三十人以上は集まっていた。
みんな楽しそうに話したり、輪になって踊ったり、なかでも文(ふみ)子(こ)は可愛らしい朝顔の柄の浴衣を着て、とても上手に踊っていた。
「文ちゃん可愛いな」思わずつられるように、僕もお寺の隅で手をヒラヒラさせて踊った。
冬が近づくと、大根、柿を軒にたくさんつるし、乾燥させ干し大根や干し柿をつくる。
縁側の前には山のようにさつま芋が積まれていた。
縁側の床下には大きな壺が埋められており、その中にもみ殻を敷き、積まれていたさつま芋を入れて、木で蓋をする。
こうしておくと、さつま芋は腐らない、天然の冷蔵庫のようなものだ、作物の出来ない冬を越すための工夫をしていた。
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