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百年カエル プロローグ


プロローグ

僕の祖母の産まれた家は和歌山県の山奥にあり、熊野古道が多く残っている地域で、上富田かみとんだから本宮方面に向かって山道を一時間ほど車で走る。
途中で国道三六七号線に入って行き、この国道が途切れる最後の山里(やまざと)だ。
木々が道の両側にしげり、昼間でも暗い山道を通り抜け、幾つかの集落を横切り、四十分ほど走ると車が一台やっと通れるほどの狭(せま)く短い橋があり、橋の手前に、『小松山』と書いた標識が建っている。
橋を渡るとすぐ右側に神社があり、御神木と呼ばれる樹齢七百年以上の大きな杉の木が二本並んで立っている。
その木が影になり神社は昼間でも暗く、さらにその内の一本は根元に大人がひとり、すっぽりと入いってしまえるほどの大きな穴が開いており、異様(よな雰囲気を放っている。
杉の木の向こう側(がわ)は、土が崩(くず)れ崖になっており、木の根が露出(ろしゅつ)していた。
もし、この木が倒れたりすれば、神社ごと下に落ちてしまうだろう。
それでも、木の根がしっかりと大地をつかんで、神社を支えている。
その姿を見ると、大地が木を支えているのではなく、木が大地を支えている、そんな気さえしてくる。
神社の横には下(くだ)り坂があり、川原へと続いている。
里の中央には、祖母の生家(せいか)に続くてっぺんが見えないほどの長い階段がまっすぐに伸びていて、その上に寺がある。
里に家は三十軒ほどしかなく、道の両脇に数軒、寺に続く階段の両脇に数件、あとは山の上に、ポツンポツンと段々畑のように並んでいる。
階段の下の脇(わき)には木造(もくぞう)の大きな車庫があり、朝方と夕方の一日二回運行するバスの停留所になっている。
この里が終点で、ここで折り返し『栗栖原』まで戻る。
道幅が狭く方向転換できないため、この車庫にバックで入り方向転換してから出発する。
おもに里の子どもたちの通学のために運行されていたこのバスも、今は運行中止になり古びた木造の車庫だけが残っている。


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