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これからお母さんになるあなたへ ~我が子も師なり~
学校で学ぶ、書物で学ぶなどの、学問とは
別に人生では沢山の学ぶ事がある。その過程で師として教えを請う人も幾人かいる。
ときとして、その師が我が子だったりする。
私は22歳で、長女を産んだ。
子育ては大変だった、乳呑み児の頃はゆうに及ばず。
物心つき初めた頃はどんな行動をするのか検討もつかない。
お昼寝させようと思い一緒に添い寝していて、
ついうっかり眠ってしまったりしたものなら目が覚めたとき、
大変な事になっている。
米びつの中に砂糖をいれてかきまわしていたり、顔じゅうに栄養クリームを塗りたくり、
おまけに口紅まで口はおろか耳のあたりまで塗っていて、
口さけ女のような形相で、鏡台の前にちょこんと座っていたり。
三千円もする栄養クリーム、二千円もする口紅、
使い物にならないくらいぐちゃぐちゃで、思わず怒鳴る、手も上げる。
そんなこともあった。
自由な時間も持てず、ストレスもたまり、些細なことでもすぐに叱っていた。
ある日、いつものように些細な悪戯で大声をあげて怒鳴る私に、
娘はポロポロ大粒の涙をこぼしながら
「ママ、私に、もう少し優しくして」といった。
はっとした。私はなんて愚かなのだろうと思った。
さして叱るほどでもないことも、大声をあげて怒鳴る、ときには手も上げる。
知らず知らずのうちに、なんの抵抗も出来ない幼い我が子を、
ストレスの捌け口にしてしまっていたのかもしない、そのとき思わず、
娘を抱きしめて一緒に泣いた。
この子は我が子だけど、私の分身でもなく、
所有物でもなく、考えや人格のあるひとりの人だと、教えられたから、それから私は、この子に対して子供として接するのはやめようと思った。
ひとりの人格のもった人として、悪戯や、
やってはいけないことをやったとき、
なぜそれがいけないのかと話す。
例えば、友達とおもちゃの取り合いをして、つい手がでてしまい、お友達をたたいてしまったりしたとき。「お友達たたいたらダメ!」と叱るのではなく。
「たたいたら、痛いよね。OOちゃんも、たたかれたらいやだよね。
お友達をたたくのは、ママは悪いことだと思うけど、あなたはどう思う」と尋ねる。
すると、子供は、
「悪いと思う、ごめんなさい」と言う。
「じゃ、お友達にもあやまろ」と言うと、「ごめんさなさい。」とあやまる。
もともとのケンカの原因になった、おもちゃの取り合いも、
大人としての、言葉ではなす。
例えば「OOちゃんは、いつでも遊べるから、今日は貸してあげようね。」と話したりしてみる。
子供は、案外、素直に受け止めてくれた。
今でも忘れないのは、高校を卒業した時娘が、
私に花束をくれて、添えられた手紙に
「無事高校卒業しました。ありがとう、これからもよろしく」
と書いていました。
ひとりの人格を持った人として接してきたことが、
しっかり自分で考え、自立できる大人になったのかもしれない
子育てをしながら、親も子に教えられ成長すると言われる、まったくその通りだと思う。
私も若かったあの頃、
まだまだやりたいこともあった。まだ、親になる覚悟もできていなかったし、
子供が出来たことで、自分の人生が終わったかのように感じて、
本当はつらかった・・・ でも今は、子育ても終わり、自立した子供達を見るにつけ ああ~幸せだなと思う。
マァ、それで今は、やりたかった事をやり残さないようにやってます。
今は 孫が四人・・・
子供達は、あの頃あくせく子育てしていた私と同じように・・・
頑張ってます。
大変だろううな~~頑張れ~~と
応援するだけの バアバです。