Happy Trails to You, Eddie!~#2
エディのいない人生が始まって早くも2週間が経過した。なんて早いんだ、時の流れってやつは・・・。
前回に続いて、オイラが敬愛してやまない故エディについて綴ることにする。今回はじめてこの記事を読まれている方はぜひ前回もご覧ください!
心揺さぶられるもの
もともとエディは兄のアレックスとともにオランダ人の父親とインドネシア人の母親との間に生まれ、幼少期に家族でアメリカに移住した移民で、英語が話せないコンプレックスを持って学校生活を送っていたらしい。父親はプロのジャズプレイヤーだったからその音楽的才能を受け継いだのは間違いないのだが、全く音楽センスの無い母親のスパルタ教育のもと、いやいやピアノ教室に通わされ、楽譜も読めないままに全くの感性と聴力だけで即興力を肥やし、コンテストに2年連続で優勝するという偉業を成し遂げてしまう。アレックスともども厳しい先生にも嫌気がさして、二人ともピアノレッスンが嫌になってしまうが、これはピアノを、音楽を嫌いになったのではなく、「音楽を習うこと」が嫌いになったということだった。その後、父親から買い与えられたギターをアレックスが、ドラムをエディが手にして自己流で始めたところ、お互いしっくりこないと感じた二人が楽器を交換した瞬間から、この世界的バンドのロング・ジャーニーが始まることになる。
前回の記事で、エディの何に惹かれるのか?自分なりに考察し、「気持ちのままに、感じるままに自由に生きろ」というメッセージが彼というヒトとナリ、楽曲、演出、演奏からヒシヒシと伝わるところではないか、と書いた。
様々な自身の意に反する状況・環境に迎合することなく自己流に独自路線を開拓していく、そんな、安易に言ってしまえばアメリカンドリームを地で行くような人生観とそれを体現して頂点に昇り詰めたひとりの人間としてのストーリーに美学がある。それこそが多くの人々が彼に心を奪われる理由であると。
彼は生涯、譜面を読めないままだったが、読む必要すら無かったという方が正しいかも知れない。(興味深いことに、Beat Itで共演したマイケルも同じ)読めるに越したことは無いだろうが、読めたからといって優れた音楽家になれる保証はない。グラマーを知らなくても言葉が流暢になるのと同じだ。
楽器に至っても同じだ。自身で独自の音と響き、ニュアンス、そして弾きやすさを追求するために、ギターを解体して作り直してしまう、インベンターだ。フランケンシュタインに因んでフランケンストラトとは、言いえて妙とはこのことだ。怪物を発明したんだから。
アイデアの爽快さに鷲掴みにされる
そんな神がかった天才が表現するものに心が奪われないワケがない。一音聞いただけで彼と判るサウンド、何度聞いても飽きないリフ、しかもギターだけじゃなくキーボードに持ち替えてもなお圧倒する表現力、引き出しの多さ。。。オイラ自身、55年の人生の中で彼のステージを2回も観られたのは今思えば超ラッキーだった。
すでにこの2週間ほどで追悼関連の多くの記事や動画が公開されているので、ここではあえてオイラ流に、世間或いはファンでさえもスルーされがちな点を挙げて、彼の独自性・独創性、世間でこのバンドを単に「ハードロック」「ヘヴィメタル」といったコンベンショナルな既存ジャンルに括るには余りに稚拙である事実を証明したいと思う。オイラごときが、たいへん烏滸がましい行為であることを顧みずに。
その前に、恒例のアナグラムも一つ!
プイ!知らんよ!
⇒ いらぷしよん
⇒ ERUPTION
【解説】言わずと知れた、エディのシグネチャー・インストルメンタル。誰もがこの謎めいたサウンドに舌を巻き、数多くのギターキッズのチャレンジ精神を奮い立たせ、コピー意欲を駆り立てたあまりにも有名な作品。だが、最初聞いたときは誰しもが「誰なの、これ弾いてるの?」「どうやって演奏してんの?」「ギター一本じゃないよね?」というリアクションで、誰もその存在、技法を知らないでいたのだ。
この2週間で追悼ERUPTION動画を少なくとも20本は目にした。そんな愛に溢れる動画を見て、目頭が熱くなった。完璧なコピーなんて存在しないが、エディに少しでも近づきたいという気持ちが伝わったからだ。
ノッケからノリノリのライブ・オープニング
最近、公開された、エディのラストライブ@ハリウッドボウル2015の映像。ライブのオープニングはいきなりアレックスのツーバスドラムとエディの速弾きから始まるのはデビュー当時からの定番。これも本人たちからすればウォーミングアップ、サウンドチェックの意味合いなんだろうが、オーディエンスにとっては運動会の50m走、ヨーイドン!って感じ。頭から突っ走るわけだからアドレナリンが体内を走り回る。盛り上がらないワケがない。
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TAKE YOUR WHISKEY HOME
アルバムタイトル「Women and Children First」は、トランプの「America First」を思い出させ・・・無いか!これを「暗黒の掟」と訳す邦題センスもすごいものがあるが、7曲目のこのブルースロック・ナンバーが途轍もなくキャッチーで好きだ。特にアコースティックのイントロ!
本編もデイヴのアドリブ混じりなヴォーカルとエディのギターの息が合っている。酒でも煽りながら録音していたとしても驚かない。
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COULD THIS BE MAGIC? FEATURING NICOLETTE LARSON
数多く昔のヒットナンバーをカバーしてきたヴァン・ヘイレンだが、これはオリジナルだからビックリする。このテイストはあきらかにボードヴィルに傾倒するデイヴの影響が大きいと想像するが、「戦慄の悪夢」と謎の邦題が冠されたのは、単にワーナー・ジャパンのマーケティング担当者がハードロックバンドに有り得ないこの楽曲を聴いて思い浮かんだ言葉なのかも知れない。エディのスライドギターが聴けるというのも、2度おいしい一品と思わせる妙だ。
ところで、トリヴィアがひとつ。この曲にバンド始まって以来初めてのゲストアーチストがコーラス参加している。カントリーで当時隆盛を極めた女性ボーカル、ニコレット・ラーソンその人だ。(彼女は残念ながら97年に45歳の若さで他界している。当時はリンダ・ロンシュタットと肩を並べるディーバ)業界屈指の名プロデューサーとして知られるテッド・テンプルマンがヴァン・ヘイレンの他に手掛けるもう一人のアーチストを採用したのだが、その後に出演のお礼としてエディが彼女の楽曲にゲストとして参加、演奏している。しかもクレジットには「エディ・ヴァン・ヘイレン」とは入れずに、敢えて「?」とされているというから遊び心満載で面白いじゃないか。。。だって、聞いただけで誰が弾いたかなんて判るんだからさ、クレジットに名前を入れる必要すらない、ってことだから。
テッド・テンプルマンとは、ドゥービー・ブラザーズ、ヴァン・モリソンも手掛けた。向かって左奥に立つ長髪・金髪の兄ちゃん。バンドメンバーと間違えられそう。
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CATHEDRAL
5枚目のアルバム「ダイヴァー・ダウン」の3曲目、邦題「大聖堂」ときた。
世間ではやたらとライトハンド奏法だけに注目が集まっているが、個人的にはこのボリューム奏法(ヴァイオリン奏法)をここまで全体に多用して構成した曲を聴いたことが無く、この発想自体が発明だと思っている。ライトハンドにしたってそう。別にその奏法は昔からあり、エディが発明したワケでは全然ない。元は存在していたところ、彼が自己のクリエイティビティでその利点・特徴を100%いや200%引き出しているところが神がかっているのだ。
なんで、大聖堂なのか?は未だに謎だが。
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LITTLE GUITARS (INTRO)
同アルバムの8曲目「リトル・ギターズのイントロ」。9曲目には本編「リトル・ギターズ」があるのだから、わざわざこの曲はイントロでありながら別の独立した曲とされている。
タイトルからもバンドのこだわりが感じられるが、その理由は曲を聴けば判る。突出しているからだ。このクラシックギターの延長とも取れる美しい旋律は、ハードロックにしか傾倒していない人間からは生まれない。もともとピアノの達人であり、モーツァルト級の音楽感性の持ち主故の産物だ。
本編のリトル・ギターズは、打って変わってファンキーなロックンロール・チューンなので、このイントロとの大きな格差によって聴き手の感性が揺さぶられる。歌詞に「セニョリータ」とあるのは、スペイン女性ってことか。イントロも言われてみればスペイン風。。。イラプションに次ぐ名インストルメンタル「スパニッシュ・フライ」にも通ずるものがある。
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BIG BAD BILL FEATURING EDDIE'S DAD ON CLARINETTE
「ヴァン・ヘイレンがどのジャンルにも属さない説」を強固なものにしている原因のひとつがこれ。1924年のクラシックのカバーだが、ゲストのクラリネットに実父のヤン・ヴァン・ヘイレンを起用しているところがこれまたニクい。
思えば、もともと兄弟バンドで苗字がそのままバンド名。オヤジも参加し、その後自身の息子がベースで参画するという、親子3代跨ぐほど家族愛の強いバンドが他にあっただろうか?お笑いに例えると、「中川家」にオヤジと弟の長男坊が加わってカルテット漫才グループを結成したようなものだ。フツーに有り得ない。
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HAPPY TRAILS
そしてこのアルバムのド・エンドを飾るこれまたカバー曲。後任ボーカルのサミー・ヘイガーでは考えもつかないコンテンツが犇めくアルバムのシメがまさかのアカペラだ。しかも最後の方はふざけあってる。楽しそうじゃないか!
楽しい気分に浸っているうちに、やめときゃ良いのに、コロナ禍で在宅時間が増えたことを良いことにオイラ自ら多重録音で再現しちゃったよ、と。爆
良ければ聴いてください。今となっては、エディに捧ぐとします。
そして、エディのギターを描いてみた
言葉は不要でしょう。スミソニアン博物館に展示されているという事実がその存在感を物語っている。
ここまで読んだあなたは、相当なファンですね?
てことで、デイヴ時代しか語っていませんが、もう充分でしょう。笑 まだまだ好きな楽曲や伝えたいことは山ほどあるけど(オイラはサミー時代も大好きなのですが、音楽性でいえば、デイヴ時代の方がヴァラエティに富んでいるのでだんぜん面白いと思っています。)、キリが無いのでこの辺にしといたろか。
最後に、エディの幼馴染やデビュー前の時代のことを熱く語る方がたのインタビュー動画を見つけたので最後に紹介します。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
ありがとう、エディ!あなたのお陰でたくさんの勇気をもらい、気分がアガり、何より人生を明るく彩ることができました。これからもあなたの音楽とともに生きていきます。アレックスが言ったように、
See you on the other side, Eddie!
「アッチで会おうぜ!」