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親ガチャとは
東野圭吾さんの最新作であった架空犯を読了した。
ネタバレになってしまうためあまり多くは書かないようにするが、複雑に絡み合った家族関係、人間関係が原因で事件が起きてしまう内容である。
読み終わった今は無慈悲なことをした犯人を責めることができない
そんな内容である。ぜひ読んでいただきたい。
この本を読み私は親ガチャという言葉をふと思い出した。
親ガチャいうものは非常に悪い言葉だ。
私たちは生まれる際どの親のもとに生まれてくるかを選択できない。
ただどの親の元に生まれるかで人生の難易度や幸福さは間違いなく変化する。
そのため私は汚い言葉ではあるが親ガチャというものは必ず存在すると考える。裕福の家庭に生まれ、なにも不自由なく育ててもらったら親ガチャは世間一般では成功だし、小さいころに親が離婚し、ひとり親で深い愛情を受けず、貧しい生活を送ることになってしまうと失敗ということになるのだろうか。ただ日本に生まれた時点で親ガチャは言い方が悪いが安牌に落ち着くことは間違いない。
最近生き甲斐がないという人とよく出会う。それは親ガチャが成功している人にしか考えることができない考え方なのである。親ガチャ失敗といわれる人は生きることに精一杯で明日まで生きることこそ生き甲斐、モチベーションなのである。
そんな親ガチャを引く際最も大切な条件は何か
自分の人生を100年単位で見ると間違いなく一番重要なことは親が適切な愛情を適切な時期に適切な量渡してくれることではないかと
発達心理学の分野で愛着の研究のパイオニアとして知られるイギリスの児童精神科医であったボゥルビィは、個体が危機的状況に直面し、あるいは危機を予知して不安や怖れなどのネガティブな感情が強く喚起されたとき、特定の他個体にしっかりとくっつく、あるいはくっついてもらうことを通して、主観的な安全の感覚を回復・維持しようとする心理行動的な傾向を「愛着(アタッチメント)」と呼んだ。
不安や怖れなどの感情の乱れを自己と愛着対象との間の関係性(二者関係:対幻想)によって調節する仕組みが愛着(アタッチメント)ということ。
幼少期子どもの愛着対象者になるのは親しかいない。中高生になれば、友達を作ったり恋人を作ったりしてほかの愛着対象者を作ることによって不安を解消できるかもしれないが、子供は親しか頼れない。
愛着が成りたつためには、子ども側の愛着要求と愛着対象の情緒反応性が呼応することが必要なのです。
多くに人が知っている通り、人格の形成には幼少期の時期が非常に重要になります。親という自分の安全感覚を回復・維持させようとする安全機関が機能しないと生きづらい人生になってしまうはずです。
親子関係というものは対人関係の基盤となる愛着関係が生まれる最初の関係でどちらかが死ぬまで続いていくという唯一無二の関係なのである。
その愛着関係がいつ崩壊するかが親ガチャ成功かの判断の規準になると考える。
最近親に心配をかけたくないという気持ちが生まれることがある。
自身から親との愛着関係を振りほどこうとしているような感じがする。
これが自立するということかもしれない。
自身から親との愛情関係を振りほどこうとすることができることが何よりも親ガチャ成功の証なのではないだろうか
それを可能にするのは裕福な家庭に生まれること、都心に生まれることではなく
親が自身の愛着に呼応し続けてくれるかどうかなのである。
この考えは今21歳の大学生が1つの論文と1冊の本で現時点で親ガチャを評価している物であって正しくない事ばかり書いてあるはずである。
親ガチャ成功失敗を何歳の時に判断するかは難しいし、親ガチャ失敗したところでやり直せるチャンスは無数にある。ただ親というものは自身の人生において最重要人物である。親になる世代に近づく私たち大学生は親の偉大さを改めて実感する必要があるのではないだろうか。それを実感するためにまずこの本を読んでください!!