思い立ってから1年。感情表現の怖さを越えて、noteを始めます
ずっと前から、なんとなく「自分の考えを発信すること」を、 "自身の成長のために" やらなくてはならない感覚があった。
でもいざ文章を書こうとすると、「仕事として」「会社として」のことは書けるのに、「自分」のことになると手が止まって、ついつい後回しになってしまう。
気付いたら、noteのアカウントをつくってから1年が経っていた。
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最近コーチングの勉強を始めたことをきっかけに、自分の話も聞いてもらう機会があり、この「発信できないモヤモヤ」をテーマに話させてもらった。
自分の感情表現をすることが怖い。
何を書いたらいいのかわからない。
書きたいのに書けない。いや、本当に書きたいのか?
自分から発する言葉を受け止めるうちに、
「正しいことを言わなければならない」
「おもしろくなければならない」
という自分の中の「発信」への "思い込み" と、"怖さ" に近い感覚があることに気付かせてもらった。
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思い返すと、小さい頃からそうだった。
・表現者(書道家)として生きる母の、光と影を見てきた
・兄姉と比べて「お前の話は面白くない」と聞いてもらえなかった
・小学校のホームルームで手を上げないと怒られて、いざあてられるとうまく話せなくて笑われた
などの経験から、傷つくのが怖くて、自分にとっては発信しないことが生存戦略の一つだった。心理的安全性が保たれた場で、内容への目的や確信が持てないと、発信できなかった。(いまでも大人数の飲み会で発言するのは苦手)
だからこそ、自分で "目的のある場" をつくってきたのかもしれない。
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そうやってしばらく個人としての発信を避けてきたけど、スタッフの一言をきっかけに、今年の3月からTwitterを始めた。
届ける相手がいると思うと、やる気が沸いた。
でも正直、まだ藻掻いていて、
「何を言ったらいいんだろう...」と正解を頭で考えてしまう。
正解はないと頭では分かっていつつも、結局心ではなく頭で考えてしまうから、日々リハビリをしている感覚だ。
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一方で、支離滅裂で承認欲求が溢れ出る文章でも、少しずつフォロワーさんがついてくれて、丁寧にDMをくださる方もいて、ほんの少しだけど、世界が広がっている実感がある。
「誰か宛に書いたらいいんじゃないかな」と言ってくれた人がいて、
「そういえば、そういう理由で始めたんだった」と、ストンと腑に落ちた気がした。
相手を思い浮かべると、"温かみ" が "怖さ" を包みこむ。
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等身大の自分を発信することで、
一緒に働いている仲間やクライアントさんと、より信頼関係を深めていきたい。
これまでわたしと関わってくれた人たちには、改めてお礼を伝えたい。
そして、これから出会う人と色んな世界を見たいし、ほんの少しでも力になれたり、一緒に分かち合えたりしたら嬉しい。
......そんなことを考えながら、ちょっとずつ発信していきたいと思います。
日々模索中ですが、あたたかく見守っていただけると嬉しいです。
▼ Special Thanks !
・Twitterを始めるきっかけをくれたスタッフのAさん
・怖さと向き合うきっかけをくれた岡田さん
・「誰か宛に書く」ことを授けてくれたゆうこりん
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