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何者かになるのは自分次第 最後は自分

どんな教育だったら自分は熱中しただろうか。鬼の様に誰かから勉強を強いられたら。催眠の様に勉強することを刷り込まれたら。
それとも楽しい学習に出会えたら。知りたい欲求を満たす何かに出会えていたら。良きライバルがいたら。
少なくとも先に述べた強制のような環境では、継続はしても熱中はしなかっただろうし、自発的にはしなかっただろうし、なにより嫌だ。
そうされなかったことは感謝。

じゃあ熱中していることがあるのかというと、、、、ないけど、、、
無理強いされなかった。それで熱中してない。と、結びつくことではない。
無理強いされなかった。だから今も学ぶことは嫌いではないということ。
これが大事だと思う。とふと思いました。

結局なにになるかは自分次第


お疲れ様です。ナニモノです。週末海岸清掃したり、サラリーマン大家をしたり、 #note でアウトプットをしたり、父親として家事育児頑張ったりしています。

昨日の夜、夜更かしルパンアニメをやっと観終わりました。やっぱかっこええよおぉ!

あえて安っぽく表現すれば、ルパン一味の絆を確認する回でした。

自分が何者か。ナニモノになりたいか。自分がナニモノだと思っているのか。自分がナニモノだと思われているか。

それを決めるのは自分!!そう思わせるシーンがありました。

”人間てのは、どんな教育をうけてこようが
最後の教師は自分自身だ
これからのお前をどうするかは
お前自身が決められる”

なるほどなぁと。あらためて言葉にすると凄いですね。
結局、親でも先生でも友達でもない。影響はあっても
最後は自分が決める。

ここからはただの私の所感です。
表現が悪いかもしれないですが、
親になんて言われようと、友達に何と言われようと、周囲がなんと言おうと、犯罪に加担するか否かは最後は自分で決める(本当は決めていると書きたいですが、犯罪に関するプロではないので、学術的にはわかりません。たとえとしての表現という意図です)

赤信号を歩いて渡るかどうかも最後は自分が決めれるのです。
その時、判断するのは自分が自分の教師になってなにを判断するか考えるということ表現だと捉えています。

#西野亮廣 さんの #Voicy で ”何者かになる為には、まず何をすればいいのか?
というテーマで話しをされてました。それより以前の回もつながってます。

この切り口から行くと、すこし先の話からはずれるのですが、テーマは同じです。

先ずはあやかる。
その上で、才能で打ち抜ける射程圏内に入る。
0→1ができやすくなった社会で、下手なそれを見せられることは興味がない。
0からプラットフォームを創り、そのプラットフォームのトライエラーするのは、時間の無駄。当然お金もかかる。自分のもつ武器をブラッシュアップしていく

この話を自分のテーマに置き換えると、0から自分がナニモノかになろうとするな。自分がナニモノかもあやかればいい!自分だけ特別だと思う必要はない。
そしてあやかるためには、 自分以外に素敵な教師(私にとっては、西野さんやロザンさん、素敵な作品たち)に触れていることは大事。外に教師を持ち学び、最後は自分。善を真似すれば良いのだ。
というところです。

そこで、やはり自分が教師であるべき。そして、教師たるべく、学んでなければいけないし、失敗してみないとけない。無駄は省くべき。

というところに行きつきます。
結局、最後は自分で決めるし、それを決める自分は自分で磨かなければいけない。学んでいなければ勘違いしてるかもしれないし、失敗やだめな選択肢をとる可能性が高くなる。
時間もないのに0からなれもしない何かになろうとしているかもしれない。

自分がナニモノであるか、学びは必要。そして外からも学ぶ。真似ぶ。そうやって自分がナニモノかを決める力をつけていくのが必要なんでしょう。
もちろん自分を反面教師にしても良いのだと思います。
そうしたら失敗からは離れられますよね。同じ失敗を繰り返さないって大事。

皆さんは自分がなにものか。
どうお考えですか

それでは、
LOOK UP!!
素敵な一日をお過ごしください




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