日記2024.07.30
noteを始めた時、稚拙でもいいから、文章を書きたいと思ったんです。誰のためとかじゃなく、自分のために。
今日は、わけもなく苦しい夜に、筆を取ります。自分を少しでも救えるように。
恥ずかしいんですけど、自分の文章が好きなんです。自分を救ってあげられるのは、自分しかいないと、文章を書いていると、本気でそう思えるんです。
最近、悩むことが増えました。視野が広くなるごとに、自分の客観的な地位もわかるようになってきました。
人に憧れることも、他人の何かを欲しがることも増えました。
そんなことを考えても無駄だと、叱咤することも増えました。
たくさん学びました。ひとりでいることも、誰かといることも、刺激を感じることも、マイナスなことを受け流すこともうまくなりました。
ただ、どんどん自分がつまらない人間になっていくような気がするんです。
自分が学んだことで、いろんな可能性を捨てているような気がして、惨めになっていくんです。
大人になることは、いろんな可能性を味方にしていくことだと思ってました。
いろんな人が味方になって、共有できることが増えるのが大人だと思っていました。
ただ、今の自分は、誰の声を聞くのも怖くて、閉じた世界で冷笑的になっている。
誰かの意見を聞くと、批判されたような気持ちになる。
自分を貫くのも怖いし、貫けるような自分なんて、まだない。全然ない。展望もない。
正しい生き方なんて、本当にあるんでしょうか。
そもそも、正しさは絶対的なんでしょうか。
我々が認識している常識は、本当に常識なんでしょうか。
等しく、優しい人が割りを食っている気がするんです。
理不尽に、利己的に振舞うのが、利益を優先的に享受する原則になりつつあるんじゃないか。正しくあろうとする人が、正しさを笑われる日が来るんじゃないか。
そう懸念しています。
私は、理性的に思考する人が、報われる世界を望んでいます。
正解のない問いを立てて、悩み、真っ直ぐに生きる人を尊敬しています。
目の前のあなたも、そうであってくれると嬉しい。孤独を笑うのではなく、孤独を味方につけるようなあなたを、心から尊敬します。
そして、この息苦しく辛い夜が、猛暑の幻影であることを祈ります。
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