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父親からの虐待後、両親が離婚した1年間の話【毒親】



小3 春


 

階段を下るとリビングで両親が離婚話をしていた。これが私の一番古い記憶。それ以前の記憶はストレスで抜け落ちている。
母は笑わずにたたじっと離婚届を差し出していた。父親はそれに動じることはなく2週間後、二階建ての豪勢な家から出ていくことになった。



裕福な暮らしから、15年間専業主婦で無資格の母が働く低賃金の暮らしに変貌した。
食べたいものはないしシャワーを浴びると長いと怒られる。母は男をつくって夜には居なくなった。
決まって「友達が病気だからご飯を届けに行く」と言った。
派手になっていく下着を見ていればすぐに男だと分かった。

母は生後半年で親に捨てられ養女となり、養父は5歳の時になくなり養母からは日常的な虐待を受けていたそうで、親戚付き合いもないため寂しかったのだろう。


離婚後、父親は家族をストーカーするようになった。車で追いかけたり学校まで来たりしていたので、居住地を変えざるを得ないかった。
1年間で計4回引越しをした。



離婚調停の条件として、末っ子の私と月1父親と会うというのがあった。


どんなに高いものを買ってもらっても何も嬉しくなかった。ずっと欲しかったキラキラがういている自転車もなにもかもつまらなかった。

離婚後父と会うのを重ねていった時、母は養育費を貰うために私を使っているのだと幼いながらに感じ取り父親の家から逃げ出した。

母親は特に怒らなかったが、その後「メールや電話が何件届いて大変だった」と言ってきた。

一体私は何のために産まれて何のために人生を歩んでいるのだろう

当時の担任の先生は、カッとなると子供をビンタする人だった。
私は先生の的となり、ストレス発散道具となった。

理不尽に手を挙げられ、返事をしないとドスドスと私の所まで歩いてきて机を蹴られた。



新しい居住地にも慣れて来た頃、母が鬱病になった。
本能的に何かを感じ取り、それからは夕食作り以外の家事は毎日私がこなした。

母は必ず「助かってるよ〜ありがとう」と言ってくれたが、笑顔はなく寂しく心苦しかった。


追記 小4


母が更に、男にのめり込みギャンブルを始めた。

子供たちが邪魔になったのかあの二階建ての豪勢な家に中学生未満の子供を3人置き去りにした。

その頃から何かわからない家庭内の異変を感じていたが、高校生になるまで誰にもいえず21で家を出て親を捨てた。

今は小さなことも幸せだと感じれるほど精神が安定している

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