小説「目玉焼き教って?」 #2
遅れてすみません。ちょっと授業が長引いちゃって。
はい、私が菊岡です。菊岡ハナエ。
そうですね、私の世代はあの「ネオ★クラシカルネーム」がお母さんたちに流行った世代なので、こういう名前なんです。友達はタミとか、フネとか、そういう名前の子が多いですね。
周りがそういう子ばかりだから、特に変だなと思ったこともないですけど、やっぱり年上の人からみたら変なんですかね?よくわかんないです。
目玉焼き教の話ってことで伺ってたんですけど、私の仕事とからめて話した方がいいんですよね?あ、やっぱりそうですよね。
私の仕事は「家庭科教師」です。
この駅から三駅先にある「私立風見鶏学園」で教えています。昔からある学校なので、結構古風なところもありますが、基本的にはのびのびとした校風のところなので、生徒たちも皆いい子ばかりですね。
目玉焼き教における宗派は、「二つ目玉派」となっています。もちろん他の宗派の子を入れないということはないのですが、やはり大多数が二つ目玉派の子たちですね。もちろんそこからさらに細かく宗派は分かれるわけですけれど。
家庭科は、ご存知の通り、目玉焼き教系の学校では必修科目です。生徒たちは聖典の中身を理解し、さらには教義について理解するための様々な実習を行います。そのためにいるのが、私達「家庭科教師」ですね。
他の宗教で言うと「宣教師」とか「神父」とかがそういう言葉になるのかもしれないですけど、それらよりもこっちの名前の方が、より信者の人に近い立場に入れるような気がしています。
ええ、家庭科の中で、もちろん「聖餐」作りは最初に学びます。今までだったら他人に作ってもらっていた聖餐を、初めて自分で作って食べるときの彼らの表情には、何度見てもこの仕事のやりがいと、責任感を感じさせられます。
私自身の宗派ですか?私は「二つ目玉胡椒マヨネーズやや硬め」です。
ええ、確かに二つ目玉派の中でも、少数派に属する宗派ではありますが、二つ目玉という大きな宗派の中では、皆、最終的な価値観は分かり合えると思っています。
この宗派になった理由。うーん、ちょっと恥ずかしい話なのですが。
私の両親は「二つ目玉ウスターソース半熟」という、王道ではないにせよ、一部の地域では熱狂的な信者を持つ宗派の人たちなんです。だから、私はもちろん二つ目玉焼き派として育ったし、高校に入るまでは親の言う通り「半熟ウスターソース派」でもありました。だから私、今でも半熟作るのすごい上手なんですよ。家庭科は小学校の高学年から始まりますからね。
それで、高校生になった時、すごい仲良しの友達が出来たんです。その友達の家に行って、初めて出されたのが「二つ目玉胡椒マヨネーズやや硬め」の目玉焼きだったんです。
それが、すごくおいしくて。
それから、友達の家に行って、それを食べているうちに、私もその宗派にもっと寄り添いたい、いっそのこと改宗してしまおう、となったんです。高校二年生の夏でしたね。
「味で宗派を変えるなんて!」と親には言われましたが、私にはこれも何かの導きのように感じられたんです。
体が求めているものに素直になる。
ほら、聖典にもそんな一節がありますよね。職業柄聖典は持ち歩いているので…ほら、このページ。
「食べたいものを食べるのも大事!節制ばっかりはよくないかも?」
ですね。喪失時代の言葉なのでまだまだ完訳はされてなく、解釈は様々なのですがこれは、時に体が求めているものこそ、本当に大事なものなのではないか、と言っていると言われています。
そうですね、今後研究が進んだら、もっと聖典の言葉が我々にも示されると思いますし、その時にはきっと、この言葉がより私にも染み渡るのだと思うと、未来が待ち遠しいですね。
最後に、私の夢、ですか?
そうですね。やはり「家庭科教師」として、今よりもさらに、この目玉焼き教の教えが広がることでしょうか。
もう少し身近なところで言うと…そうですね、聖母が毎年病気にかからず、たくさん卵を産んでくれるといいなって思ってます。
ええ、うちの学園では聖母を放し飼いにしてるんです。今度是非いらしてください。
ストレスフリーな環境で育てた聖母が生む卵は、やっぱり格別ですよ。
プロフィール
菊岡ハナエ
2690年生まれ。二ホンのハマヨコ在住。
二つ目玉派の学校として有名な私立風見鶏学園に務める家庭科教師。
宗派は「二つ目玉胡椒マヨネーズやや硬め」派。
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