「数パーセント」のなにか
どうも、学生です。
「厘」という割合の単位が好きな学生です。
なんか、かわいらしい感じが良いじゃないですか。だからです。
さて、今回は「『数パーセント』のなにか」です。
心配事の9割は実際には起こらない。
このようなことはSNSや本
誰かしらから1度は言われたことがあるだろう。
かくいう私もその一人で、
その言葉にどれだけ勇気とは反対の濁り切った歪な感情を貰えたか。
さらに追い打ちとして、そのあとに付け加えられる一言
「だから、大丈夫だよ!」
…なぜ文章に必然と「!」を付けざるを得ないテンションで言われなければならないのか。
大丈夫という言葉ほど、丈夫な意味合いを持っていない熟語はない。
常に不安定さが滲み出ている。
ここまで書けばさすがに伝わるだろうが、
「心配事は~」という文言を一度たりとも信用したことがない。
書きたくなくて省略してしまうほど嫌いである。
実際研究結果も発表されており、
この言葉自体は大方合っているのだそうだ。
私自身、学生であり、研究がなされているのであれば
それは信じてみる価値はあると考えたいが、
いかんせん、この文言においては、拒否反応が出てしまう。
アレルギーというか、条件反射というか、その類のものがある。
理由は何となくわかっている。
以前にも書いたように、
私は石橋を叩いて叩いて壊してしまうほどの慎重派で、
渡るためには背中を押される理由がもう何個か必要なほどである。
そんな人間なのだから、
心配事なんて一つの事柄に対して最低二桁は思いついてしまう。
心配を抱えたまま、やってみる。
上手くいってもいかなくても、反省点や減点箇所が見つかる。
そして、さっきの文言に返してやるんだ。
「ほらねっ!」と。
そしてまた新たな出来事、新たな心配事の発生。
こんなサイクルを繰り返している人間に、
気休め程度の声掛けなど通用するはずがない。
さらに、ここ最近になってSNS(主にインスタ)が拍車をかけてきた。
どこのサイトから引っ張って来たのかわからんイラストのアイコンで
人生うまくいってますよ風のインスタアカウントが私に襲い掛かる。
そんな奴らがのうのうと私のおすすめタイムラインに顔を出しては、
これ見よがしに「これをやれば、人生良くなる!」という
自分で作りだした科学的根拠でもなければ、
無意味に膨張した自己肯定感の塊とされる自己啓発本から引っ張って来たかのような文言を我が物顔で投稿し、
最終的には、自分のアカウントのフォローを促す鬼畜の所業。
そんな中に、「心配事の9割~」みたいなのが来りゃぁ、もう。ね。
嫌悪に嫌悪を重ねてきやがった。
数学の理を無視して、この現代で
マイナス×マイナスがさらなるマイナスを作り出してしまったのである。
どうやら私は、まっすぐした視界ではないようで、
だから、心配事に心配事のトッピングを重ねるは、
温情含みの声掛けに対して、殴りかかってきたと解釈してしまうはで、
できない学生から抜け出せないままなのだろうな。
いいや、今後は心配性の人間ではなく、
リスクヘッジ学生として
側だけ取り繕って人生流してみるとするか。
今回はここまで。次回も何卒。
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