「無力感」のなにか

どうも、学生です。
心がざわつくときは、歩いたりしゃがみこんだりする学生です。
外出しているときは脳内でやってるね。
さて、今回は「『無力感』のなにか」です。

鼓動は高く鳴り響いて…

時々私は「無力感」に飲み込まれる。
それは、家族や友人にはもちろん感じるし、
ニュースで取り上げられた人物に対しても思いを馳せる時もあるし、
自分自身にも感じることがある。
自分自身に対しての感情は果たして「無力感」なのかはさておき。

無力感に飲み込まれた時、
体に反応が出てくる。もちろんだが。

まず、私の胸の鼓動は高くなる。
早まっている気もするが、そんなことが気にならないくらい。
高くなった鼓動により心臓が胸骨に響く。
胸が張り裂けそうとはよく言ったものであるが、
私の場合は張り裂ける前に骨にヒビが入りそうだ。

高ぶっている鼓動を抑えようと脳が神経に伝達しているのか、
次に手足に力が無くなってくる。
立っているときは何とか脊椎で姿勢を維持しているような感じ。
最終的にはうずくまってしまうが…。

外ではあまりできないが、家ではそんな感じ。
家族には、「いきなり歩いてどうした?」と言われるが、
「すまんな。私の体がウズウズしてたまらないようでネッ。」
と、脳内ではカッコ悪いキザ役で返答するが、
「うん。ちょっとね。」と
弱弱しい、眼鏡に曇りが入るタイプの図書委員がリアルだ。

会議の結末?末路?

身体反応としてはそんな感じだが、
脳内では、心の中では何が起きているのか。

多分、無力感一強の独裁政権が私の脳内で敷かれているのなら、
「早く政権交代起こさないかなぁ。」と思うが、
そんな容易いことではなかった。

三権分立と言えようか。
多分、例えは間違えているが。

脳内には三人衆が存在しており、

「行動すれば何か変わるかもしれないっ!」
と息巻いているポジティブさん。と

「一旦、相手の反応を待ってみましょう。」
と一見中立な受容な態度さん。と

「行動したら何か変わってしまうかもしれない…。」
とトボトボしているネガティブさん。
この三人衆が会議を行い、出しているのが9割5分

「私には何もできない…。」という結論。

実際、私の中のポジティブさんは本当は臆病だったり、
受容な態度さんは、過干渉を恐れているが故の立場であったり、
ネガティブさんは、「でもっ!」と語気強めだったりして、
実際の立場とは違う思いや性格であっても、
立場上の振る舞いをしていたりする。

そこから来る無力感。

言語化してわかったのだが、
「無力感」というのは、独裁者ではなかった。
合議の上出た採決によって生まれた社会情勢であったのだ。
空気は動かそうとしても難しいからな。

私もマジョリティの一人になってしまった。

最近これを書こうというきっかけになった出来事があって、
学校に行く途中の話なんだけど。

朝、人が忙しなく行き交う駅の構内。
私の目に映ったのは、白杖を片手に持ち歩く人。
スーツを着ていたから多分出社する道中であろう。
白杖を床に滑らせながら歩いていたが、
点字ブロックには当たっていなかった。

私もそこまで知識がないから、
別にそれでも行ける人だっているだろうし、
よろけてもいなかったから大丈夫かもとも思ったが、
それでも心配で一声かけようかと思った。

でも、脳内会議が始まり、結論が出た。
結果は今までと同じく
「私には何もできない…。」

実際、始業時間ギリギリであったから、
自分を優先したのもある。
自分優先は仕方がない。
仕方がないんだけど…。
やはり「無気力感」は出てしまう。

その時はほとんど出ていなかったが、
ふと暇になると、無気力感に陥り、肩が落ちる。

その時に考える。

「私はまたマジョリティに飲み込まれてしまった。」

別にマジョリティでもいい。
気にする必要はないのかもしれない。
気にしすぎかもしれない。
皆そこまで考えていないかもしれない。
考えすぎと言われるかもしれない。

でも、

それがマジョリティで、
それが普通であっていいのか?

誰かがやってくれるだろう。
そういう風に考える人が多くいる。

私はその「誰か」になりたい。
その考えの人もいる。
私もそうである。

でも、できない、しない、やれない人が多い。
私もその一人である。

誰かになりたいと考えるのは偉い。
そう思っているし、
私自身を鼓舞する力になる。

でも、結局は
「皆は結局助けてくれない。」
その皆の”一人”になっている。

それがたまらなく悔しいし、辛い。

でも、そんな嘆きも通じないし、通用もしない。

私は悲劇の一人芝居を誰もいない小屋で演じ続けるのだ。

急成長なんて以ての外だって!

小学生までは無邪気だったから、
相手のことを考えずに行動していたと思う。
良い行いも悪い行いも。

でも、年を重ねていくと、
常識とか社会とかそういうものによって
相手がどう思うか考えて行動するようになった。

もちろん、それがなければ
勝手な行動や相手の嫌がる行動をするから、
考えること、思うことは必要である。

でも、私はバランス良くできなかった。
きっちりと「右へ倣え」を習得しすぎてしまった。

それによって、相手をおもんぱかりすぎて
今までみたく行動できなくなってしまった。

そんなことを思ってだろうか。
時折、行動力を見せようと努める時がある。
急成長しようとは思わないが。
長年積み重ねていければとは思ってはいる。
今回はできなかったけど。

もちろん、「いつでも待っている」という姿勢は大事である。
それが安心につながるから。

でも、行動を起こさなければ、その姿勢は伝わらない。
そう考えている。

できない日が多いけど、
でも、
地道に地道に。
急成長しないといけないことなんてないからね!

今回は以上。次回も何卒。

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