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昨年

切り替え

2021年は、2020年に発症した適応障害とうつ症状を踏まえ、再度苦しまないためにはどうすればよいかを考え、自分なりの生きていく方向を固めようという課題を持ってはじまった。
とりあえず、自分は普通にしていれば笑われる、バカにされるという考えを持ち、想像上の普通になるための努力を怠ってはいけないという強迫観念のような思いを捨て、自分の感情に素直になること、自分という他者を受け入れること、自分という他者のために生きることを軸にして生きることにした。
ならなきゃいけない誰かではなく、なりたい自分になる。自己啓発本にありそうな結論だが、あれこれ考えた結果このような考えに至った。

自分にこびりついた認知の歪みを解消するためにも、心理士の検査も受けてみた。頭で認識する情報量と処理能力との間にギャップがあるとのことだったので、ADHDのこともよぎったが、あくまで数値にギャップがあっただけで、検査の数値は非常に高いと何度も言われた。検査結果から職場でコントロールできるならこのような環境にしていきましょう、こういう考え方をもっておくと過ごしやすくなると思いますよと様々なアドバイスをもらえた。心理士からの言葉が夏場での決断にもつながったんだろう。

自分に足し算(見栄)も引き算(卑下)もしない。100%を出し続けて潰れるくらいなら、70%で過ごす。70%でできることをこつこつ増やす。これは他人と比べるのではなく、あくまで自己ベストでこつこつ増やす。そういった考えを持ってからは、苛立つことはほとんどなくなった。

もうひとつわかったこととしては、自分は飛び交う言葉に強く影響を受けるということ。皮肉屋に囲まれたり、悪口で盛り上がる場にいれば、どんどん黒い気持ちに蝕まれてしまう。小沢健二は「意思は言葉を変え」と歌ったが、自分の場合は逆だったんだろう。

いい気持ちで落ち着けた一年だったと思う。

出会い

去年の3月頃、行きつけの古着屋であるレコード屋を紹介された。同じ時期に行きつけの居酒屋の常連からとあるバーを紹介された。この2つのお店が自分にとって大きな出会いだった。
レコード屋の店長主催のイベントでDJイベントに参加したり、定期的にバーでDJをしたりすることができたし、音楽について思いっきり語って良い場所が地元にできたのがなによりも嬉しかった。それが夏の決断につながったんだろう。

再開

趣味に軸をおいて生活をする決意ができたので、創作をやりたいだけやった。モキュメンタリーの脚本、知り合いのバンドの楽曲MIX、楽曲提供、REMIX提供、REMIXの作成、短歌・詩、DJ、衣服のデザイン、トラック制作、楽曲制作、歌詞の作成などできそうなことにたくさん手を出した。クオリティ以上にそれらに取り組むことが何よりも幸せだった。

これらの趣味に取り組むには、今の仕事では立地的にも疲労の度合いとしても、少ししんどいと感じたことや、心理士からの言葉、地元での出会いを踏まえて、夏前に前職の採用試験を再度受けることにした。前回は何かを成そうと躍起になっていたが、もう最低限のことだけをしようという思いや、仕事への取り組み方を個人でコントロールできること、有能無能論争から離れたかったことなどを踏まえれば前回のように自分を追い詰めることもないだろうと思えたからだろう。
何年か講師をすることも辞さない覚悟であったが、合格をいただけたので、春から出戻りという形になる。追い詰めた貯金があったからなのか、そもそも追い詰めずとも実力がついていたのかはわからないが、うれしい気持ちよりもあっけないという気持ちのほうが大きかった。実力を認めてもらえているのは嬉しいので、一生懸命肩の力を抜いて、趣味に取り組むための隠れ蓑とさせてもらおうと思う。

これから

創作を続け、読みたい本を読み、食べたいものを食べ、動きたいときに動く。朝日を必要以上にありがたがるのではなく、朝日を朝日だなと思う幸せを確保し続けていたい。
駄文だろうと駄曲だろうと、頭の中にあるなにかを形に残しながら日々を過ごしていきたい。先程70%と書いたが、質の高い50%を目指して生きていこうと思う。

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