【タロット日記】今後の実母のケアをどうするか占ってみた。
私はタロットをすこーしだけ趣味としている。今回の日記は実母のケアをどうするか占ってみたことを書こうと思っているが、私とタロットについても初回の日記なので触れるとする。
すこーしだけというのは、毎日のようにカードを触る習慣はなく、人に教わった経験もないので、趣味です!と言って良いレベルなのか…だからだ。ただ、そのわりには信頼している。理由は単純で、タロットとの出会い方が良かったのだろう。
数年前に初めて鑑定なるものをしてもらった際、そのお姉さんが展開した3枚のカードがドンピシャすぎだった。当時はタロットの絵柄も見たこともなく(昔、金田一少年の事件簿か何かでみたような気がする程度)、ローマ数字の読み方もわからず、そもそもカードの何処を見れば良いのか?全くわからない私がみてもドンピシャ!だった。ただ、鑑定中の私は終始めそめそしていたので、カードの名前や意味などを伺う余裕もなく、優しいお姉さんの言葉を一言一句受け止めることに必死だった。帰宅してから、何だかすごい体験をしたような気持ちで一杯だったので「あのカードは何なんだろう?”タロット 女性 ベッド 剣…”」みたいなことを検索して…というような出会いだ。当時、会社を辞めて隠者のようにひっそりと生活していた私は、その後、タロットカードを購入し、日々めくってみるカードが、どんなにシャッフルしても、めそめそしたカードばかりだったので、刷り込まれた感もある。
シンクロニティ的なものも漠然とあるんだろうなあとは思っている。そして、そもそも、どのようなカードが出たとしても、私がどれだけ下手っぴでも、出て来たカードをきっかけに思考が広がり、そこから自問自答が生じて、ごちゃごちゃしていた頭や感情が整理されていくので、そういう意味でとても良い道具だと思っている。
そう、当たる当たらないという次元の話ではなく、展開されたカードをみて、パッとヒントを得たり、本当の気持ちに気づいたり、思考を深めて整理することができ、落ち着いて現実にも目を向けることができる、という意味で信頼している。
ということで、前置きが長くなったが、信頼しているタロットさんで「今後の実母のケアをどうするか」占ってみた。実母は私の住まいから1時間位の場所に、私の弟と暮らしている(弟よ、本当に有り難う)。60代後半、要介護2、脳血管障害、高血圧、変形性膝関節症、睡眠時無呼吸症候群を持っている。約15年前に初めて脳梗塞を起こしてから、数回にわたる脳梗塞と加齢で脳機能は随分と低下しているが、幸いなことに完全に麻痺している機能はなく(神様仏様ご先祖様、有り難うございます!)、杖をつきながらどうにか日中独居の生活は出来ているが、一人で外出は出来ない。ここまでの持病、症状であれば、何処にでもある話で、そのケアを負担に感じているなんて…と怒られてしまいそうだが、実際のところは、周囲の理解を得にくいところで負担を感じている。そもそも、実母は、少女のまま大人、高齢者になってしまったような人だ。もしかすると発達に何か障害があるかないか位のグレーゾーンなのかもしれないと考えた時期もあったが、今となってはそこを調べる労力も惜しいし、知ったところで出来ることも得られることも限られる。何より、日々のケアと病院送迎で手一杯なので、わざわざそこには踏み込んでいない。シングルマザーで子ども3人を育ててくれたことには大変感謝しているが、昔から、なかなかの困ったさん…。脳機能が低下していない時から、金銭管理、栄養管理などは全くできず、小中学校時代の私には人間関係の愚痴ばかりだった。そういう人なので、ある意味、ようやく年齢が人間に追いついてきてくれたおかげで、子どもだけが抱えることなく、社会から支援してもらえるようになり(介護保険を利用してデイケアに通うなど)、ある一面では、娘としては、ホッとしているところもある。
そのように元々日常生活の質が低かった?粗かった?実母に、今、改めて、どの程度の生活の質を求めるのか…は、そもそもあるものの、健康と安定的な生活に配慮した食事、体調管理、服薬管理、排泄、精神的なものへの支援は必要で、弟と私(遠隔だが)がある程度管理している状態であり、いよいよ私は施設への入居を検討している。
一度、施設暮らしが始まったら当然片道切符だろう。戻ってくる家らしい家もないので、戻るにしても誰かの家で引き取るということになるが、それは現実的ではないだろう。一昨年位から、いよいよ施設かなと考え、どのような施設があるのか調べたりしていたが、同居していて一番苦労している弟は積極的ではない。弟としては、「昔あれだけ苦労したのだから今は楽をさせてあげたい、恩返しをしたい、かわいそう」という気持ちがあるようだ。すごくわかる。けれども、弟は、イライラして口を利かない日も結構ある様子。口を利きたくなくなる気持ちもわかる。が、そこまでストレスがピークになるなら、施設に入って貰って、生活支援という面ではプロにお任せした方が、子どもたちも優しい気持ちで、連絡とったり、会いにいったりできるのでは?と思うのだが、弟本人は自分で面倒をみないと駄目だ、薄情だと思っているのである。一方、母も弟に感謝しているものの、一緒に生活しているとシンドイ等を漏らすこともしばし…そして娘にしか話せないこともあるようで、会いに行くたびに「やっとわかってくれる人と話が出来た」など漏らす。私としては実母の気持ちもわかるし、弟が弟なりに一生懸命支えているのも知っているので、いろんな意味で胸が痛い。
母と弟、実際に、二人が生活している姿を見ているわけではないので、お互いが私に報告する内容でしかわからないが、そもそもの生活リズムが違う二人が一緒に暮らすのは、いよいよ限界に思う。共依存に関して書き始めるとまた更に長くなってしまうので割愛するが、そういう課題が垣間見えるからだ。常にもやもやと感じながらも、ここ数年、私からは動かなかった。勿論、日常生活の支援はこちらから手を差し伸べている、複数の病院送迎、デイケアやケアマネさんとのやりとり、介護関連の各種手続き等は対応しているが、母と弟との関係は意識して介入しないようにしていた。それは、私自身の性格の問題とも重なるからだ。私自身の問題として、HSP特有の「気づいちゃうから、なんでもかんでもしてあげちゃう(頼まれてもいないのに)。自分を犠牲にしてまで、責任を引き受けちゃう。」的なものがあるからだ。
ということで、更に前置きが長くなってしまったが、本日、今年の「タロットはじめ」として実母の今後のケアをどうするか具体的に聞くためにも『母は施設で暮らした方が良いか』という問いを占ってみた。ワンオラクルで。
少し前だとこの手の悩みを占う時、ケルト十字スプレッドを使うことが多かったが、それだと逆に色々理由をつけたくなっちゃって大変なことになるので、ここはシンプルにワンオラクル。
結果、ワンド9。
え?ワンド9か~。え?誰がワンド9、いや、ワンド9か、そうかワンド9か…。これが私の率直な感想。ワンド9しか言ってないけど、すんごく納得したワンドの9。勿論、正位置。
結論、施設で暮らす方向をなのかと。
ワンド9、パッと見た時は、頭に包帯ぐるぐるで棒に支えられているハンデを追っている人(まさに実母)が、もう限界直前、打ち手もない、ギリギリのラインで踏ん張っている…?え?踏ん張っている?頑張っている?そう?え、誰が?とか思ってしまったけど、あ~なるほどと。
もう色んな意味で限界まで来ているなという意味合いもあるし、人生のクライマックスをどう過ごすか的な意味もあるんだろうなと私は解釈した。
もう、打つ手がないよね。問いの部分で『暮らした方が良いか』というような、良い悪いみたいな聞き方をしてしまったが、良い悪い以前に、現実的な選択肢として、他に打つべき手段が無い(=施設で暮らすしかない)のではないか。
9...人生のクライマックス。本人にとっては精神的にはシンドイかもしれないが、最後の最後で、自分にとって大変な状況であろうと、踏ん張るしかないのかな、と。自分の人生に責任を持って向き合うためにも。
精神的に子どもに依存しきっていた母に、何度も何度も自立して欲しくてずっと働きかけてきた。日記を書くことを勧めたり(書かなかったけど)、書けないならLINEで良いから、一緒に目標設定をし、その日の出来事を報告させ、スモールステップで自己効力感を高めようとか、日々やっていた。働いていた頃もランチの前後に時間を見つけては電話したり、激務の最中も。昔、藤田考典氏の「下流老人」という本を読んだとき、そうなんだよな~、経済的に自立できなくても精神的に一個人として自立して欲しいんだよな~と、実母に思ったこともある(本の主訴とはズレるけど)。数え切れないほど、実母と実母のための対話を重ねて来たけど、最近は、もう成長することは期待できないので、如何に老化を食い止めるかだった。本人の精神性の向上は、もはや諦めていた。
そうか、ワンド9か。
人生のクライマックス、圧倒的に大変な状況だけど、最後の最後に自分自身の力で、自分の意志・意思で必要な助けを求め立ってい行けるように、自分の人生に責任を持てるように、支援してあげることが、子どもたちの役目だなと受け止めた。
施設で暮らしながら、改めて、実母と弟と私、穏やかに関係を維持していけると良いかと。とはいえ、焦らず。実母と弟に、どうポジティブに受け止めて貰い、送り出してあげられるか、また、落ち着いて考えてみようと思う。
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