佐久間旅館と川越城本丸御殿
昨日の久しぶりの川越訪問で、あらためて高校のときにはあまり気にも留めていなかった川越の魅力について考えています。
[佐久間旅館]
通学路の途中にあった川越の佐久間旅館。ずいぶん古そうな旅館だなとは思っていました。
高校生だった1981年のある日、佐久間旅館周辺がざわつく出来事がありました。将棋の名人戦が佐久間旅館で開催されたのです。今の将棋人気だったらもっと大変な騒ぎになっていたかもしれませんが、それでも当時将棋に全く興味が無かった私でも、名人戦があの佐久間旅館で行われるというニュースと付近のざわつきで、「佐久間旅館とはいったいどんな旅館なんだろう?」と興味を持ちました。
デジタル大辞泉プラス 「佐久間旅館」の解説によると、「1894年創業。多くの文人墨客や皇族も利用した老舗の宿で、1911年に建造された奥の間が1999年、国の登録有形文化財に登録されている。」とのことです。
たしかに文化遺産オンラインに佐久間旅館奥の間の情報が掲載されています。
佐久間旅館の元女将佐久間寿美さんは川越の女傑とも呼ばれていた方だそうで、親交のあった方々の中には、尾崎紅葉、島崎藤村、堀口大学などの名前も見られます。
将棋の名人戦が開催された1981年にはご健在だったようです。
残念ながら佐久間旅館は2018年、120年以上の歴史の幕を閉じ、廃業されたそうです。それでも昨日、佐久間旅館の前を通りましたが、その古い歴史ある建物は私が高校生の頃のままきれいに残されているようでした。
[川越城]
高校の頃何度も話に聞き、訪れていながら私にはその価値がわかっていなかった川越城。
日本には数多くの美しいお城が残されていますが、現存する御殿は全国で4棟のみだそうです。そのうち二条城と掛川城に残るのは二の丸御殿。本丸御殿が現存するのは高知城と川越城の2城のみだそうです。
高校時代、日本史の先生から近所にあった川越城本丸御殿の価値について何度も講義を受けていたのに、当時その価値が実感できなかった自分が情けないです。
そういえば三代将軍家光や四代将軍家綱を補佐した「知恵伊豆」こと老中松平信綱も川越城の城主となっています。
信綱と言えば、川越周辺では新河岸川の改修や野火止用水の整備など、武蔵野の開発や藩政の基礎を固めた人として有名ですが、島原の乱を鎮圧したことでも有名です。信綱は島原の乱鎮圧後、武蔵国忍藩より3万石加増された6万石で川越藩に入封しています。
先日の九州旅行で島原を訪れた際に、信綱の名前を目にし、島原の乱の経緯を学んできました。島原の乱は想像以上に壮絶で驚きました。
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