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37年前の今日。8月12日。

37年前の今日、1985年8月12日、私は長野県の野尻湖周辺で行われていた第4回陸上発掘に参加していました。

野尻湖の湖底からナウマンゾウの臼歯が発見されたことをきっかけに始まった野尻湖の湖底発掘では、人類の手が加えられたナウマンゾウやオオツノシカの骨や石器などが発見され、当時の人々がこれらの大型哺乳類を狩猟しながら生活していたことが示唆されました。

1985年の夏、大型哺乳動物の狩猟現場や解体現場の解明など、当時の人々の生活の様子をさらにくわしく解明するために、全国の野尻湖友の会の会員が集まって野尻湖周辺での第4回目の陸上発掘調査が行われていたのです。

その日は私の発掘参加最終日で、翌日埼玉の実家に車で友人たちと帰る予定でした。発掘現場から戻り、宿の食堂で発掘調査団の皆さんと夕食をとってくつろいでいたとき、食堂で流れるテレビ番組の中で、羽田発大阪行きの日航機が消息を絶ったとの第一報が流れました。食堂が騒然としていたのを覚えています。

情報が錯綜する中、長野県か群馬県の山の中で消息を絶ったらしいとの情報が流れていました。結局あまり詳しい情報がわからないまま次の日を迎え、友人たちとともに、朝、野尻湖を出発し、国道18号で長野、上田、小諸、軽井沢、安中、高崎などを経由して埼玉の実家に向かいました。

途中、軽井沢を越えて碓氷峠にかかるころ、上空では尋常ではないほどのヘリコプターが飛んでいました。現場が近いことが感じられました。ラジオのニュースでも続報が伝えられ始め、大変な事故であることがわかり、車の中でもみんな言葉少なくなっていました。

私の実家は航空自衛隊入間基地の北側に位置しています。実家にいた数日間、上空を自衛隊のヘリコプターがずっと行き来していました。近所に住む警察官の方も応援のため、現地に向かったとの話も聞きました。

当時私は、東北で地質調査をしていたため、数日後東北に戻りました。一人で東北の山の中を地質調査しているときにも、事故のことが頭から離れず、あの絶望的な機内で家族に向けて手記を残していた人の話を思い出したり、残されたご家族のことなどを考えたりするたびに、涙を流しながら山を歩いている自分がいました。

あれから37年。私も就職して何度も飛行機に乗りました。私は飛行機が離陸する前、いつもあの事故のことを思い出しています。航空機メーカーや航空会社があの事故から学んだことを信じて、また、安全運航のために細心の注意を払っている機内のクルーや、管制官の努力を信じて、自分の乗る飛行機が安全であることをいつも祈っています。

37年たってもこの事故で大切な人を失った方々のことを思うと胸が痛くなります。事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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