見た目がより古くなって新鮮だった川越
高校時代、私は東武東上線の川越市駅から徒歩で25分ほどの川越市内の高校に通学していました。
高校は「郭町 (くるわまち)」と呼ばれる、なんとなく城下町らしい町名の地区にありました。まさに高校は川越城跡にあり、近くには、川越城本丸御殿、富士見櫓跡などがありました。川越城は別名「初雁城」とも呼ばれ、1457年(長禄元年)江戸城が太田道灌によって築城されたのと同じ年に川越城も太田道真・道灌父子によって築城されたと言われています。
川越は江戸時代、知恵伊豆と呼ばれた松平信綱によって城下町の整備が行われ、江戸との経済・文化の交流が強まり、江戸時代後期には17万石の「小江戸」と呼ばれる賑わいを見せていたそうです。
通学路の途中には小江戸のシンボルとも言える「時の鐘」というものがありました。寛永4年(1627)から同11年(1634)の間に川越城主酒井忠勝が建てたものが最初といわれています。現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたものだそうです。
その他にも通学路の途中には蔵造りの町家や土蔵などがいくつか見られ、ちょっと普通の町並みとは違う景観を示していましたが、あまりにも毎日通学中に見ていたせいか、それほど気にもとめず通り過ぎていました。
他県の大学に進学して、就職して、しばらく川越から遠ざかっていましたが、海外赴任から一時帰国した数年前に久しぶりに家族と川越を訪れた際に、その変貌ぶりに驚きました。
町並みがより整備され、より古い町並みが再現されていて、小江戸の「おもかげ」をより強く感じることができたのです。そして、それがとても新鮮でした。
川越には重厚な蔵造りの町家だけではなく、大正以降の近代洋風建築や洋風外観の建物も残っていて、各時代の特色を反映した建築が共存しているのも魅力です。
川越のこの町並みは、平成11年12月、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年1月には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。
そういえば、高校時代の日本史の先生は川越をこよなく愛していらっしゃいました。授業中も川越うんちくをよく話してくださいました。生徒の間では、授業中に寝ていて突然指名されても、とりあえず「川越」か「喜多院」(川越市にある天台宗の寺院、五百羅漢の石像で有名) と答えておけばたいてい正答になると噂されていて、実際、堂々と「喜多院」と答えて切り抜けたつわものもいました。懐かしい思い出です。
[川越市公式ホームページ 観光スポット]
[小江戸川越観光協会 小江戸川越ウェブ]