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開戦の原因調査

たまたまネット上で「国会図書館デジタルコレクション」を見ていたら、「レファレンス」 平成 25 年 1 月号に掲載された「敗戦直後の戦争調査会について -政策を検証する試みとその挫折―」という文章を見つけました。著者は外交防衛課の冨田圭一郎さんという方です。

あらためて国立国会図書館のホームページを見てみると、「調査及び立法考査局」という組織の中に「外交防衛課」のほかにも数多くの課や調査室が存在することがわかります。

国立国会図書館は専門的知見に基づく調査や豊富な情報資源の提供によって国会の活動をサポートするという重要な役割を担っているということです。国会議員からの依頼を受け、所蔵する資料・情報などを活用し、政治、経済、社会、科学技術など多岐にわたる調査をおこなったり、国政課題に関する調査研究:国政課題に関する調査研究の成果を刊行物にとりまとめ、国会(議員)に提供したりするほか、国立国会図書館ホームページでも公表しているそうです。

「レファレンス」は国立国会図書館が刊行する、国政課題の経緯、論点や関連の外国事情等に関する月刊の論文集です。

さて、なぜこの「敗戦直後の戦争調査会について -政策を検証する試みとその挫折―」という文章に目が行ったのかというと、日本政府が1945年の敗戦後、あの戦争をどのように検証したのか興味があったからです。

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_6019128_po_074405.pdf?contentNo=1

この文章には、日本が「戦争調査会」を設置し、自ら戦争の原因や敗因を調査しようと試みた経緯が記されています。結果的にはこの試みは挫折しているのですが、この調査が行われていたらどのような結論が出て、将来にどのような影響を与えていたのだろうかと、非常に興味があります。

調査会を設置するにあたり、その目的や調査範囲について様々な議論があったようです。例えば、「開戦の原因」と「敗戦の原因」のどちらに重きをおいて調査を行うか、また、開戦原因の調査を重視する意見の中には、開戦したことを批判的に捉えたものと、過去の日本の行為がすべて悪いわけではないという問題意識を含んだものもあったということです。客観的な調査を行うことの難しさを暗示しているようです。

調査の目的としては主に次の4つの考え方があったとのことです。

  1. 戦史の編纂

  2. 戦争が不可避であったことの調査

  3. 戦争責任の調査・追及

  4. 戦争批判と平和国家建設

特に第4の「戦争批判と平和国家建設」は幣原総裁や馬場恒吾委員(第四部会長 (思想文化)、読売新聞社社長、貴族院議員)らが主張していたとのことで、馬場氏は「調査によって、日本が戦争を始めたことと、戦争全体がいけないという結論に達すれば、戦争放棄が盛り込まれている憲法草案を裏付けるために有効である、しかし、敗戦の原因を調査することは、「死んだ子の年を数えるような」ものである」と述べていたそうです。

一方、幣原総裁は、「敗戦の原因や実相を調査する目的は、戦争犯罪者の追及や、次の戦争で勝利することではなく、このような苦境に陥った原因を探求して、再び失敗を繰り返させないことにある」とし、さらに、「繰り返してはならない「失敗」とは、「敗戦」ではなく「開戦」であり、日本がどのように敗戦したかを調査・記録しておくことは、将来の日本人に再び戦争を起こさせないために有益であって、決して「死んだ子の年を数える」ことではない」と説明していたとのことです。

いずれにしろ、この時もし、日本政府が将来戦争をしないためにきっちりとした調査を行っていたらどんな結果がでて、どうなっていたのだろうかと考えてしまいます。

結局、この調査会は、占領下という特殊な状況において、複数の連合国から、実際の議論の内容ではなく、主として構成員の一部(元陸軍・海軍中将、戦争遂行に協力した科学者)が問題視されたため、廃止を余儀なくされてしまいました。

この報告書でも、調査機関を設けて報告書を発表することの意味について以下のように言及しています。
「限界があるにしても、国会や内閣に公式に設けられた調査機関がまとめた報告書は、政府にとっては、過去の政策を評価し、事後の政策を形成する際の拠りどころとなり、一般国民や国際社会にとっては、国による調査・検証の内容を知り、吟味し、それが実際の政策にどのように反映されたか否かを注視する際の手がかりとなる。」

現在も、侵略戦争や植民地支配、軍隊等による残虐行為などについて評価を逆転させる試みが行われています。事後に国会などに調査機関を設け、その原因等について調査と検証を行うことの大切さを物語っているような気がします。

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