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シリアに行ったことが夢のよう
2001年の3月、私たち家族は赴任中のUAEから休暇でシリアとヨルダンを旅行しました。当時子供は3歳になる少し前。どうなることかと思いましたが思い出深い旅行となりました。
当時、シリアは大統領が交代したばかりでした。
1970年から大統領の座にあったハーフェズ・アサド氏が2000年6月に亡くなり、息子のバッシャール・アサド氏が大統領の座についてから1年もたたない頃でした。
私たちはヨルダンのアンマン経由でダマスカスに入りました。
私たちはダマスカス観光を後回しにして、210kmほど離れたタドムルという街に移動しました。そこはユネスコの世界遺産に登録されている有名なパルミラと呼ばれる都市遺跡がある場所です。タクシーで約3時間、言葉も通じない運転手との何となく心細い移動でしたが、無事宿泊予定のパルミラ遺跡のすぐ横にあるホテルに着きました。
着いたその日に見た夕日に染まるパルミラ遺跡と周辺の山々は、ホテルの人がおすすめしてくれた通り一見の価値がある美しさでした。
その夜、子供が喘息の発作をおこし、ホテルに紹介していただいた街の小さなクリニックで見てもらいました。夜間にもかかわらず優しく対応していただいた町のお医者さん。遺跡の素晴らしさだけではなく、外国人にも優しく接してくれる忘れがたい町でした。
翌日は体調が心配な子供をホテルにおいて、妻と私は交代でパルミラ遺跡を見学しました。かつては交通・交易の要衝として人々が行き交ったであろう都市を思い浮かべながら遺跡の間をひとり歩いていた光景を今でも鮮やかに思い出します。
私たちはパルミナに2泊した後、タクシーでダマスカスにもどりました。
ダマスカスでも子供は比較的大きな病院のお世話になり、約半日間病室のベッドで薬の吸引などを受けることになりました。私は疲れて、子供と一緒に病室で休むことにして、その間、妻は一人でダマスカスの街を散策していました。女性一人でも十分観光できる街でした。
翌朝、すっかり元気になった子供と、それと交代で体調を悪化させた私と、相変わらず元気な妻はヨルダンに向けて移動したのでした。ヨルダン旅行の話しはまたいつか書きたいと思います。
それにしてもあの歴史あるパルミラ遺跡も2010年代にはいると「イスラム国」を名乗る過激武装組織によって多くの遺跡が破壊されたと言います。それ以上に悲しいのは、パルミラで「イスラム国」による数百人規模の周辺住民の虐殺があったとの報道を耳にしたことです。
私たちを温かく迎えてくれて、子供の喘息を快く見てくれたパルミラの人たちのことを考えると胸が締め付けられる思いです。
2017年ごろから「イスラム国」による支配や攻勢は終わりを告げたものの、その後もシリアは複数の勢力がシリア全土で軍事活動をつづけ泥沼化の状態だったと言います。近年はロシアの支援を受けるアサド政権と反体制派勢力との内戦状態が続いていたようですが、ここにきて、アサド政権に攻勢を仕掛けていた反体制勢力がダマスカスを掌握し、アサド政権が崩壊したとのニュースが流れてきました。
私たちが訪問したわずか10年後にはシリアはとても観光で訪れるような雰囲気ではなくなり、多くの住民たちが戦闘や虐殺に巻き込まれ、大量の難民が発生したことを思うと、シリアの住民たちが平和に安心して暮らせる国づくりが進むことを祈らずにはいられません。