東武東上線の思い出
私は高校の3年間東武東上線を使って通学していました。
東武東上線は「東武東上本線」が正式名称で、東京都豊島区の池袋駅から埼玉県大里郡寄居町の寄居駅を結んでいます。
東武東上線の車両は私が子供の頃はロイヤルベージュと呼ばれるベージュ色をベースに窓のあたりがインターナショナルオレンジと呼ばれる朱色で塗られたツートンカラーでした。
私が高校生の頃には冷房車はまだ珍しく、屋根に大きな箱を乗せた車両が冷房が付いているということで、夏場に駅で待っている時に屋根に大きな箱を乗せている車両が近づいてくるのが見えるとうれしかったことを思い出します。
冷房が付いていない多くの車両は外気を取り込む送風機がついていて、もっと古い車両になると天井に付けられた丸い扇風機がぐるぐると首を振りながら送風していました。
多分中学か高校の頃から、東武東上線の車両はベージュとオレンジのツートンカラーからセイジクリームと呼ばれるクリーム色一色のシンプルな塗装に徐々に変わり始めました。はじめてこの色の車両を見たときは、色がまだ塗られていない未完成の車両が回送されてきたのかと思ったものです。
扇風機の付いた古い車両はクリーム色の車体に屋根だけが茶色で、まるでカステラのような配色となっていました。私たちはこの車両を「カステラ電車」と呼んでいました。
夏場にこの車両が来るとちょっとがっかりでしたが、床は木張りでなかなか味のある車両でした。先頭車両にも出入り口がついていて連結すれば扉を開けて運転席をふさいで、運転席の脇が通路のようになって隣の車両に移れるようになっていました。連結器の上には両方の車両から金属の板が渡されていて、隣の車両に行く時にはその上を歩いて渡りました。もちろん連結部分は幌で囲われていたので、隣の車両に移動する際に外に転げ落ちるような危険はありませんでした。
ただ、たまに幌が小さく破れていて隙間から外が見えることはありました。
連結付近で扉越しに運転席が見えるので、小さい頃はよくそこから誰もいない運転席の様子を覗いて見ていたものです。
多分私が高校生の時にはまだ東武東上線には貨物列車が走っていました。たまに電気機関車に牽引される貨物列車を見かけました。高坂あたりには砂利をとるための引き込み線などもありましたから、そういう車両も入って来ていたのかもしれません。
また、当時は寄居より先、秩父鉄道の長瀞や三峰口まで行く特急なども走っていて、たまに先頭に丸い特急マークを付けた車両を見かけると憧れとともにワクワクしたものです。ただし車両はいつもの車両で、特急料金も必要ありませんでした。
現在東上線には地下鉄有楽町線、副都心線、東横線、相鉄線などの車両も乗り入れているようで、車体の色も車両の種類もいろいろあってカラフルです。車両内に掲示されている広告や路線図もそれぞれ特徴があって、見ているだけでも楽しいです。
東武東上線で「元町・中華街行」などという表示を見ると、私はいまだに「ああ、高校の頃遠足で苦労していった中華街に電車一本で行けるようになったんだ」と感慨深く感じます。ちなみに横浜の友人に、「川越に簡単に出てこられるようになって良かったね」と言ったところ、ちょっと反応が薄かったような。川越の魅力、広まりますように。。。