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3月10日の東京大空襲に思う

もうすぐ3月10日。1945年のこの日の夜行われた空襲を一般に「東京大空襲」と呼ぶそうです。3月10日の空襲だけで罹災者は100万人以上、死者数は10万人以上に達したと言います。

最近日本や世界で起こった地震や自然災害の被害と比べても膨大な被害であることに驚きます。

私が生まれる前のことではありますが、私が生まれたのはこの空襲から20年も経っていなかったというのが信じられない気持ちです。

私が生まれたころには、私の両親を含めこの空襲の生々しい記憶を持った方々が身近にたくさんいらっしゃったのだと思います。

そして、この日だけではなく、第二次世界大戦の末期には東京を含め、日本各地で空襲が行われ、その被害にあわれた方々にとっては、3月10日の空襲であろうとその他の日の空襲であろうと、空襲の恐ろしい記憶が心と体に焼き付けられたのだと思うと本当に胸が痛いです。

私の父の実家は板橋区にありました。総務省の国内各都市の戦災の状況、板橋区における戦災の状況のページによると、特に1945年4月13日の夜の空襲で父の実家周辺は甚大な被害を受けたようです。

国家が戦争を起こすような動機は、本来細々と街の片隅で暮らす私たち一般市民の立場からはなかなか出てこないものなのではないかと思います。

いまだに戦争を防ぐためには、「力の均衡が」だとか、「軍事力による抑止が」だとか、「核による抑止力が」だとか堂々と語られているわけですし、誰にとっても戦争を起こす動機や意味を失わせるようなシステムも理論も構築できないでいるわけですから、政治学や経済学などを含む私たちの社会科学は、そうとう遅れている分野なのだなと感じてしまいます。

それとも誰かが感じている戦争の「恩恵」に、私たちの目も、科学の目も曇らされてしまっているのでしょうか?

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