見出し画像

工学的過信をしない

石油のベテラン掘削エンジニアと話していた時、その人は12時間交代勤務で現場にいるときに、掘削オペレーションの安全や掘削の成否が決まるような重要なポイントが近づくと、たとえ自分のシフトでないときでも自分自身でデータを見ながらオペレーションをフォローしたくなると言っていました。そういう場面で心配もなくゆっくり寝ていられるエンジニアが信じられないとも言っていました。

自分と交代で勤務する相方が全く信頼できないということではなく、だれがやってもリスクがある場面、不確実性がある場面、井戸の掘削の安全や成否にとって肝となる部分では、どうしてもその重要性やリスクがわかるだけに、心配になる気持ちはわかります。

わたしもどちらかと言うとそういう時、自分自身でフォローしたくなるタイプですから。

石油掘削の準備段階では、高度なリスクアナリシスやそれに基づく事前準備をしっかり行っていることは知っています。なおそのうえで、私たちは私たちの想定や、準備した資材の能力を過信することなく、いつでも不測の事態に対処できるように警戒を怠らないようにする。これが私の考える「工学的過信をしない」と言うことです。

原発を推進する電力会社や国は、原発の立地や核のゴミの地層処分などに関して、地質学的な危険性や不確実性を想定で工学的に克服できると思い込んでいる節があります。

しっかりした技術者であれば、自分たちの技術の限界も、自然の不確実性もはっきりと認識していなければならないはずです。安心安全と言い切る技術者や組織は「工学的過信」あるいは「工学的慢心」に陥っていると言わざるを得ません。

失敗を恐れぬ勇気や、決断する勇気は「無謀な冒険をする勇気」とは違います。雰囲気にのまれず、最悪の事態を避けられる見込みをもって準備を十分にしたうえで慎重に物事を進めることができる。技術の限界や不確実性を認めたうえで、地道な努力や作業をいとわないのが、技術を活かす本当に勇気ある技術者と言えるのではないでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?